2021年01月の記事


太融寺
大阪の太融寺にある淀君のお墓へお参りして来ました。

太融寺は、大阪の梅田に近くビル界にある真言宗のお寺です。

なぜ淀君のお墓があるのか?

大阪夏の陣で大阪城が落城する時に、淀君は秀頼と共に自刃しました。

その後、二人の遺骨は大阪城近くの弁財天の側に淀姫神社として祀られましたが、弁財天が生國魂神社に合祀される時に、所縁のある太融寺に遺骨が移されてお祀りされたそうです。

淀君は数奇な運命をたどった方で、好き嫌いの別れる女性ですが、彼女の運命や生き方が性格にも影響した部分も大きいのでしょうね。
コメント (0)

交野天神社
大阪の樟葉にある交野天神社へお詣りして来ました。

周りを森に囲まれた静かな歴史ある神社です。

継体天皇が即位された樟葉の宮の地に貴船神社があります。

継体天皇は、本来なら天皇になられる立場ではなかったですが、いろいろ複雑な経緯で樟葉の宮で天皇に即位され、その後もなかなか大和には入られなかったとかあります。

こういう静かな森に囲まれた神社は、清浄な雰囲気を感じますね。
コメント (0)

畜生塚
京都の瑞泉寺さんへお参りして来ました。

瑞泉寺さんは、豊臣秀次と一族を弔うお寺とされています。

豊臣秀次は、豊臣秀吉の姉の子で、当時は子がいなかった秀吉にとって養子として後継ぎにしたのです。

秀次は、秀吉の後継ぎとして関白の位になり聚楽第に住んだとなっています。

しかし、秀吉と淀君の間に秀頼が産まれると、秀吉としては秀頼にすべてを継がせたくなりました。

さまざまな諸説があるのですが、秀次は謀反の疑いや悪逆な行為があったとして、高野山で監禁の後に切腹させられたのです。

それだけではなく、秀次の家臣なども罪に問われました。

また、秀次の一族を根絶やしにするかのように、子女や妻や側室など三十名以上が京都の三条河原で処刑され、遺体は側に掘られた穴へ投げ捨てられました。

さらに、遺体を投げ捨てた穴を埋めて土を盛り大きな塚にすると、秀次の首を石櫃に入れてさらし、「畜生塚」としたそうです。

武将の最上義光の娘の駒姫は美貌の少女でしたが、秀次に見初められて、何度も断ったが断り切れずに、15歳で側室にと京都に着いた時期に秀次が切腹させられました。

京都に来ただけで、まだ秀次にも会っていないし、側室に決まったわけでもないのですが、処刑を申し付けられました。

父の最上義光や周囲の人々もあまりにかわいそうと助命を嘆願しましたが、間に合わずに同じく三条河原で処刑されたのでした。

駒姫の母も、後に後を追ってか亡くなったそうです。

そういう事から秀吉は反感や怒りをかい、後の関ヶ原の戦いでの徳川方に多くの武将がついた要因でもあったとも言われています。

その後、角倉了以により、畜生塚のあった場所に、瑞泉寺を建立して、豊臣秀次と処刑された子女などを弔うお寺としたそうです。

境内には、塚にあった秀次の首の石櫃が祀られて、一族の墓も祀られています。

また、本堂前には豊臣秀次の姿を書いた御朱印が書き置きで置かれており、いただく事が出来ます。
コメント (0)

萬福寺
京都の萬福寺さんへお参りしました。

萬福寺さんも、人が少なくてほぼ貸し切り状態でした。

好きなお寺で年に何回かはお参りしています。

布袋尊を見ると祖父を思い出すと言うか、私もだんだん似てきたかも( 笑)

有名な魚板もゆっくりみれますし、らごら尊者も変わらずお腹開けて仏様がこんにちはですね。

御朱印は、昨年も新年に特別御朱印を出されてたのでもしやと思ったら今年も授与されていました。

また、コロナが落ち着いたら、付近のお寺もゆっくりお参りしたいと思います。
コメント (0)

