2011 12/30 01:43
Category : 日記
今年も残り少しで年の瀬を迎えた。
この年末年始に行事として行われる事、あるいは習慣として行っている事にはそれぞれ意味合いがあると言う。
まず、12月の中旬~下旬にお寺や神社で「煤払い」(すすはらい)が行われるのをニュース等で見かける事があると思う。
これは、年神様が来られる元旦を迎えるために家屋の汚れを祓い清める儀式である。
本来は、各家庭でも12月の13日に竹で煤を払ったり掃除したそうであるが、13日だとまだ年越しまで日にちがあるのでまた部屋が汚れるので、徐々に日にちがばらばらになり年末の大掃除と同じになってきたそうだ。
ちなみに、元旦には掃除をしてはいけない事になっており、これは年神様がもたらせてくださった福を掃きださないためであり、また年神様がいらっしゃるのに掃除したり騒がしくしないためだと言う。
さて、煤払いが終わると準備されるのが「門松」(かどまつ)「注連飾り」(しめかざり)である。
門松は、家の玄関の門口に飾り、年神様をお迎えするための物であり、また悪い物が入らないようにする結界でもあると言う。
地方によって門松の形や様式は違うようで、京都では「根引きの松」と呼ばれる物を飾ったりしている。
現在、一般的な門松の形は、徳川家康のブレーンであった天海僧正が徳川家の繁栄を願って考えたものだと言う説があり、これが各大名によって広がっいったとも言われている。
門松の風習自体は平安末期から鎌倉時代に普及して民間にも広がったようで、松は年中色が変わらないことから、今年も昨年どうように年神様に来てもらう目印であり、また神の依代(よりしろ)でもあると言う。
できれば依代として、命のある生の松を使うのが望ましいようだ。
注連飾りも各地でいろいろな形があるようである。
注連縄は藁を用いて作られるが、藁とは稲の茎を乾燥させたものであり、米を収穫し自然の恩恵、そして神の御加護を感謝する事は農耕民族であった日本人には、稲穂の藁をより、飾る事は大切な事であった。
藁には、その場所や物を清める意味合いがあり、その藁で作られた注連飾りは、その場を清め結界を張るためでもあるそうだ。
また神の依代としての意味もあり、悪い物が入らないためでもあるので、玄関だけでなく、お風呂やお手洗いなどの不浄の場所、また自動車や自転車にまで付けられているのも見かける事もある。
「鏡餅」(かがみもち)は諸説あるのであるが、満月を現す望月(もちづき)から生まれたと言われえてもおり、丸い餅は人の心や魂を写す鏡と言う意味から鏡餅として平安時代から現在まで伝えられてきたと言う。
また、鏡は三種の神器の一つでもあり、神社などで神の依代として祀られている事も多い。
そういう意味で鏡餅も神の依代でもあるのである。
二段重ねにされるのは陰と陽、月と太陽を現しているとも言われている。
そこに、「ゆずり葉」「昆布」「古老柿」(ころがき)「橙」(だいだい)等の縁起物が乗せられて、お正月に欠かせない縁起物となっている。
床の間や神棚に飾る事が基本であるが、台所やお手洗い、または仕事場や勉強部屋などに飾ることもあるそうだ。
「お節料理」も、神様がいらっしゃる元旦に煮炊きをして騒がしくしないと言う意味でもあり、また様々な縁起物を食べ物としていただく事でもある。
また、正月は一年で最初の節句でもあるので、この時に食べる縁起物を「お節」と言うのだそうだ。
各地方や各家庭で違いがあるが「黒豆」(まめに健康に働けるように無病息災)「数の子」(子孫繁栄)「たたき牛蒡」(大地に根を張るように栄える)「田作り」(ごまめ・小さくても尾頭付きで豊作祈願)等が基本であり、そこにいろいろな縁起や謂れのある物が添えられている。
さて、昔は大晦日の夜には厄払いや大祓い、豆撒きなどで魔を祓い、厄を祓って元旦に年神様を迎える準備をしたそうだ。
除夜の鐘を百八つの煩悩の数だけ撞くと言うのも鐘の音で心の不浄や煩悩を清めるお祓いと言えるだろう。
昔は大晦日の夜は寝てはいけないと言う風習があり、地方や家庭によっては今も守られている所もあるそうだ。
これは、年神様をお迎えし、来られたときに寝ていてはいけないと言う事から来た風習である。
