その先の《夢》とムーラン・ルージュ
田中さんは、97年の冬ですと言明。あれから4年が経った。いくつかの家が消え、いくつかの新しい家が建ち、体験すべき館も片手を越えた。もう完成だね、と笑うと、ほぼ、と答えた。工場の敷地の片隅でスタートした作り手の《夢》がやっと町のカタチを整えた。シンボルツリーも《けやき》とし、1000足らずだった豆電球が万を数えて梢の先まできらめいていた。すべての棟に明りをともし、遊歩道や庭の部分に百人あまりの人間を配して、ほんとうの街の暮らしを再現することも、もう現実的になった。今年はこの《街》で、花見、蛍狩り、祭り、紅葉、クリスマス、雪合戦など、仕込んでみたい。一年後には、《人へ、街へ…》という企業精神そのものを象徴する《ライフ、モダン》集としてまとめることができるはず。
TV-CM、VP、DVD-ROM、ウエブコンテンツ、シック・シティ、納得工房などのウェルカム映像、各地のモデルルームでのウエルカム映像…と、使い道は限りないだろう。

たとえばDVD-ROM。
基本プランはインタラクティブ型の《ビデオカタログ》の共通トップページとする。ある休日の昼下がり。真俯瞰の《街》にはさまざまな家族たちが暮らしている。マッチ箱のような小さな家々の並ぶ《街》で、ある家族は庭で親子がガーデニング。別な家族は家の周りの道路を掃除。さらにキャッチボールをする親子。犬の散歩をする子供たち。サッカーに興じる子供たち。クルマで出かける家族。自転車で買い物に行く親子。宅配ピザを届ける青年。速達を届けるポストマン。訪ねてくる人、帰っていく人…
マッチ箱のような家の1つが強調されると、その家についてのメインストーリー画面、コンセプト画面、技術・構造画面、快適・居住性能画面などメニュー画面となる。
そんな導入部として、全製品のビデオカタログのトップ画面として用いることで、強力なブランドイメージを構築する。一軒の家をつくるということは、数十年にわたる家族の物語の舞台を提供することであり、その舞台は複数のセットが同時並行的に存在するさらに大いなる《舞台》のピースであること。家づくりとは同時に《街づくり》にほかならず、積水ハウスが40年を越える歴史の中で挑んできたものこそが、家=街=社会をつくり、守っていくことなのだ、という姿勢を1シーンで表現しきる、動くブランドマークのようなものとして用いていく。
企業CMとしてイメージを周知させつつ、いっせいに各媒体での展開に着手。

田中さん達が4年間でここまで膨らませた《夢工場》が、そんなことを夢想させた。

熱の塊になって話し続ける彼の背後で日が落ちていった。夕やみの中で、これを見せたかったと彼が言う1万個の豆電球が灯り、大きなけやきの裸木が、一瞬のうちに黄金の葉を繁らせたようにきらめいた。

工場の人たちとスタッフ総出で雪かきをしてつくりあげたパート1から4年。

彼らの《熱》が、どんな現実を結び、さらにこれから先どんな夢を描こうとしているのか、それだけを知りたくて出かけた。

暗闇の中で、深々と下げられた頭を前に、広告屋としての矜持がうずく。

南風に乗って東北道を北に向かいながら、須賀川や会津の人たちのことを思い浮かべた。
どこにもどんな所にも、熱い場所があり、熱い人たちがいる。
広告とは、こういう人たちの間を、過不足のないまっとうな橋で結ぶこと、そんな学生のようなことを考えながら、夜の東北道を東京に向かった。
帰りは、北風。窓を開けていると凍えるようだった。
道中のBGMは「ムーラン・ルージュ」のサントラ盤。あれやこれやのシーンを頭の中でリプレイしながら、仕事始めとしては上々じゃねえか、そう思った。

寒かったので銀座でホットチョコレートを飲み、六本木の時代屋で釜飯を食って帰った。