2020 06/03 18:39
Category : 日記
京都の阿弥陀寺の信長忌にお参りして来ました。
京都の上京区の寺町通りにある阿弥陀寺は織田信長の本廟とされています。
6月2日は本能寺の変がおきた日で、織田信長の命日とされ、阿弥陀寺では信長忌の法要が行われます。
毎年、たくさんの方で混雑するので、今年はコロナの影響もあり、6月1日と2日に分けて行われましたが、それでも本堂はいっぱいの人でした。
さて、歴史的に本能寺の変で討たれた信長の遺体は見つかっていない事になっています。
阿弥陀寺の寺伝では、当時は阿弥陀寺の住職と信長は親交があり、本能寺の変の報を受けた住職は本能寺(当時と場所は違う)へ駆けつけ、裏庭の方で信長の遺骸を運び出した家臣と遭遇し、信長の頭を託されて、残った胴体は焼いて見つからないようにしたそうです。
その後に、阿弥陀寺では織田信長の頭部を供養して墓所としました。
すると、羽柴秀吉は自分が引き取って供養したいと申し出たのですが、信長の後継者争いに利用される事を避けて断り、阿弥陀寺でお祀り続ける事にしました。
ちなみに、秀吉はどうしても信長の後継者の立場を採りたいために、大徳寺で信長の法要を行い、菩提寺として総見院を建立しました。
阿弥陀寺では、墓地に行き、織田信長の墓所をお参りして静かに手を合わせました。
阿弥陀寺の墓所には、織田信長と信長の息子の信忠が眠っています。
また、横には森蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟や家臣の墓が並んでいます。
余談ですが、阿弥陀寺にある信長の木造と、総見院にある信長の木像はいずれも信長を実際に知っている人が作ったものでどちらも良く似ています。
さらに、一般に知られている織田信長の肖像画にも似ているので、一般に知られている信長の姿はほぼ似ているのかなと思っています。
京都の上京区の寺町通りにある阿弥陀寺は織田信長の本廟とされています。
6月2日は本能寺の変がおきた日で、織田信長の命日とされ、阿弥陀寺では信長忌の法要が行われます。
毎年、たくさんの方で混雑するので、今年はコロナの影響もあり、6月1日と2日に分けて行われましたが、それでも本堂はいっぱいの人でした。
さて、歴史的に本能寺の変で討たれた信長の遺体は見つかっていない事になっています。
阿弥陀寺の寺伝では、当時は阿弥陀寺の住職と信長は親交があり、本能寺の変の報を受けた住職は本能寺(当時と場所は違う)へ駆けつけ、裏庭の方で信長の遺骸を運び出した家臣と遭遇し、信長の頭を託されて、残った胴体は焼いて見つからないようにしたそうです。
その後に、阿弥陀寺では織田信長の頭部を供養して墓所としました。
すると、羽柴秀吉は自分が引き取って供養したいと申し出たのですが、信長の後継者争いに利用される事を避けて断り、阿弥陀寺でお祀り続ける事にしました。
ちなみに、秀吉はどうしても信長の後継者の立場を採りたいために、大徳寺で信長の法要を行い、菩提寺として総見院を建立しました。
阿弥陀寺では、墓地に行き、織田信長の墓所をお参りして静かに手を合わせました。
阿弥陀寺の墓所には、織田信長と信長の息子の信忠が眠っています。
また、横には森蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟や家臣の墓が並んでいます。
余談ですが、阿弥陀寺にある信長の木造と、総見院にある信長の木像はいずれも信長を実際に知っている人が作ったものでどちらも良く似ています。
さらに、一般に知られている織田信長の肖像画にも似ているので、一般に知られている信長の姿はほぼ似ているのかなと思っています。