水村美苗の《本格小説》は十年に一冊の大傑作★★★★★!
《本格小説》水村美苗著/新潮社刊の上巻

九月の末に店頭に並んだときにいちど手に取ったが
帯のコピーに腰が引けて買わなかった。表紙のウィリアム・モリスの絵だけが妙に印象に残っただけだった。

好意的な書評をいくつか見かけ、上下2巻という長さにも惹かれ、先週末の深夜にABCで買った。日曜から読み始めた。そしてはまった。

火曜の朝まで、かけて上巻を丹念に読み進む。

短い「序」の後で「本格小説の始まる前の長い長い話」と名付けられた章が176ページまで続く。アメリカで育った少女時代から長じて近代文学の教師となって「本格小説」の素材と出会うまでが「私小説」の体裁を借りて描かれている。借りているのか私小説なのか、上巻が終わった時点ではまだわからない。メタフィクションとなって着陸するのか、「本格小説」という名の小説を書いた「私小説」となるのか。文体は端正で静謐。巧妙に訳された翻訳を読んでいるような気配もある。それが「本格小説」に入ってからは、一気に濃密な物語体の色を帯びていく。ページを追うにつれてその精緻さが深まっていく。上巻は469ページのノンブルで終わっている。つまりタイトルとなった「本格小説」の上巻分は293ページ。

下巻を残して物語の感想というのも無粋な気がするが、いままでいちども読んだ経験のない、いいようのない面白さをもった小説であることはまちがいない。たとえ下巻が気の抜けたコーラのような仕上がりでも、この上巻からうけたショックは未体験のものだ。日本人の小説家がこんな野太い構成の物語を書くことが、もうひとつ信じられない。

下巻は幸いなことに手元に置かなかった。まず仕事にならないだろうと漠然と感じたから。正直なところ、未明に起きてから昼前まで仕事に集中できたのは、とにかく明日のロケハンと夕方の打合せまではなんとかクリアしたい、そして続きにとりかかりたいという一念だった。
長い打合せからくたくたになって戻り、上弦から一夜すぎて少しふくらんだ月を眺めながら、紀伊国屋に寄った。下巻が飛び込んできた。唾を飲む。我慢。今夜はなんとか眠らないと明日の古河行きでダウンすることがみえていたので、我慢。いつもならたぶんダブってもいいから買って、そして読んでいた。
水村の「本格小説」は、その自堕落を拒んだ。マックの雑誌だけを2冊買った。風呂にゆっくりと入り飯を食った。そしてつい上巻を手に取る。で、買っときゃよかったな、と悔やんでいる。もーれつに悔やんでいる。眠れそうもないので、こうしてぐずぐずと途中までの感想を反すうしながらメモしている。

ずいぶんとひさしぶりに誰かと感想をやりとりしたい、そんな思いにかられている。アンケートも終わってしまったが、ここ十年ふりかえってみて、ピカイチの一冊だろう。こんな小説を読めたのだから、きっと今年はみのりおおい一年だったのだ。

ああ、読みてえ…