2017 01/22 11:06
Category : 日記
明子ひとり ①全てが事実ばかりではありません。
明子が小学6年の春休み、元気に野球をしていた弟が、
叔父の車に乗って母と3人で叔父の家へ行く筈だった。
処が弟が車から降りる時にトラックに10m位引きずられ、
目の前の医院に運ばれたと電話が入った。
あの時、電話を受け取った明子は大きなショックを受け、
まさか進ちゃんが交通事故に遭うなんて間違いだわ。
でも現実は弟に間違いなかった。
命は助かったものの、頂頭部を大怪我をしたとのこと。
弟は1年休学をしたのち4年生から登校をした。
頂頭部の大きな傷は隠せず髪は生えてこない、
話すときに呂律は回らず哀れでならなかった。
小学校では明るくすごしていたが、
苛めっ子に意地悪されたのか、破れた鞄を持ち帰る。
「お姉ちゃん、宿題をやって!」何もやる気なし。
「自分で勉強しなければどんどん遅れるのよ。」
明子は弟の為に宿題はしてあげる事等せずに、
例題をだし理解を深めようと勧めた。
勉強をする気もなく聞く耳を持たず、
両親に甘えてばかりで親も可愛がるだけである。
親が甘えさせる事が一生あの子を駄目にすると
子供ながらに心配していた。
あれから明子の家は弟中心の家庭になってしまい、
彼女は中学校から帰宅後バイトに行く生活になる。
やがて弟が中学卒業を前に、母が職安を勧めていたが、
頑なに首を振るばかりで話にならない。
弟は、一年だけ調理の仕事を頑張ったと思う。
他人のご飯を食べて苦労させなければ何も分からないし、
働くことの大切さ、尊さを知って欲しかった。
不自由な身体で一緒懸命一年でも仕事をした彼に、
私は「もう少し頑張って!」励ましたが無理だった。
何処へ連れて行っても嫌だと言い、家から出なくなり、
仕事の辛さを知った弟には、家ほど安住の地は無かった。
「職業訓練校に行こうか?」「嫌だね。」私が勧めても
聞く耳を持たずゴロゴロ過ごしていた。
あの子はあの子なりに苦労をした点は誉めたが、
苦しい家計を考えると遊ぶだけの生活には頭を痛めていた。
その数年後、彼は車の免許証を取得し、
調理師免許証も取得したがそれを活かす事もしない。
この時私は「やれば何でもできるじゃない、偉いわ。」
努力すれば進ちゃんは出来るのよ。彼を誉めてあげた。
しかし、脳外科で検査をしなければ駄目らしい。
検査を恐がり受診しなかった弟は後遺症も有った。
「頭がもやもやする。ずきずき痛い時もある。」と言う。
「病院代なんか心配いらないから病院に一緒に行こうね。」
何と言っても病院を恐がり、相変わらず人と会うのを嫌い、
部屋で一人で音楽等を聞いている日々が続く。
その曲は来る日も来る日も同じ曲ばかり10年以上
聞いていたことを私は覚えている。
やっぱり脳に異常があるのだからと検査を勧めても
頑として家族の願いを聞いてはくれなかった。
交通事故で脳に怪我をした時、病院ではなく
街の医師に手術をして貰った苦しさが脳裏に
焼きついているのだろうか。
その頃、年老いた父は負債を返済する為に、
友達の会社へ家族のために勤める決心をしてくれた。
商人だった父は会社の為に役立っているだろうか。
明子は会社の昼休みにバレーボールの手を休め、ふと
別の会社で働く父を思い出し、父と同じ会社で働く友人に
父の仕事ぶりを聞いてほっとする。
父が頑張っているのだから明子は、夜と土、日はバイトに
精を出さなければと働き友達付き合いをする暇もなく、
月日は流れていく。
親を甘く見ていた弟は相変わらず自分の部屋にいるだけの、
決断のできない人間になっていた。
そして二月の寒い朝、弟は天国へ旅立った。
その知らせを聞いた時、私は実家から独立していた。
あの交通事故さえなければ明るい弟だったのに、
不注意だった母を憎んでも仕方ない過去の出来事になる。
「ここで待っていてね。」私が買物をしている間、
3時間も日が暮れるまで同じ場所を動かず待って居た。
その時、私は進ちゃんに「ごめんね。」心の底から謝り、
進ちゃんが愛しくて堪らなかった。
さようなら進ちゃん、向こうの国で幸福に暮らすのよ。
