メモ
「泰平の眠りをさます蒸気船、たった四杯で夜も眠れず」

サスケハナ号(ペリー提督の旗艦)

乗員は約300名、当時のかわらばんには「大海を渡る龍の如し」と伝えられた。来港した4隻中、蒸気機関をもつのは2隻、残り2隻は帆船だった。


大久保 利通 [正助、一蔵](1830?78) 薩摩藩士
西郷隆盛と供に、薩摩藩の討幕運動の中心的存在。新政府では、『版籍奉還』、『排藩置県』を断行した。しかし、西郷隆盛の『征韓論』に反対し西南戦争が勃発、結果的に旧友である西郷隆盛を死においやってしまう。73年内務卿になり政府内の実権を握り、『地租改正』などを推進するが78年東京にて不平士族に暗殺される。

大隅 重信(1838?1922) 肥前藩士
肥前藩出身。明治政府で参議・大蔵卿として活躍する。また、東京専門学校(今の早稲田大学)の創設者とても有名。88年黒田清隆内閣に外相として参閣し、条約改訂に努力するも国粋主義者に教われ負傷し辞職。96年立憲進歩党党首、98年憲政党を結成し、松方正義内閣に参入するなどの活躍をし

勝 安芳[海舟](1823?99) 幕臣
幼名は隣太郎。江戸にて蘭学を修め、佐久間象山に砲術を学ぶ。長崎の海軍操練所にて航海術を学び、1860年幕府の遣米施設艦の護衛艦『咸臨丸』の船長として、太平洋横断に成功する。戊辰戦争では、幕府側に恭順を説き、西郷隆盛と交渉し江戸無血開城を実現させた。
維新後は参議・海軍卿などを歴任、著書に財政経済資料などを集めた『吹塵集』など多数残している。