2017年01月の記事
2017 01/27 22:23
Category : 日記
今年の大寒は1月20日で最も寒さの厳しい時節。
季節的には三寒四温が訪れ、
3日寒い日が続くと4日温かい日があると言う。その為、
ずっと寒かった小寒よりは、温かい日が訪れたりすることがある。
「小寒の氷、大寒に解く」の言葉どおり、
物事が必ずしも順序どうりにはいかない意味にも使われる。
沖縄で生活すれば多少の風の冷たさはあっても、
気温が13℃の朝は身体を動かせば暖かくなる。
留守にした故郷の川沿いには菜の花が咲き誇り、
今、池の魚達よ、元気に泳いでいるだろうか。
ずーっと我が家を見守っていた金魚、ドジョウ、鮒達、
私には何も見えないけれど主人は判っている。
我が家とアパート等を留守中は彼女に頼んできたと思う。
入浴中に耳を澄ませば「一階?何処の?」話声がした。
私は彼に対して不敬な事を聞いてしまった。
彼は今年、一回も故郷へ帰郷していない。
何よりも故郷へ帰らないことを後者が物語っている。
故郷へ帰れば見えない物が見えてくるから
孤独感がこみ上げる。
近所の人達は喜び迎えてくれ、
故郷の海はざざざーっ波音さえも優しく聞こえる。
今日は沖縄の旧正月で友人もお正月用の買物をし、
そんな様子を隣で見ながら私は満面の笑みを浮かべた。
今帰仁城跡は日本さくらの会による桜の名所100選にも選定され 、
緋寒桜が開花し、五分咲き位になったらしい。
その他 南部では「なはさくらまつり」(那覇市)、
「やえせ桜祭り」(八重瀬町)が開催されている 。
処が桜祭り会場に行ってみても未だに咲かず蕾が目立つ。
冬桜よ、急がずゆっくり咲いて!
さくら、桜、弥生の空は見渡す限り、霞か雲か。。
私にとって桜はどれも思い出いっぱいの愛する花である。
2017 01/22 11:06
Category : 日記
明子ひとり ①全てが事実ばかりではありません。
明子が小学6年の春休み、元気に野球をしていた弟が、
叔父の車に乗って母と3人で叔父の家へ行く筈だった。
処が弟が車から降りる時にトラックに10m位引きずられ、
目の前の医院に運ばれたと電話が入った。
あの時、電話を受け取った明子は大きなショックを受け、
まさか進ちゃんが交通事故に遭うなんて間違いだわ。
でも現実は弟に間違いなかった。
命は助かったものの、頂頭部を大怪我をしたとのこと。
弟は1年休学をしたのち4年生から登校をした。
頂頭部の大きな傷は隠せず髪は生えてこない、
話すときに呂律は回らず哀れでならなかった。
小学校では明るくすごしていたが、
苛めっ子に意地悪されたのか、破れた鞄を持ち帰る。
「お姉ちゃん、宿題をやって!」何もやる気なし。
「自分で勉強しなければどんどん遅れるのよ。」
明子は弟の為に宿題はしてあげる事等せずに、
例題をだし理解を深めようと勧めた。
勉強をする気もなく聞く耳を持たず、
両親に甘えてばかりで親も可愛がるだけである。
親が甘えさせる事が一生あの子を駄目にすると
子供ながらに心配していた。
あれから明子の家は弟中心の家庭になってしまい、
彼女は中学校から帰宅後バイトに行く生活になる。
やがて弟が中学卒業を前に、母が職安を勧めていたが、
頑なに首を振るばかりで話にならない。
弟は、一年だけ調理の仕事を頑張ったと思う。
他人のご飯を食べて苦労させなければ何も分からないし、
働くことの大切さ、尊さを知って欲しかった。
不自由な身体で一緒懸命一年でも仕事をした彼に、
私は「もう少し頑張って!」励ましたが無理だった。
何処へ連れて行っても嫌だと言い、家から出なくなり、
仕事の辛さを知った弟には、家ほど安住の地は無かった。
「職業訓練校に行こうか?」「嫌だね。」私が勧めても
聞く耳を持たずゴロゴロ過ごしていた。
あの子はあの子なりに苦労をした点は誉めたが、
苦しい家計を考えると遊ぶだけの生活には頭を痛めていた。
その数年後、彼は車の免許証を取得し、
調理師免許証も取得したがそれを活かす事もしない。
この時私は「やれば何でもできるじゃない、偉いわ。」
努力すれば進ちゃんは出来るのよ。彼を誉めてあげた。
しかし、脳外科で検査をしなければ駄目らしい。
検査を恐がり受診しなかった弟は後遺症も有った。
「頭がもやもやする。ずきずき痛い時もある。」と言う。
「病院代なんか心配いらないから病院に一緒に行こうね。」
何と言っても病院を恐がり、相変わらず人と会うのを嫌い、
部屋で一人で音楽等を聞いている日々が続く。
その曲は来る日も来る日も同じ曲ばかり10年以上
聞いていたことを私は覚えている。
やっぱり脳に異常があるのだからと検査を勧めても