年神様は、卯の方角(東)から降臨されるので卯の刻(午前六時)にお迎えするために眠らずにお正月を迎えるのが本来のしきたりであったそうだ。
先に書いた除夜の鐘の「除夜」も夜を除くと言う意味で、眠らずに神様をお迎えする事の大切さを現している。
そして元日の朝に初めて汲む水の事を「若水」(わかみず)と言う縁起物で、この若水を使ってお雑煮を作ったりするの良いとされ、京都では大晦日のおけら参り等でもらって来た火種でお雑煮を作るのがいいともされている。
「お雑煮」(おぞうに)は、これも各地や各家庭でいろいろなやり方があると思う。
昔は、年末に餅つきを行い、そのお餅を神様に供えていて、そのお下がりの餅を使ってお雑煮を作るので、神様のお下がりをいただいてお相伴することで、「年魂」(としだま)と言う新たな力をいただく縁起物なのである。
この年魂が、「お年玉」になるのであり、昔はお金でなくお餅を配ったそうである。
だから本来の意味は神様からのご祝儀であり、生きて成長するだけでめでたいとする祝いでもあったと言う。
またお正月に使う箸が「柳箸」(やなぎばし)「祝い箸」と言うお箸で、柳で作られた白木の少し太いお箸で両端が細くなっている。
これは何度も書いたようにお正月に年神様をお迎えして、お雑煮やお煮しめ等を一緒にいただくために、片方が神様に使っていただき、もう片方で自分がいただくと言う意味があるのである。
柳で作るのは柳の木が神の依代で縁起の良い木であり、白い色も清浄で邪気を祓うからだそうだ。
また、お正月には「お屠蘇」(おとそ)をいただく家庭もあると思うが、屠蘇とは「蘇」(そ)と言う悪鬼を屠ると言う意味があり、「一人これを呑めば一家病なく、一家これを呑めば一里病無し」と言う強力な祓いの力を持つそうである。
「屠蘇散」(白朮・防風・桔梗の根・肉桂・陳皮・蜀椒の実などを合わせたもの)酒や味醂などに浸して作られた薬酒で一年の邪気を祓い延命を願って「屠蘇器」という特別な酒器で呑まれたりするそうだ。
お正月の挨拶といえば「あけましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いいたします」と言う言葉であるが、もとは宮中の年賀や朝賀の儀式から来ているそうである。
「あけましておめでとうございます」は、前年度を無事に乗り越えて新しい年が「明ける」「開ける」と言う目出度い祝辞のことばであり、だからこそ相手を祝す言葉でもあるので、きちんと使うべき言葉でもある。
また、「今年もよろしくお願いいたします」と言う言葉の「よろしく」は「宜しく」「うまい具合に」お付き合いくださいと相手にお願いする言葉でもある。
だからこそ、新年の祝言であり、お願いの言葉であるから大切に用いる言葉でもあるそうだ。
そして、新年になり始めて寺社にお参りするのが初詣であるが、できれば三が日の間にはお参りしたいものである。
大晦日から酔ったままでお参るする人も見かけるが、そもそも神社は神様のお宅のような物であり、そこに今年の福を授けてもらったり祈願したりしにお願いする物であるから、神様に失礼のないように心がけるのは当たり前ではないだろうか。
基本的なお参りの順序としては、鳥居は真ん中は神様の通路であるので遠慮して端を歩き、手水に進む。
手水では、右手に柄杓を持って水を汲み左手に水をかけて清める。
次に、柄杓を左手に持ち替えて右手に水をかけて清める。
再び、柄杓を右手に持ち替えて清めた左手で柄杓から汲んだ水を受けて、その受けた水を口に含み口を漱ぐのである(柄杓を直接口につけてはいけない)。
この後で、水を口に含ませた左手をもう一度水をかけて清める。
最後に、柄杓を立てるようにして残った水を流して柄杓の柄の部分を清めて、柄杓を元の場所に戻すのである。
続いて拝殿に向かうとお賽銭箱にお賽銭を入れるのであるが、これは身の穢れを預かっていただく意味と、神様に稲穂などを捧げる「初穂」の神事から来ているそうだ。
次に鈴を鳴らすのであるが、これは神様に自分が来たことをお知らせするとともに、鈴の音によって邪気を祓う意味もあるのだと言う。
そして、参拝は二拝・二拍手・一拝が基本である。
拝殿で、二度深いお辞儀を行い、次に二度拍手を打ち、最後にもう一度深いお辞儀を行うのが作法である。
