2001 12/16 20:17
Category : 日記
裸の《力》。
人も動物も樹木も花も、世界の《いのち》は大地から生まれた。
それらのすべての《いのち》は、同時に大地に還っていくものでもある。
循環していく《生》。
滋味ゆたかな大地は、だから無数のいのちを生み出し、育み続ける。
たとえば、目の前に広大な森がある。
その森は遠くから見るとどっしりとしたひとかたまりの建造物のように見えるはずだ。
よほどの大風が吹いても森全体はさわっと震えて見せるだけ。近づいてみる。
遠くからは塊に見えたものが巨大な樹木の群れであったことが見て取れる。
さらに近づく。一本の巨大な樹木がある。
数十メートルの樹高と数メートルの幹の太さがあるのがわかる。
見上げればびっしりと繁った梢が緑の大屋根をつくっている。
幹にそって目を下に。ブッシュ。
根元のあたりは濃密な草や色濃い花で、すき間なく埋め尽くされている。
花の蜜を吸う極彩色の鳥、蝶、変わったカタチの虫なども見えるはず。
(熱帯のジャングルではなく田中一村的世界でもいい)
さらに焦点を足下に合わせてみよう。
つま先のほんの50cmほど前の草むらに目を近づける。
10cm四方の草むらを赤い糸で区切ってみる。
それが、《世界》だ。
たとえば、そこでは数百匹のアリが額に汗しながら
花の蜜を吸いすぎて腹がふくらんで飛べなくなった色鮮やかな蝶を
力を合わせて運んでいるかもしれない。
その行く手には巨大な隕石のような水玉が轟音をあげて落ちていたりする。
もちろんそれは単なる雨粒だが。
さらに少しはなれたところではてんとう虫のカップルがサンバを踊ったりもしている。
さらにもっと小さな名もしれぬ虫達が意味のわからないカーニバルを
繰り広げたりしているかもしれない。
あちらこちらに、カタチの異なる東京ドームのような大きさの木の実が
奇妙な摩天楼をつくっていたり、色とりどりの花粉が風に運ばれて
天然色の雪のように降り注いでいるのかもしれない。
さらにミクロへと進めば、得体のしれない形状をした生き物が、
あるいは生き物とはとても思えないような生命体が
B級SF映画のような光景を描いている。さらにミクロへ。
巨木の根のほんの一部のそのまた一部の小さな小さなひげのような根が、
巨大な地下トンネルとなって、土中の養分と水分をゴウゴウと
濁流のような音を立てて運んでいる。
その流れの中で悲鳴を上げておぼれている何かの細胞の姿も見える。
もっとミクロへ。細胞。さらにディティルに…ディティルの先に無限。
これが、《世界》だ。
人間は、この《世界装置》と構成要素のほんのひとかけらである。
ナチュラルであるということは、こうした世界要素の一部であることを
自覚し、限りなくシンクロしていくことだとしよう。(飛躍しすぎ?)
●プロローグのイメージ++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヒトの肉体。
ディティル。汗。涙。ぴんと張った口元。ふくらんだ鼻腔。
寄せられた眉。二の腕に浮かんだ血管。ひくつく腹筋。汗の浮いた背筋。
大腿筋のこわばり。緊張した踝。
ゆっくりとした鼓動がベースのリズムを刻んでいる。
さらに喜怒哀楽を象徴する鼓動が複層的に重なり不思議なハーモニーをつくる。
花びら。かすかに風に揺れている。
蝶。その花びらと遊んでいる。
蝶と花びらと体のディティル。
静かな息遣いのようにゆっくりと引いていくと、
草原の花の群れの中に数十人の裸の老若男女が集っている。
この移動に合わせ、鼓動のハーモニーに
喜び、楽しみ、哀しみ、怒りを表すさまざまな年齢の男女の声が重なる。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
人も動物も樹木も花も、世界の《いのち》は大地から生まれた。
それらのすべての《いのち》は、同時に大地に還っていくものでもある。
循環していく《生》。
滋味ゆたかな大地は、だから無数のいのちを生み出し、育み続ける。
たとえば、目の前に広大な森がある。
その森は遠くから見るとどっしりとしたひとかたまりの建造物のように見えるはずだ。
よほどの大風が吹いても森全体はさわっと震えて見せるだけ。近づいてみる。
遠くからは塊に見えたものが巨大な樹木の群れであったことが見て取れる。
さらに近づく。一本の巨大な樹木がある。
数十メートルの樹高と数メートルの幹の太さがあるのがわかる。
見上げればびっしりと繁った梢が緑の大屋根をつくっている。
幹にそって目を下に。ブッシュ。
根元のあたりは濃密な草や色濃い花で、すき間なく埋め尽くされている。
花の蜜を吸う極彩色の鳥、蝶、変わったカタチの虫なども見えるはず。
(熱帯のジャングルではなく田中一村的世界でもいい)
さらに焦点を足下に合わせてみよう。
つま先のほんの50cmほど前の草むらに目を近づける。
10cm四方の草むらを赤い糸で区切ってみる。
それが、《世界》だ。
たとえば、そこでは数百匹のアリが額に汗しながら
花の蜜を吸いすぎて腹がふくらんで飛べなくなった色鮮やかな蝶を
力を合わせて運んでいるかもしれない。
その行く手には巨大な隕石のような水玉が轟音をあげて落ちていたりする。
もちろんそれは単なる雨粒だが。
さらに少しはなれたところではてんとう虫のカップルがサンバを踊ったりもしている。
さらにもっと小さな名もしれぬ虫達が意味のわからないカーニバルを
繰り広げたりしているかもしれない。
あちらこちらに、カタチの異なる東京ドームのような大きさの木の実が
奇妙な摩天楼をつくっていたり、色とりどりの花粉が風に運ばれて
天然色の雪のように降り注いでいるのかもしれない。
さらにミクロへと進めば、得体のしれない形状をした生き物が、
あるいは生き物とはとても思えないような生命体が
B級SF映画のような光景を描いている。さらにミクロへ。
巨木の根のほんの一部のそのまた一部の小さな小さなひげのような根が、
巨大な地下トンネルとなって、土中の養分と水分をゴウゴウと
濁流のような音を立てて運んでいる。
その流れの中で悲鳴を上げておぼれている何かの細胞の姿も見える。
もっとミクロへ。細胞。さらにディティルに…ディティルの先に無限。
これが、《世界》だ。
人間は、この《世界装置》と構成要素のほんのひとかけらである。
ナチュラルであるということは、こうした世界要素の一部であることを
自覚し、限りなくシンクロしていくことだとしよう。(飛躍しすぎ?)
●プロローグのイメージ++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ヒトの肉体。
ディティル。汗。涙。ぴんと張った口元。ふくらんだ鼻腔。
寄せられた眉。二の腕に浮かんだ血管。ひくつく腹筋。汗の浮いた背筋。
大腿筋のこわばり。緊張した踝。
ゆっくりとした鼓動がベースのリズムを刻んでいる。
さらに喜怒哀楽を象徴する鼓動が複層的に重なり不思議なハーモニーをつくる。
花びら。かすかに風に揺れている。
蝶。その花びらと遊んでいる。
蝶と花びらと体のディティル。
静かな息遣いのようにゆっくりと引いていくと、
草原の花の群れの中に数十人の裸の老若男女が集っている。
この移動に合わせ、鼓動のハーモニーに
喜び、楽しみ、哀しみ、怒りを表すさまざまな年齢の男女の声が重なる。
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