2016 03/12 15:04
Category : 日記
まだまだ朝は寒いですが、それでもずいぶんとましになってきて、早咲きの桜もさいてる事もありますね。
今日は、先週の鞍馬口周辺に続いて、寺町通りを散策してきました。
先週に行った天寧寺から寺町通りを歩いて下がって行き、西園寺・光明寺と過ぎて、前から来たかった「阿弥陀寺」へ行きました。
この阿弥陀寺は「織田信長の本廟」となっており、墓地には信長公墓所として織田信長と息子の信忠が祀られています。
寺伝のよると、この阿弥陀寺は織田家と由緒があり信長とも親交があったために、信長がいた本能寺が明智光秀に急襲された時に、この寺の僧らも駆けつけたものの、本能寺の表門は警戒が厳重ではいれないために裏門に回ると竹林に信長の家臣達がいたので事情を聞くと、信長はすでに自刃して遺体を隠すように命じられていたので信長の遺体を運び、ここで火葬して自分等も自害する所だと言うそうです。
そこで、僧達は、自分達は織田家と所縁があるので信長の遺骨を持ち帰り供養するので、家臣達は自害せずに敵に一矢報いて欲しいと説得し、信長の遺骨を寺に持ち帰ると土に埋めて隠したそうです。
また、信長の子供の信忠は二条城で光秀側に討たれて亡くなったので、そちらは僧等が光秀に頼んで遺骸を引き取ったそうです。
それらの事から、このお寺を本廟として、墓地に信長と信忠の遺骸をお祀りしてるそうです。
お寺には信長の木像とか寺宝もあるそうですが、普段は非公開になっているようです。
あいにく木像は見れませんが、この木像は、信長の没後の一年後くらいに作られたそうで、一番信長に似ているとの話もあるみたいです。
機会があれば見に行きたいです。
そこから阿弥陀寺を出ると、寺町通りを十念寺・仏陀寺と過ぎて、「本満寺」へお参りしました。
この本満寺には墓地に山中鹿之助のお墓がありました。
用事があったので今日はそこで帰りましたが、周辺には他にも行きたいお寺もありますので、また機会があれば行きたいと思います。
今日は、先週の鞍馬口周辺に続いて、寺町通りを散策してきました。
先週に行った天寧寺から寺町通りを歩いて下がって行き、西園寺・光明寺と過ぎて、前から来たかった「阿弥陀寺」へ行きました。
この阿弥陀寺は「織田信長の本廟」となっており、墓地には信長公墓所として織田信長と息子の信忠が祀られています。
寺伝のよると、この阿弥陀寺は織田家と由緒があり信長とも親交があったために、信長がいた本能寺が明智光秀に急襲された時に、この寺の僧らも駆けつけたものの、本能寺の表門は警戒が厳重ではいれないために裏門に回ると竹林に信長の家臣達がいたので事情を聞くと、信長はすでに自刃して遺体を隠すように命じられていたので信長の遺体を運び、ここで火葬して自分等も自害する所だと言うそうです。
そこで、僧達は、自分達は織田家と所縁があるので信長の遺骨を持ち帰り供養するので、家臣達は自害せずに敵に一矢報いて欲しいと説得し、信長の遺骨を寺に持ち帰ると土に埋めて隠したそうです。
また、信長の子供の信忠は二条城で光秀側に討たれて亡くなったので、そちらは僧等が光秀に頼んで遺骸を引き取ったそうです。
それらの事から、このお寺を本廟として、墓地に信長と信忠の遺骸をお祀りしてるそうです。
お寺には信長の木像とか寺宝もあるそうですが、普段は非公開になっているようです。
あいにく木像は見れませんが、この木像は、信長の没後の一年後くらいに作られたそうで、一番信長に似ているとの話もあるみたいです。
機会があれば見に行きたいです。
そこから阿弥陀寺を出ると、寺町通りを十念寺・仏陀寺と過ぎて、「本満寺」へお参りしました。
この本満寺には墓地に山中鹿之助のお墓がありました。
用事があったので今日はそこで帰りましたが、周辺には他にも行きたいお寺もありますので、また機会があれば行きたいと思います。