ちなみに、御神籤を神社の木などに結ぶ方も多いようだが、基本的に良い御神籤は持ち帰り、凶等の悪い物のみ凶を置いてくると言う意味で結んでくるのが一般的である(これも諸説ある)
なお、先に書いたように神社は神様のお宅のような物であるから、訪問するときと帰るとき、つまり始めに鳥居に入る前と、帰りに鳥居をくぐった後に、社殿に向かってお辞儀するのが礼儀でもあると思う。
そういうことで、年末年始に関して思うことをあれこれ書いてみたが、これらも諸説や作法もいろいろとあり、違うやり方や考え方や作法も多いようであり、それぞれのやり方で良いと思う。
あくまで、何かのご参考になれば程度であるので、あまり気にされませんように。
さて、来年の干支は「辰」(たつ)であるが、十二支のうちで唯一の架空の生き物である。
しかし、竜は古代からインドのナーガ信仰とか仏教でも様々な信仰を集めている聖獣である。
龍の姿は、九種類の生き物が集められた物で、頭はラクダ・角は鹿・目は鬼・耳は牛・身体は蛇・うなじは蜃(おおはまぐり)・鱗は鯉・爪は鷹・手のひらは虎になっているそうだ。
また、背中の鱗は81枚(9×9)と九九の意味を持ち、声は銅鑼のようで、口にヒゲを持ち、喉の下に逆鱗があると言う。
頭の上には山の形をした博山があり更木と言うそうだ。
水や川を神格化したものだとされており、雨乞いの時など竜王や竜神に祈祷されてきた。
ちなみにお寺などの上に龍が付けられたり描かれたりするのは、龍が水を呼ぶために火難避けの意味もあるのだそうである。
起源にも諸説あるが竜巻を見立てた物であるとも言われており、竜巻のように大地と天とを結ぶ生き物として海や湖などの水に棲み天に登るとされてきたのだそうだ。
龍の字は、竜の字がもともとの字で龍の字は後から作られたものだと聴いた事がある。
まだまだ龍については書き足りないが、ある時は恐怖の対象であり、ある時は神聖な聖獣として身近に親しまれているのではないだろうか。
今年は私のブログやホームページに御訪問いただいた方や書き込みやコメントいただいた方などいろいろとお世話になり、深く感謝しております。
どうかお身体に気をつけて、良いお正月をおむかえくださいませ。
皆様の御健康と御多幸をお祈りしております。
この年末年始に行事として行われる事、あるいは習慣として行っている事にはそれぞれ意味合いがあると言う。
まず、12月の中旬~下旬にお寺や神社で「煤払い」(すすはらい)が行われるのをニュース等で見かける事があると思う。
これは、年神様が来られる元旦を迎えるために家屋の汚れを祓い清める儀式である。
本来は、各家庭でも12月の13日に竹で煤を払ったり掃除したそうであるが、13日だとまだ年越しまで日にちがあるのでまた部屋が汚れるので、徐々に日にちがばらばらになり年末の大掃除と同じになってきたそうだ。
ちなみに、元旦には掃除をしてはいけない事になっており、これは年神様がもたらせてくださった福を掃きださないためであり、また年神様がいらっしゃるのに掃除したり騒がしくしないためだと言う。
さて、煤払いが終わると準備されるのが「門松」(かどまつ)「注連飾り」(しめかざり)である。
門松は、家の玄関の門口に飾り、年神様をお迎えするための物であり、また悪い物が入らないようにする結界でもあると言う。
地方によって門松の形や様式は違うようで、京都では「根引きの松」と呼ばれる物を飾ったりしている。
現在、一般的な門松の形は、徳川家康のブレーンであった天海僧正が徳川家の繁栄を願って考えたものだと言う説があり、これが各大名によって広がっいったとも言われている。
門松の風習自体は平安末期から鎌倉時代に普及して民間にも広がったようで、松は年中色が変わらないことから、今年も昨年どうように年神様に来てもらう目印であり、また神の依代(よりしろ)でもあると言う。
できれば依代として、命のある生の松を使うのが望ましいようだ。
注連飾りも各地でいろいろな形があるようである。
注連縄は藁を用いて作られるが、藁とは稲の茎を乾燥させたものであり、米を収穫し自然の恩恵、そして神の御加護を感謝する事は農耕民族であった日本人には、稲穂の藁をより、飾る事は大切な事であった。
藁には、その場所や物を清める意味合いがあり、その藁で作られた注連飾りは、その場を清め結界を張るためでもあるそうだ。
