2010 07/03 12:40
Category : 日記
今日も朝から雨降りだよ、先週も雨だったし雨が多いね。
7月に入って、もうすぐ七夕だね。
私が暮らす寝屋川市の近くにある枚方市や交野市は古代には「交野ヶ原」と呼ばれ、七夕に関する伝説や史跡が残っている。
毎年、交野ヶ原の七夕伝説については書いているのだが、今日も雨の中を七夕伝説の舞台となる「天の川」や「逢合橋」(あいあいばし)、そして「かささぎ橋」を歩いてきた。
京阪の枚方市駅には「ひらかた市民菊人形」として織姫とひこ星の菊人形が飾られていたよ。
そういえば、今年は京阪電車100周年を記念してひらかたパークの菊人形が限定で復活されるとか、今から楽しみだよ♪
さて、ご存知のように、七夕とは天の川に隔てられた牽牛(けんぎゅう)と織姫(おりひめ)とが7月7日の夜、年に一度だけ逢えるという伝説だ。
もともと七夕伝説は中国の伝説で、春秋時代に書かれたと言われる「詩経」にすでに書かれているそうで六世紀には七夕の夜に瓜や茄子などの収穫物を供えたり、針に五色の糸を通して手芸の上達を願ったと言う。
やがて、日本にも奈良時代には七夕が伝わるようになり、和歌などにも多くの歌が残されているのだが、江戸時代になって庶民の間に手習い事が盛んになると、七夕の儀式が拡大されて短冊に願い事を書いて笹に吊るすと上達すると言う事になり、現在のように願い事を書くようになっていったそうだ。
始めに「天の川」であるが、枚方市内には「天野川」(天の川)と言う川が流れており、その名前の由来は諸説あるのだが、川の周囲で稲作が始まった頃に甘野川と言っていたのを後の平安の頃に大空の天の川になぞらえて「天の川」と呼んだと言う説や、川砂が白く光って見えるところから、天上の銀河になぞられて名付けられたと言う説があるようだ。
また、交野ヶ原には、この天の川にちなんでか、この辺りは七夕伝説の格好の舞台となり、七夕や星にまつわる史跡や地名も数多く残されている。
七夕伝説では、JR学研都市線の津田駅から南の方に向かった交野市の倉治の地に「織姫」と言われる「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめおおかみ)を祀る機物神社(はたものじんじゃ)がある。
普段は静かな古社であるが、七夕の時期には境内に笹の木を立てて多くの願いを書かれた短冊が吊るされて賑わうようだ。
そして、この織姫を祀る機物神社の天の川を挟んで対になる位置に「牽牛石」(けんぎゅうせき)と言われている岩が祀られている。
京阪電車の交野線の「郡津」駅の西の方、香里団地の藤田川の「けやき通り」を西に向かった香里ヶ丘4にある「観音山公園」(かんのんやまこうえん)の、東の端の少し高くなっている場所に牽牛石は鎮座している。
牽牛石はそれほど大きくは無いが、牛と言われれば牛に似ていないこともないが、普通にあればただの岩と思うだろう。
牽牛石の立て札があるので、これが牽牛石で「ひこ星」の化身だと判るようになっている。
この牽牛石は高台になっているので見晴らしは良く、古代にはここから織姫のいる機物神社がながめられたのかも知れない。
次に七夕伝説にちなんだ「逢合橋」(あいあいばし)である。
これは京阪電車交野線の交野市駅近くの天の川にかけられた橋であり、機物神社の織姫と牽牛石のひこ星が年に一度、天の川にかかる「逢合橋」という名の橋で二人が逢い、愛し合うというロマンチックな伝説が伝えられているのである。
現在の逢合橋は普通のコンクリートの橋で、橋に付けられた「逢合橋」のプレートくらいしか往時を思わせるものは無いのだが、昔は木の橋だったそうだ。
今の逢合橋は車の通行も多くて危険だが、隣りに歩行用の橋もかけられているので、七夕の夜に逢合橋で好きな人と星を見るのも素敵かも知れない。
もう一つ訪れたのが「かささぎ橋」と言う橋である。
こちらは天の川が流れる枚方市の京阪枚方市駅の近くにある大きなコンクリートの橋だ。
これは、七夕の夜に織姫がひこ星のいる天の川の向こうへ渡るときに、鵲(かささぎ)が羽根を広げて橋を作り、織姫を天の川を渡るのを助けて、織姫とひこ星の二人が逢うのを取り持ったという伝説にちなんだものだそうだ。
万葉集や百人一首の大伴家持の和歌にもこういうのがあったね。
~かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける~
ちなみに、かささぎ橋のたもとには、七夕伝説のかささぎにちなんだレリーフが置かれている。
また、同じく枚方市駅の近くの橋には、天の橋という意味で織姫とひこ星が船で渡って出会うと言われる「天津橋」(あまつばし)など、七夕伝説にちなんだ橋がかかっている。
いろいろと古代からの史跡や伝説の残る交野ヶ原の地、七夕の日にそれらの伝説を巡りながら散策して見るのも楽しい物だし、恋人と思い出を作るのも良いかも知れない。
