いがらっぽさ
オフィスでロケ素材を簡単に整理。終わったのが深夜二時。というか終わらさせられたのがではあったが。
素材を家庭用のモニターで見るとどうしていつもマスモニよりも気持ちがいいのだろう。パッと見た瞬間のコントラストがストレートなのか。これはずいぶん前からのビクターのネットワークを使いだしたころからの感想。

久しぶりに撮影部でも収録分プレビューにつきあった。それほどあざやかな素材だったのだ。

あらためてオフィスでチェックして感じたのは、雲の形状がふだんとはまったく異なること。十七年ぶりに直撃した台風がつくりだした名残なのだろうが、どこか南の島にでもいかないとお目にかかれないような陰影があった。

フォトショップで静止画にしたもののコントラストなどをいじってみたが、倉持長岡コンビが調整したトーンが最適であることがよくわかった。レタッチソフトが活きるのはあくまで素材が劣る場合だけだなと納得。
しかしたまに使って思うのだがフォトショップのような安易なアプリケーションを気楽に使っていると、どんどんつまらない才能ばかりが育っていくように感じる。
なんでもできてしまうように錯覚できるというのは、まことに薄っぺらな世界だけが残っていくということにもなる。

デジタルの怖いところだ。


帰宅してさらに二回見た。文句なし。
そのあと朝八時まで例のニュースをザッピング。
テロというべきか、布告無き戦争というべきかわからないが、十数時間経過しても声明の発表が無いことが奇妙だった。情宣の必要がない戦いというのは、ひとむかしまえの終末思想の狂信派のようできな臭い。

誰がどういう角度で眺めても「言語道断」なできごとだと思いつつ、ふと南米で進行中のいくつかの米国絡みの戦争のカタチをとらない戦争、世界連合の名の元に一斉にミサイルをぶち込み続けた湾岸戦争、ベトナムのソンミ、日本に落ちた二つの原爆などの記事や映像がフラッシュする。

テロリズムと戦争の間に名詞の異なり以上にどれだけの差異がそんざいしているのだろうか。

いまさらな感想がふと頭をもたげるが、
興奮している周囲とさすがに肉声で語り合う気にもなれない。
横須賀が横手が沖縄が厳戒態勢に入ったという。あらためて戦後六十年近くなってなおまだ米軍が首都に国のあちこちに駐留し続けていることを知らされる。しかしついつい駐留なんて書くようになっちやったんだよなおれも。駐留だって。在日米軍。在日韓国人。だったらおれは在日日本人。
ま、おれの世代ではなんの思いも感想もほんとうのところないけど、かわぐちかいじ程度の韜晦もないが、しかし駐留ってなんだろう。この国はコインパーキングのようなものか。ボーダーレスだとなんでもありか。カネ以外にも何でも見境なしか。


どうしても参拝すると強行した我が国の総理は、どんな思いで靖国に行ったのか、深夜の首相官邸での緊急会見など見ながら、どうでもいいことに鎌首が反応しかけ、消えた。

第三次は見えないワールドウォーだったとすれば、これが顕在化した第四次世界大戦?
株価はついに一万円割れに。リンキングツギャザーなのだから、世界崩壊への序曲などと皮肉っている場合でもないけど。