やめようか。
雨。オフィス。


つまらない話が耳に入る。
明日がMA。着地に向かってすべての神経を集中させているときに、
どうしてこんなくだらない話が持ち出されるのか、耳を疑う。

たとえてみるのもバカバカしいが
同点で迎えたロスタイム120秒の残り10秒のところで、前半28分目のパスミスについてコートの外から釈明を求められる。というところか。
キラーパスがゴール前のスイートスポットに向けて放たれ、その落下点に向かって全身をバネにして跳躍した瞬間に、すべての時間が停止した。そんなところか。
最前線と参謀本部の距離、現場とデスク、オンとオフ。
どこにでも転がっているありきたりの《想像力の落差、温度差》のエピソード。
目の前に打ち倒すべき敵がいて襲いかかって来るときに、弾薬を補充してくれるのではなく、その弾薬の帳尻合わせにしか目が向かないスーツとネクタイの能吏。
戦線を縮小しないか、とむなしい気分で持ちかけざるを得なかった。もういいよ、と思えたから。
体と心を削るようにして酔客の群れる夜の街の底で何日も過ごしたことに何の意味があったのか。なかったのか。
忘年会があるので合わせてくれ、などというたわ言を聞き流しながら、なんどトイレで頭に水をかぶらせたことか。
毎年暮れになると、どうして1カ月もかけてその年を忘れたいと思うのか。
2001年は忘れてしまえるような年だったのか、などと書いてしまえば、またそれる。

ま、忘年でもリセットでも好きなようにやってくれ。
プロデューサーは男気を発揮して、とことんやりましょうというが、ま、いいじやねえか、と思ってしまった。

温度差は、意識したらもう終わりだよ、と思う。

日常が奴隷だから、盆暮れと飲み会には無礼講。いちどきっちりブルジョア革命し直さねえと、この国はほんとに先に行けねえな。

かくありたいと願うイメージと、
だって仕方ないよといいながら流されていくことへの無自覚さぶりに、たじろがされる。

月曜の夜から断続的に感じだした激しい温度差が、体のすみずみを満たしていく。せつないじゃねえか。

《熱》が消えていこうとしている。
熱はどうしたらかきたてられるのか。
この終息感は、どこからやってきたのか。

知りたいという強い欲求こそが
いやそれだけが人を駆り立てる。
自分を、相手を、モノを、コトを、世界を…知りたい。

その思いが薄れれば、道は閉ざされる。


置き去りにするとかしないとかは
同じ道を、一本の道を歩み続けているときだけに、そう確信しているときだけに成立する想い。
温度差が生じるとは、その道が異なっているのではと自覚が芽生えること。

こればかりは、いかんとも、しがたい。
無念ではあるが。な。