また神の依代としての意味もあり、悪い物が入らないためでもあるので、玄関だけでなく、お風呂やお手洗いなどの不浄の場所、また自動車や自転車にまで付けられているのも見かける事もある。
「鏡餅」(かがみもち)は諸説あるのであるが、満月を現す望月(もちづき)から生まれたと言われえてもおり、丸い餅は人の心や魂を写す鏡と言う意味から鏡餅として平安時代から現在まで伝えられてきたと言う。
また、鏡は三種の神器の一つでもあり、神社などで神の依代として祀られている事も多い。
そういう意味で鏡餅も神の依代でもあるのである。
二段重ねにされるのは陰と陽、月と太陽を現しているとも言われている。
そこに、「ゆずり葉」「昆布」「古老柿」(ころがき)「橙」(だいだい)等の縁起物が乗せられて、お正月に欠かせない縁起物となっている。
床の間や神棚に飾る事が基本であるが、台所やお手洗い、または仕事場や勉強部屋などに飾ることもあるそうだ。
「お節料理」も、神様がいらっしゃる元旦に煮炊きをして騒がしくしないと言う意味でもあり、また様々な縁起物を食べ物としていただく事でもある。
また、正月は一年で最初の節句でもあるので、この時に食べる縁起物を「お節」と言うのだそうだ。
各地方や各家庭で違いがあるが「黒豆」(まめに健康に働けるように無病息災)「数の子」(子孫繁栄)「たたき牛蒡」(大地に根を張るように栄える)「田作り」(ごまめ・小さくても尾頭付きで豊作祈願)等が基本であり、そこにいろいろな縁起や謂れのある物が添えられている。
さて、昔は大晦日の夜には厄払いや大祓い、豆撒きなどで魔を祓い、厄を祓って元旦に年神様を迎える準備をしたそうだ。
除夜の鐘を百八つの煩悩の数だけ撞くと言うのも鐘の音で心の不浄や煩悩を清めるお祓いと言えるだろう。
昔は大晦日の夜は寝てはいけないと言う風習があり、地方や家庭によっては今も守られている所もあるそうだ。
これは、年神様をお迎えし、来られたときに寝ていてはいけないと言う事から来た風習である。
年神様は、卯の方角(東)から降臨されるので卯の刻(午前六時)にお迎えするために眠らずにお正月を迎えるのが本来のしきたりであったそうだ。
先に書いた除夜の鐘の「除夜」も夜を除くと言う意味で、眠らずに神様をお迎えする事の大切さを現している。
そして元日の朝に初めて汲む水の事を「若水」(わかみず)と言う縁起物で、この若水を使ってお雑煮を作ったりするの良いとされ、京都では大晦日のおけら参り等でもらって来た火種でお雑煮を作るのがいいともされている。
「お雑煮」(おぞうに)は、これも各地や各家庭でいろいろなやり方があると思う。
昔は、年末に餅つきを行い、そのお餅を神様に供えていて、そのお下がりの餅を使ってお雑煮を作るので、神様のお下がりをいただいてお相伴することで、「年魂」(としだま)と言う新たな力をいただく縁起物なのである。
この年魂が、「お年玉」になるのであり、昔はお金でなくお餅を配ったそうである。
だから本来の意味は神様からのご祝儀であり、生きて成長するだけでめでたいとする祝いでもあったと言う。
またお正月に使う箸が「柳箸」(やなぎばし)「祝い箸」と言うお箸で、柳で作られた白木の少し太いお箸で両端が細くなっている。
これは何度も書いたようにお正月に年神様をお迎えして、お雑煮やお煮しめ等を一緒にいただくために、片方が神様に使っていただき、もう片方で自分がいただくと言う意味があるのである。
柳で作るのは柳の木が神の依代で縁起の良い木であり、白い色も清浄で邪気を祓うからだそうだ。
また、お正月には「お屠蘇」(おとそ)をいただく家庭もあると思うが、屠蘇とは「蘇」(そ)と言う悪鬼を屠ると言う意味があり、「一人これを呑めば一家病なく、一家これを呑めば一里病無し」と言う強力な祓いの力を持つそうである。
「屠蘇散」(白朮・防風・桔梗の根・肉桂・陳皮・蜀椒の実などを合わせたもの)酒や味醂などに浸して作られた薬酒で一年の邪気を祓い延命を願って「屠蘇器」という特別な酒器で呑まれたりするそうだ。
お正月の挨拶といえば「あけましておめでとうございます」「今年もよろしくお願いいたします」と言う言葉であるが、もとは宮中の年賀や朝賀の儀式から来ているそうである。