明子22才、信吾19才の二月のこと。
明子が小学6年の春休み、元気に野球をしていた弟が、
叔父の車に乗って母と3人で叔父の家へ行く筈だった。
処が弟が車から降りる時にトラックに10m位引きずられ、
目の前の医院に運ばれたと電話が入った。
あの時、電話を受け取った明子は大きなショックを受け、
まさか進ちゃんが交通事故に遭うなんて間違いだわ。
でも現実は弟に間違いなかった。
命は助かったものの、頂頭部を大怪我をしたとのこと。
弟は1年休学をしたのち4年生から登校をした。
頂頭部の大きな傷は隠せず髪は生えてこない、
話すときに呂律は回らず哀れでならなかった。
小学校では明るくすごしていたが、
苛めっ子に意地悪されたのか、破れた鞄を持ち帰る。
「お姉ちゃん、宿題をやって!」何もやる気なし。
「自分で勉強しなければどんどん遅れるのよ。」
明子は弟の為に宿題はしてあげる事等せずに、
例題をだし理解を深めようと勧めた。
勉強をする気もなく聞く耳を持たず、
両親に甘えてばかりで親も可愛がるだけである。
親が甘えさせる事が一生あの子を駄目にすると
子供ながらに心配していた。
あれから明子の家は弟中心の家庭になってしまい、
彼女は中学校から帰宅後バイトに行く生活になる。
やがて弟が中学卒業を前に、母が職安を勧めていたが、
頑なに首を振るばかりで話にならない。
弟は、一年だけ調理の仕事を頑張ったと思う。
他人のご飯を食べて苦労させなければ何も分からないし、
働くことの大切さ、尊さを知って欲しかった。
不自由な身体で一緒懸命一年でも仕事をした彼に、
私は「もう少し頑張って!」励ましたが無理だった。
何処へ連れて行っても嫌だと言い、家から出なくなり、
仕事の辛さを知った弟には、家ほど安住の地は無かった。
「職業訓練校に行こうか?」「嫌だね。」私が勧めても
聞く耳を持たずゴロゴロ過ごしていた。
あの子はあの子なりに苦労をした点は誉めたが、
苦しい家計を考えると遊ぶだけの生活には頭を痛めていた。
その数年後、彼は車の免許証を取得し、
調理師免許証も取得したがそれを活かす事もしない。
この時私は「やれば何でもできるじゃない、偉いわ。」
努力すれば進ちゃんは出来るのよ。彼を誉めてあげた。
しかし、脳外科で検査をしなければ駄目らしい。
検査を恐がり受診しなかった弟は後遺症も有った。
「頭がもやもやする。ずきずき痛い時もある。」と言う。
「病院代なんか心配いらないから病院に一緒に行こうね。」
何と言っても病院を恐がり、相変わらず人と会うのを嫌い、
部屋で一人で音楽等を聞いている日々が続く。
その曲は来る日も来る日も同じ曲ばかり10年以上
聞いていたことを私は覚えている。
やっぱり脳に異常があるのだからと検査を勧めても
頑として家族の願いを聞いてはくれなかった。
交通事故で脳に怪我をした時、病院ではなく
街の医師に手術をして貰った苦しさが脳裏に
焼きついているのだろうか。
その頃、年老いた父は負債を返済する為に、
友達の会社へ家族のために勤める決心をしてくれた。
商人だった父は会社の為に役立っているだろうか。
明子は会社の昼休みにバレーボールの手を休め、ふと
別の会社で働く父を思い出し、父と同じ会社で働く友人に
父の仕事ぶりを聞いてほっとする。
父が頑張っているのだから明子は、夜と土、日はバイトに
精を出さなければと働き友達付き合いをする暇もなく、
月日は流れていく。
親を甘く見ていた弟は相変わらず自分の部屋にいるだけの、
決断のできない人間になっていた。
そして二月の寒い朝、弟は天国へ旅立った。
その知らせを聞いた時、私は実家から独立していた。
あの交通事故さえなければ明るい弟だったのに、
不注意だった母を憎んでも仕方ない過去の出来事になる。
「ここで待っていてね。」私が買物をしている間、
3時間も日が暮れるまで同じ場所を動かず待って居た。
その時、私は進ちゃんに「ごめんね。」心の底から謝り、
進ちゃんが愛しくて堪らなかった。
さようなら進ちゃん、向こうの国で幸福に暮らすのよ。
明子22才、信吾19才の二月のこと。