大阪はいつもかなしい
大阪日帰り出張はひたすら眠かった。
朝9時過ぎの「のぞみ」は満席。全員ビジネスマン。正直、異様。東海道はよく平然と5人並びを続けているなといつもの淡い怒りをのみこむ。さらに車窓の風景は日本でいちばん貧困だなと再確認。こんな風景のこんな日常を苛立ちもせずに受け入れているのだから、この国が終わりかけているのもムリはない、などといささか大げさな感想か。新大阪で予定通り地下三階に直行。特製ネギ焼きを注文。3人いたのだから3種類頼んで仲よく分け合えばよかったと反省しながらたいらげた。ワゴンタクシーを選び千里へ。打合せは正味30分で終了。のんびりとおだやかで暖かな日ざしだったので紅葉を愛でながら万博跡地を散歩した、と書きたいところだが、岡本太郎の《太陽の塔》がいきなり目に飛び込んできて度肝を抜かれ散歩を中断。タクシーに飛び乗り新大阪へ。
しかし岡本太郎の塔、実物をはじめて見たか、なんという醜悪さなのか。
カタチといい使われている下品な色といい、信じがたいオブジェだった。
あんな奇っ怪な悪夢を遺してしまえたことが、横山ノックを知事に選べてしまった大阪の贅六ぶりそのものなのだろう。
新大阪に降りて、新大阪にたどりつくまでのわずか二時間余りで耳にした大阪弁と光景は、毎度のことながら気がめいるものだった。あの路線を《のぞみ》が行き交うというのは、空恐ろしい皮肉としか思えない。神戸屋で買ったパンは乾燥してやけにまずく、柿の葉ずしもうまくなかった。駅の通路に難民の群れが並んでいるのでのぞくと《豚まん》を求める行列だった。大阪はまだ焼け跡やヤミ市の世界を生きているのか。並んで食うかよ豚まん。もともと食い物を並んで食うということ自体が信じがたいのに、豚まんとはな。底しれずである。
月がきれいだと騒ぐ渡辺の声を遠くに聴きながら、おれはひたすら眠って過ごした。
相馬プロデューサーは新大阪に置いてきた。罰である。

明日のプレゼンに備え、今夜は寝てしまおう。渡辺はプリント用にわざわざキャノンの普通紙を仕入れてきた。白くツヤはあるが、インクがにじみやすい。文字を印字するにはいささか上等にすぎるのではないか。すこしそのことが気になった。
ま、彼の律義さをよしとしよう。