光秀寺
大阪府高石市にある日向山光秀寺(こうしゅうじ)へ行きました。

前からお参りしたくて、ようやくお参りしたのですが、観光寺院ではなく通常のお寺で、門が閉まってましたので、外からの写真を撮り門外から手を合わせて来ました。

光秀寺の名や桔梗紋からも判るように明智光秀に所縁のお寺だそうです。

境内には、光秀公縁の寺の石碑も建てられています。

戦国時代末期、「本能寺の変」が起きた天正10年(1582年)に、仁海上人によって創建されたと伝えられています。

元々は泉大津市助松町にありましたが、昭和51年(1976年)にこの高石の地に移転されたようです。

山号の日向山や寺号の光秀寺、また桔梗の紋からもわかるように、この仁海上人が明智光秀一族と何らかの関係があって、このように名付けられたと思われます。

一説によると、三好宗三が和泉に勢力を誇っていたとき、その弟である三好長円が泉大津市助松に蓮正寺を建て、境内に仁海上人が“助松庵”を建立したそうです。

その助松庵に明智光秀公が隠棲したとの伝説があるようです。

また、この地域に残る「和泉伝承志」によれば、「山崎の戦い」で敗れて殺害された明智光秀とされる遺体を、偽物かあるいは影武者ではないかと否定し、明智光秀は京都の妙心寺に逃げて自死を選んだが止められて、和泉の貝塚に向かったと書かれているそうです。

仁海上人と言えば、京都の小野随心院の方ですかね、大きな墓所がありますね。

いろいろ謎も多くて、また調べてみたいです。
コメント (0)

大阪天満宮
大阪天満宮さんへお詣りして来ました。

ちょうど、えびす祭の期間中でえびす祭バージョンになってて華やかでした。

大阪天満宮は、大阪でも庶民に親しまれている神社なので、朝とかでも次々にお詣りされる方が絶えませんね。

もともとは、境内にある大将軍社に菅原道真公が立ち寄ってお詣りしたのが天満宮となったそうです。

境内の撫で牛さんは可愛い表情なのですが、お正月は撫で牛を撫でる人で長蛇の行列になっていたとか、頭とかピカピカになっていました。
コメント (0)

十日えびす
京都の京都えびす神社へお詣りして来ました。

10日えびすの最中ですね、コロナ禍の中でもたくさんの方がお詣りされています。

?商売繁盛で笹持って来い?

と私も少し関わりあるので・・無いか

毎年お詣りしています。

毎年の東映太秦の女優さんの宝恵駕籠が楽しみなのですが、今年はコロナの影響で中止なのが残念です。
コメント (0)

追悼・・・福本清三さん
追悼・・・

私が大好きだった役者の福本清三さんがお亡くなりになられました。

東映の俳優として、多くの時代劇に出演され、斬られ役として5万回斬られた男とも呼ばれていました。

テレビやドラマで見かけた方も多いと思います。

時代劇を愛し斬られ役として、多くの有名俳優の相手をされ、福ボンと親しまれ信用されてました。

私は、とにかく大好きで太秦映画村で福本さんのショーがある時には駆けつけて、いつも最前列でうっとり眺めていました。

御一緒に撮影した写真は家宝です。

とにかく時代劇を愛されて時代劇の衰退を嘆いておられました。

斬られて、後ろに海老反りに倒れる姿は福本さんならではですね。

福本さんの事を書いた「どこかで誰かが見ていてくれる」は売れましたね。

トム・クルーズ主演のラストサムライでは、トム・クルーズの護衛役で話題になりました。

そして福本さんの主演作「太秦ライムライト」は、実際の福本さんと重なるシーンも多くて松方弘樹さんとの立ち回りはかっこよくて、震えるくらいで泣きました。

いくらでも書きたい事が出てきます。

天国には、時代劇の名優さんがたくさん待ってられるから、またあちらで思いきり時代劇されるのかな。

何か悲しいより、心の中に穴が空いたようで、呆然としています。

今は、心より御冥福をお祈りいたします。
コメント (0)

吉祥院天満宮
京都の吉祥院天満宮へお詣りして来ました。

私の実家近い神社で年に何度かはお詣りしています。

昨年に金の撫で牛が出来て、お腹の下を潜れるようになっています。

他にも白馬やキティちゃんや舞妓さんや菅原道真公やかぐや姫?などキャラが渋滞しています。

また、毎年干支の人形を作られてますが、これが微妙なユルさで毎年楽しみにしています。
コメント (0)