2021年05月の記事


沖田総司命日
5月30日は、新撰組の沖田総司の命日(慶応4年1868年5月30日、享年26歳)なので、新撰組墓所の光縁寺さんへお参りしたのですが、緊急事態宣言のために入れませんでした。

光縁寺さんには山南敬助さんのお墓があるので有名ですが、その山南さんのお墓の隣にある小さな墓石の横に「沖田氏縁者」と書かれています。

沖田総司は、病気のために新撰組を離れて東京で療養していて亡くなったので、お墓も東京にあります。

それで、光縁寺の墓石の沖田氏縁者がいろいろ推測されています。
恋人説や医者の娘説など言われていますが、よく言われるのが山南敬助さんの恋人の明里だと言う話です。

新撰組の総長だった山南さんは隊士からも慕われていて、沖田とも親しかったそうです。

その山南さんが新撰組から抜けた時に追手に選ばれたのが沖田でした。

それも沖田1人に追手を任されたので、実は本気で追うつもりは無かったとか、沖田なら上手く逃がすと考えてとか諸説ありますし、本気で追うなら数人で行かせますよね。

しかし、山南さんは大津に居て沖田と会って新撰組に連れ戻されました。

処遇について揉めたそうですが、やはり隊規により切腹となり、沖田が介錯を勤めます。

その時に、後に残される恋人の明里の事を沖田に託したのではないかと言われています。

明里は、山南さんが切腹した翌年には亡くなったそうで、沖田は自分の縁者として、山南さんのお墓の隣に明里も弔ったのでないかと言われています。

山南さんのファンとしては、この話が納得出来て好きなんですね。
光縁寺さんには入れないので門前から手を合わせました。
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豊臣国松
京都の豊国廟へお詣りして来ました。

5月23日は、豊臣秀頼の庶子(本妻以外から生まれた子)の国松の命日となっています。

豊臣国松は、生後すぐに若狭京極家(秀頼の伯母・常高院の嫁ぎ先)に預けられた後に、乳母の兄である若狭の砥石屋弥左衛門の養子となりました。

これは秀頼の正室である千姫をはばかったものと見られています。
大阪冬の陣が起こると、秀頼の隠し子との詮議を受けぬよう、常高院と共に大坂城に入城し、その時に、生まれて初めて父の秀頼と面会したと言います。

その後、翌年の大阪夏の陣では、国松は秀頼と盃を交わし、田中六郎左衛門(京極家侍、傅役、乳母の夫)・乳母と共に城を落ち延びました。

しかし、徳川方の捜索により国松は京都所司代の板倉勝重のもとに連行され、5月23日に市中引き回しの後で、六条河原で田中六郎左衛門、長曽我部盛親と共に斬首されました、享年8歳でした。

国松のお墓はその後に豊国廟に祀られて2つ並ぶ小さなお墓が国松のお墓です。

その縁もあり、豊国廟では命日となる5月23日に国松の寿命の8枚限定で御朱印を授与されています。

なお、国松には妹の奈阿姫がいました。

奈阿姫は、女の子と言う事で養母である千姫に救われて養女となって命は救われました。

しかし、鎌倉東慶寺で髪を下ろして出家して天秀尼となりました。
天秀尼は成長ののちに会津騒動などで弱き女性を守ることに力を尽くし、また若き江戸狩野派の絵師を支えたと言われています。
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樹木葬
先日に、京都の東福寺塔頭の正覚庵・筆の寺で行った納骨の様子の写真が送られて来ました。

ありがとうございます。

普段は入れないお堂や樹木葬の様子を見ていただけるかと思います。

祖父や祖母の時代はお葬式と言っても大変で家でお通夜も町内の方とか呼んで御詠歌あげていただいたり、親戚縁者読んだり、お葬式も大変だった記憶があります。

父の時は、もう私たちの代になっていましたし、ブライトホールで家族葬でやりましたが、かなり簡単にはなりましたが、簡単でもお通夜があったり、菩提寺から御住職に来ていただいたりといろいろしんどかったです。

その後に、昨年には兄弟で話して、このままお寺にお墓があっても次の世代は誰も行かなくなるし、私たちもあまり行けないので、永代供養にして墓終いにしようかと話して、菩提寺と相談して、今のお墓にお世話になっている分は永代供養をお願いして、墓終いはいろいろ手続きや費用も大変になるので、そのままにして、都合の良いときにお参りする形になりました。

それで昨年の弟の時には、もう予想出来てましたし、小さなお葬式に入ってて、お墓も正覚庵(妹の旦那が樹木葬になってる)での樹木葬に決めてましたので、亡くなった日のお葬式の打ち合わせ(契約のホールがあり、ホールによって違う)と、葬式と焼き場だけで簡単に済ませる事が出来て、百ヶ日に法要と納骨を正覚庵さんで行いした。

ちなみに四十九日の法事は知恩院さんで、その日に申し込んで行いました。

先日の母の時も小さなお葬式の契約がありましたので簡単に楽に済ませて、また正覚庵さんで百ヶ日と納骨をお願いしました。
スタッフの方が付いて下さるので安心してお任せ出来ます。

昔の方が聞いたら何だそれと怒るかも知れないですが、今の時代のような家族や親戚の関係では、簡単に費用も押さえて身内の負担も少ない小さなお葬式や樹木葬みたいな形も良いと思っていますし、私の時も小さなお葬式と正覚庵さんの樹木葬にお世話になると、もう場所も確保してありますからね(笑)
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正覚庵
納骨があり京都の東福寺塔頭の正覚庵さんへお参りして来ました。

正覚庵さんへは私の身内も樹木葬でお世話になっていて、新たにまたお世話になりました。

正覚庵さんでは、ちょうど本堂の襖絵(あの風神や雷神を描かれました)を描かれた山本隆先生の展示会をされてて、私も少しお話させていただけて感激でした。

それで本堂が使えないので、威徳堂での法要になりましたので、普段は入れない威徳堂へ入れて良かったです、お堂の中には大きな筆が祀られていました。

雨の中での樹木葬の納骨になりましたが、これで一応片付いてしばらくは落ち着けます。

御朱印で来られる方も多いそうで、お忙しいみたいでした。
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