光秀寺
大阪府高石市にある日向山光秀寺(こうしゅうじ)へ行きました。

前からお参りしたくて、ようやくお参りしたのですが、観光寺院ではなく通常のお寺で、門が閉まってましたので、外からの写真を撮り門外から手を合わせて来ました。

光秀寺の名や桔梗紋からも判るように明智光秀に所縁のお寺だそうです。

境内には、光秀公縁の寺の石碑も建てられています。

戦国時代末期、「本能寺の変」が起きた天正10年(1582年)に、仁海上人によって創建されたと伝えられています。

元々は泉大津市助松町にありましたが、昭和51年(1976年)にこの高石の地に移転されたようです。

山号の日向山や寺号の光秀寺、また桔梗の紋からもわかるように、この仁海上人が明智光秀一族と何らかの関係があって、このように名付けられたと思われます。

一説によると、三好宗三が和泉に勢力を誇っていたとき、その弟である三好長円が泉大津市助松に蓮正寺を建て、境内に仁海上人が“助松庵”を建立したそうです。

その助松庵に明智光秀公が隠棲したとの伝説があるようです。

また、この地域に残る「和泉伝承志」によれば、「山崎の戦い」で敗れて殺害された明智光秀とされる遺体を、偽物かあるいは影武者ではないかと否定し、明智光秀は京都の妙心寺に逃げて自死を選んだが止められて、和泉の貝塚に向かったと書かれているそうです。

仁海上人と言えば、京都の小野随心院の方ですかね、大きな墓所がありますね。

いろいろ謎も多くて、また調べてみたいです。