大阪城の化け物屋敷
大阪城には化け物屋敷があったそうです。

大阪城にはいろいろな怪奇話が残されていると言います。

有名なのが淀君や秀頼の霊が彷徨っていると言うのをありますね。

他に、化け物屋敷があったと言う伝説があります。

徳川の世になってからのこと。

その化け物屋敷は、淀君と秀頼の自害碑からほど近い京橋口の近くの伏見櫓の付近の京橋口定番屋敷(公邸)だったそうです。

定番屋敷は大阪城を管理する重職の屋敷でしたが、この屋敷に住む者は高熱にうなされて病気になったり、自害する者がいたり、幽霊や化け物が住むと噂されていました。

それで、この屋敷に住む者たちは稲荷社を建てて無事を祈願したので、周辺には多くの稲荷社があったそうです。

やがて享保年間になり戸田大隅守が赴任してきました。

この戸田大隅守は化け物や信じないと言い、周辺にあった稲荷社を取り払い、城外の玉造稲荷へ移してしまったそうです。

しばらくすると屋敷に怪奇な事が起きました。

昼夜を問わずに幽霊や化け物が表れて怪しい出来事が続くようになったのでした。

そこで戸田大隅守は怪奇が起きる書院に籠ると、表れた化け物と死力を尽くして戦いました。

重傷を負いながらも化け物を倒しますと、そこには2メートルを超える大きな古狐が倒れていたそうです。

これが、大阪城の化け物屋敷の伝説だそうですが、この伏見櫓付近の場所は観光客も少なく、大きな岩や石柱が散乱して不気味な雰囲気の場所ではありました。