あなたの願いが叶い素敵な七夕になりますように・・・・
7月に入って、もうすぐ七夕だね。
私が暮らす寝屋川市の近くにある枚方市や交野市は古代には「交野ヶ原」と呼ばれ、七夕に関する伝説や史跡が残っている。
毎年、交野ヶ原の七夕伝説については書いているのだが、今日も雨の中を七夕伝説の舞台となる「天の川」や「逢合橋」(あいあいばし)、そして「かささぎ橋」を歩いてきた。
京阪の枚方市駅には「ひらかた市民菊人形」として織姫とひこ星の菊人形が飾られていたよ。
そういえば、今年は京阪電車100周年を記念してひらかたパークの菊人形が限定で復活されるとか、今から楽しみだよ♪
さて、ご存知のように、七夕とは天の川に隔てられた牽牛(けんぎゅう)と織姫(おりひめ)とが7月7日の夜、年に一度だけ逢えるという伝説だ。
もともと七夕伝説は中国の伝説で、春秋時代に書かれたと言われる「詩経」にすでに書かれているそうで六世紀には七夕の夜に瓜や茄子などの収穫物を供えたり、針に五色の糸を通して手芸の上達を願ったと言う。
やがて、日本にも奈良時代には七夕が伝わるようになり、和歌などにも多くの歌が残されているのだが、江戸時代になって庶民の間に手習い事が盛んになると、七夕の儀式が拡大されて短冊に願い事を書いて笹に吊るすと上達すると言う事になり、現在のように願い事を書くようになっていったそうだ。
始めに「天の川」であるが、枚方市内には「天野川」(天の川)と言う川が流れており、その名前の由来は諸説あるのだが、川の周囲で稲作が始まった頃に甘野川と言っていたのを後の平安の頃に大空の天の川になぞらえて「天の川」と呼んだと言う説や、川砂が白く光って見えるところから、天上の銀河になぞられて名付けられたと言う説があるようだ。
また、交野ヶ原には、この天の川にちなんでか、この辺りは七夕伝説の格好の舞台となり、七夕や星にまつわる史跡や地名も数多く残されている。
七夕伝説では、JR学研都市線の津田駅から南の方に向かった交野市の倉治の地に「織姫」と言われる「天棚機比売大神」(あまのたなばたひめおおかみ)を祀る機物神社(はたものじんじゃ)がある。
普段は静かな古社であるが、七夕の時期には境内に笹の木を立てて多くの願いを書かれた短冊が吊るされて賑わうようだ。
そして、この織姫を祀る機物神社の天の川を挟んで対になる位置に「牽牛石」(けんぎゅうせき)と言われている岩が祀られている。
京阪電車の交野線の「郡津」駅の西の方、香里団地の藤田川の「けやき通り」を西に向かった香里ヶ丘4にある「観音山公園」(かんのんやまこうえん)の、東の端の少し高くなっている場所に牽牛石は鎮座している。
牽牛石はそれほど大きくは無いが、牛と言われれば牛に似ていないこともないが、普通にあればただの岩と思うだろう。
牽牛石の立て札があるので、これが牽牛石で「ひこ星」の化身だと判るようになっている。
この牽牛石は高台になっているので見晴らしは良く、古代にはここから織姫のいる機物神社がながめられたのかも知れない。
次に七夕伝説にちなんだ「逢合橋」(あいあいばし)である。
これは京阪電車交野線の交野市駅近くの天の川にかけられた橋であり、機物神社の織姫と牽牛石のひこ星が年に一度、天の川にかかる「逢合橋」という名の橋で二人が逢い、愛し合うというロマンチックな伝説が伝えられているのである。
現在の逢合橋は普通のコンクリートの橋で、橋に付けられた「逢合橋」のプレートくらいしか往時を思わせるものは無いのだが、昔は木の橋だったそうだ。
今の逢合橋は車の通行も多くて危険だが、隣りに歩行用の橋もかけられているので、七夕の夜に逢合橋で好きな人と星を見るのも素敵かも知れない。
もう一つ訪れたのが「かささぎ橋」と言う橋である。
こちらは天の川が流れる枚方市の京阪枚方市駅の近くにある大きなコンクリートの橋だ。
これは、七夕の夜に織姫がひこ星のいる天の川の向こうへ渡るときに、鵲(かささぎ)が羽根を広げて橋を作り、織姫を天の川を渡るのを助けて、織姫とひこ星の二人が逢うのを取り持ったという伝説にちなんだものだそうだ。
万葉集や百人一首の大伴家持の和歌にもこういうのがあったね。
~かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける~
ちなみに、かささぎ橋のたもとには、七夕伝説のかささぎにちなんだレリーフが置かれている。
また、同じく枚方市駅の近くの橋には、天の橋という意味で織姫とひこ星が船で渡って出会うと言われる「天津橋」(あまつばし)など、七夕伝説にちなんだ橋がかかっている。
いろいろと古代からの史跡や伝説の残る交野ヶ原の地、七夕の日にそれらの伝説を巡りながら散策して見るのも楽しい物だし、恋人と思い出を作るのも良いかも知れない。
あなたの願いが叶い素敵な七夕になりますように・・・・