「あけましておめでとうございます」は、前年度を無事に乗り越えて新しい年が「明ける」「開ける」と言う目出度い祝辞のことばであり、だからこそ相手を祝す言葉でもあるので、きちんと使うべき言葉でもある。
また、「今年もよろしくお願いいたします」と言う言葉の「よろしく」は「宜しく」「うまい具合に」お付き合いくださいと相手にお願いする言葉でもある。
だからこそ、新年の祝言であり、お願いの言葉であるから大切に用いる言葉でもあるそうだ。
そして、新年になり始めて寺社にお参りするのが初詣であるが、できれば三が日の間にはお参りしたいものである。
大晦日から酔ったままでお参るする人も見かけるが、そもそも神社は神様のお宅のような物であり、そこに今年の福を授けてもらったり祈願したりしにお願いする物であるから、神様に失礼のないように心がけるのは当たり前ではないだろうか。
基本的なお参りの順序としては、鳥居は真ん中は神様の通路であるので遠慮して端を歩き、手水に進む。
手水では、右手に柄杓を持って水を汲み左手に水をかけて清める。
次に、柄杓を左手に持ち替えて右手に水をかけて清める。
再び、柄杓を右手に持ち替えて清めた左手で柄杓から汲んだ水を受けて、その受けた水を口に含み口を漱ぐのである(柄杓を直接口につけてはいけない)。
この後で、水を口に含ませた左手をもう一度水をかけて清める。
最後に、柄杓を立てるようにして残った水を流して柄杓の柄の部分を清めて、柄杓を元の場所に戻すのである。
続いて拝殿に向かうとお賽銭箱にお賽銭を入れるのであるが、これは身の穢れを預かっていただく意味と、神様に稲穂などを捧げる「初穂」の神事から来ているそうだ。
次に鈴を鳴らすのであるが、これは神様に自分が来たことをお知らせするとともに、鈴の音によって邪気を祓う意味もあるのだと言う。
そして、参拝は二拝・二拍手・一拝が基本である。
拝殿で、二度深いお辞儀を行い、次に二度拍手を打ち、最後にもう一度深いお辞儀を行うのが作法である。
ちなみに、御神籤を神社の木などに結ぶ方も多いようだが、基本的に良い御神籤は持ち帰り、凶等の悪い物のみ凶を置いてくると言う意味で結んでくるのが一般的である(これも諸説ある)
なお、先に書いたように神社は神様のお宅のような物であるから、訪問するときと帰るとき、つまり始めに鳥居に入る前と、帰りに鳥居をくぐった後に、社殿に向かってお辞儀するのが礼儀でもあると思う。
そういうことで、年末年始に関して思うことをあれこれ書いてみたが、これらも諸説や作法もいろいろとあり、違うやり方や考え方や作法も多いようであり、それぞれのやり方で良いと思う。
あくまで、何かのご参考になれば程度であるので、あまり気にされませんように。
さて、来年の干支は「辰」(たつ)であるが、十二支のうちで唯一の架空の生き物である。
しかし、竜は古代からインドのナーガ信仰とか仏教でも様々な信仰を集めている聖獣である。
龍の姿は、九種類の生き物が集められた物で、頭はラクダ・角は鹿・目は鬼・耳は牛・身体は蛇・うなじは蜃(おおはまぐり)・鱗は鯉・爪は鷹・手のひらは虎になっているそうだ。
また、背中の鱗は81枚(9×9)と九九の意味を持ち、声は銅鑼のようで、口にヒゲを持ち、喉の下に逆鱗があると言う。
頭の上には山の形をした博山があり更木と言うそうだ。
水や川を神格化したものだとされており、雨乞いの時など竜王や竜神に祈祷されてきた。
ちなみにお寺などの上に龍が付けられたり描かれたりするのは、龍が水を呼ぶために火難避けの意味もあるのだそうである。
起源にも諸説あるが竜巻を見立てた物であるとも言われており、竜巻のように大地と天とを結ぶ生き物として海や湖などの水に棲み天に登るとされてきたのだそうだ。
龍の字は、竜の字がもともとの字で龍の字は後から作られたものだと聴いた事がある。
まだまだ龍については書き足りないが、ある時は恐怖の対象であり、ある時は神聖な聖獣として身近に親しまれているのではないだろうか。
今年は私のブログやホームページに御訪問いただいた方や書き込みやコメントいただいた方などいろいろとお世話になり、深く感謝しております。
どうかお身体に気をつけて、良いお正月をおむかえくださいませ。
皆様の御健康と御多幸をお祈りしております。