1896年(明治29)3月15日土佐丸
欧州定期航路開かれる
第一船土佐丸乗客5名で出港
1896年(明治29)3月15日

横浜桟橋で出港を待つ欧州航路第一船の土佐丸
土佐丸は三菱汽船生みの親、岩崎弥太郎の出身地からつけられた。

前年末から、日本郵船は取締役荘田平五郎をロンドンに派遣して外国航路開設の準備を
進めていたが、この日、正式に欧州定期航路開設し、
その第一船土佐丸(船長J.B.マクミラン)が横浜を出航した。
この後、土佐丸は神戸・下関を経てロンドン・アントワープに向かう。
今回開設された航路には、月1回の便が予定されており、汽船6隻があてられている。
土佐丸は1892年にイギリスで建造された船で総トン数5405t、長さ約137m、幅約15m、最大速力14ノットを
誇る最新型汽船。
2年前に56万円で購入した物である。

船客は1等が20人、2等8人、3等100人の定員だが、この日の乗客は5人、
ロンドンまで行くのは2人だけだった。
船客は日本語が通じて茶漬けが食べれると大満足のようである。