2014年02月の記事


ぼくがいるよ
私が読んで感動した、NPO法人日本語検定委員会主催で毎年行われる『日本語大賞』で今年、文部科学大臣賞・小学生の部を受賞した森田悠生君(もりた ゆうせい)の作品を紹介します。


「ぼくがいるよ」
(千葉県 富津市立富津小学校 四年 森田悠生君)

お母さんが帰ってくる!

一ヶ月近く入院生活を送っていたお母さんが戻ってくる。お母さんが退院する日、ぼくは友だちと遊ぶ約束もせず、寄り道もしないでいちもくさんに帰宅した。久しぶりに会うお母さんとたくさん話がしたかった。話したいことはたくさんあるんだ。

帰宅すると、台所から香ばしいにおいがしてきた。ぼくの大好きなホットケーキのはちみつがけだ。台所にはお母さんが立っていた。少しやせたようだけど、思っていたよりも元気そうでぼくはとりあえず安心した。「おかえり」いつものお母さんの声がその日だけは特別に聞こえた。そして、はちみつがたっぷりかかったホットケーキがとてもおいしかった。お母さんが入院する前と同じ日常がぼくの家庭にもどってきた。

お母さんの様子が以前とちがうことに気が付いたのはそれから数日経ってからのことだ。みそ汁の味が急にこくなったり、そうではなかったりしたのでぼくは何気なく「なんだか最近、みそ汁の味がヘン。」と言ってしまった。すると、お母さんはとても困った顔をした。

「実はね、手術をしてから味と匂いが全くないの。だから、料理の味付けがてきとうになっちゃって・・・」お母さんは深いため息をついた。そう言われてみると最近のお母さんはあまり食事をしなくなった。作るおかずも特別な味付けが必要ないものばかりだ。

しだいにお母さんの手作りの料理が姿を消していった。かわりに近くのスーパーのお惣菜が食卓に並ぶようになった。そんな状況を見てぼくは一つの提案を思いついた。ぼくは料理が出来ないけれどお母さんの味は覚えている。だから、料理はお母さんがして味付けはぼくがする。共同で料理を作ることを思いついた。

「ぼくが味付けをするから、一緒に料理を作ろうよ。」ぼくからの提案にお母さんは少しおどろいていたけど、すぐに賛成してくれた。「では、ぶりの照り焼きに挑戦してみようか」お母さんが言った。ぶりの照り焼きは家族の好物だ。フライパンで皮がパリッとするまでぶりを焼く。その後、レシピ通りに作ったタレを混ぜる。そこまではお母さんの仕事。タレを煮詰めて家族が好きな味に仕上げるのがぼくの仕事。だいぶ照りが出てきたところでタレの味を確かめる。「いつもの味だ。」ぼくがそう言うと久しぶりにお母さんに笑顔が戻った。

その日からお母さんとぼくの共同作業が始まった。お父さんも時々加わった。

ぼくは朝、一時間早起きをして一緒に食事を作るようになった。

お母さんは家族をあまり頼りにしないで一人でなんでもやってしまう。でもね、お母さん、ぼくがいるよ。ぼくはお母さんが思っているよりもずっとしっかりしている。だから、ぼくにもっと頼ってもいいよ。ぼくがいるよ。

いつか、お母さんの病気が治ることを祈りながら心の中でそうくり返した。
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邪馬台
北森鴻さんの未完の遺作となった蓮杖那智シリーズ「邪馬台」を読了した。

異端の民俗学者の蓮杖那智の活躍シリーズで大好きだったが、北森さんが亡くなられて未完となっていたのを、婚約者であるという浅野理沙子さんが続きを書かれた物で、やはり浅野さんが書かれた部分になると感じが微妙に違うのが気になってしまい残念ではある。

蓮杖那智の下へ、明治時代に消失した村が残した阿久仁村遺聞と言う書の謎を巡り、邪馬台国や卑弥呼、出雲神話、そして記紀の謎にまで迫る作品で、目から鱗が落ちる解釈でなかなか面白く興味深い作品であった。

ミステリファンはもちろん、歴史ファンや考古学ファンや民俗学ファンにもお勧めの作品である。

ただ、北野鴻さんが亡くなられているのでファンとして、もう作品が読めないのが悔しくも残念である。
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雪の嵯峨野
今日は各地で雪になっていますね。

京都も雪だろうと思っていたのですが、嵯峨野に行って見るとかなり雪が積もって白い世界でした。

朝には雪から雨に変わっていたので、道は雪が積もってるのと解けてるのとで歩きにくかったですね。

京都で雪の降る日は観光客よりも写真を撮りに来た人が多いですね。

化野へも行ったのですけど、化野念仏寺は雪のために危険なので拝観中止になっていました。

せっかく念仏寺に来られた方は拝観中止でがっかりされてましたね。

私は、まゆ村で少しのんびりしてお話して帰って行きました。
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懸想文
今年も2月になり明日は節分ですね。

法要も少し落ち着いたので、今日は小雨の中を京都の須賀神社・交通神社まで懸想文を求めに行きました。

かつて、江戸時代の京都では、烏帽子に水干姿で梅の木の枝に文をつけて、覆面をして懸想文を売り歩く懸想文売りが京の街を賑わしたそうです。

懸想文は、ほんらいは恋文の事ですが、この懸想文売りの懸想文を求め、人知れず鏡台や箪笥の引き出しに入れておくと、顔かたちが美しくなり、着物が増え、良縁があると言うので京の街では女性に人気で買い求められたと言います。

この風習は明治維新後は途絶えたのですが縁結びの御利益のある須賀神社で復刻して節分の日に懸想文売りの手から買い求める事ができるのです。

この懸想文は、実際に文が書かれており、毎年、昨年の干支から今年の干支への恋文になっております。

私は喪中のケガレの身なので神社の中には入らずに、外から懸想文売りの方にお願いして売っていただきました。

また、この付近は八つ橋の発祥地である聖護院にも近いので、八つ橋のお店も多く、節分限定の商品も売られており、私も鬼の生八つ橋を買って帰りました。

生の八つ橋も風味がよくてあっさりして美味しいですよ。
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