頑として家族の願いを聞いてはくれなかった。
交通事故で脳に怪我をした時、病院ではなく
街の医師に手術をして貰った苦しさが脳裏に
焼きついているのだろうか。
その頃、年老いた父は負債を返済する為に、
友達の会社へ家族のために勤める決心をしてくれた。
商人だった父は会社の為に役立っているだろうか。
明子は会社の昼休みにバレーボールの手を休め、ふと
別の会社で働く父を思い出し、父と同じ会社で働く友人に
父の仕事ぶりを聞いてほっとする。
父が頑張っているのだから明子は、夜と土、日はバイトに
精を出さなければと働き友達付き合いをする暇もなく、
月日は流れていく。
親を甘く見ていた弟は相変わらず自分の部屋にいるだけの、
決断のできない人間になっていた。
そして二月の寒い朝、弟は天国へ旅立った。
その知らせを聞いた時、私は実家から独立していた。
あの交通事故さえなければ明るい弟だったのに、
不注意だった母を憎んでも仕方ない過去の出来事になる。
「ここで待っていてね。」私が買物をしている間、
3時間も日が暮れるまで同じ場所を動かず待って居た。
その時、私は進ちゃんに「ごめんね。」心の底から謝り、
進ちゃんが愛しくて堪らなかった。
さようなら進ちゃん、向こうの国で幸福に暮らすのよ。
明子22才、信吾19才の二月のこと。
明子が小学6年の春休み、元気に野球をしていた弟が、
叔父の車に乗って母と3人で叔父の家へ行く筈だった。
処が弟が車から降りる時にトラックに10m位引きずられ、
目の前の医院に運ばれたと電話が入った。
あの時、電話を受け取った明子は大きなショックを受け、
まさか進ちゃんが交通事故に遭うなんて間違いだわ。
でも現実は弟に間違いなかった。
命は助かったものの、頂頭部を大怪我をしたとのこと。
弟は1年休学をしたのち4年生から登校をした。
頂頭部の大きな傷は隠せず髪は生えてこない、
話すときに呂律は回らず哀れでならなかった。
小学校では明るくすごしていたが、
苛めっ子に意地悪されたのか、破れた鞄を持ち帰る。
「お姉ちゃん、宿題をやって!」何もやる気なし。
「自分で勉強しなければどんどん遅れるのよ。」
明子は弟の為に宿題はしてあげる事等せずに、
例題をだし理解を深めようと勧めた。
勉強をする気もなく聞く耳を持たず、
両親に甘えてばかりで親も可愛がるだけである。
親が甘えさせる事が一生あの子を駄目にすると
子供ながらに心配していた。
あれから明子の家は弟中心の家庭になってしまい、
彼女は中学校から帰宅後バイトに行く生活になる。
やがて弟が中学卒業を前に、母が職安を勧めていたが、
頑なに首を振るばかりで話にならない。
弟は、一年だけ調理の仕事を頑張ったと思う。
他人のご飯を食べて苦労させなければ何も分からないし、
働くことの大切さ、尊さを知って欲しかった。
不自由な身体で一緒懸命一年でも仕事をした彼に、
私は「もう少し頑張って!」励ましたが無理だった。
何処へ連れて行っても嫌だと言い、家から出なくなり、
仕事の辛さを知った弟には、家ほど安住の地は無かった。
「職業訓練校に行こうか?」「嫌だね。」私が勧めても
聞く耳を持たずゴロゴロ過ごしていた。
あの子はあの子なりに苦労をした点は誉めたが、
苦しい家計を考えると遊ぶだけの生活には頭を痛めていた。
その数年後、彼は車の免許証を取得し、
調理師免許証も取得したがそれを活かす事もしない。
この時私は「やれば何でもできるじゃない、偉いわ。」
努力すれば進ちゃんは出来るのよ。彼を誉めてあげた。
しかし、脳外科で検査をしなければ駄目らしい。
検査を恐がり受診しなかった弟は後遺症も有った。
「頭がもやもやする。ずきずき痛い時もある。」と言う。
「病院代なんか心配いらないから病院に一緒に行こうね。」
何と言っても病院を恐がり、相変わらず人と会うのを嫌い、
部屋で一人で音楽等を聞いている日々が続く。
その曲は来る日も来る日も同じ曲ばかり10年以上
聞いていたことを私は覚えている。
やっぱり脳に異常があるのだからと検査を勧めても
頑として家族の願いを聞いてはくれなかった。
交通事故で脳に怪我をした時、病院ではなく
街の医師に手術をして貰った苦しさが脳裏に
焼きついているのだろうか。
その頃、年老いた父は負債を返済する為に、
友達の会社へ家族のために勤める決心をしてくれた。
商人だった父は会社の為に役立っているだろうか。
明子は会社の昼休みにバレーボールの手を休め、ふと
別の会社で働く父を思い出し、父と同じ会社で働く友人に
父の仕事ぶりを聞いてほっとする。
父が頑張っているのだから明子は、夜と土、日はバイトに
精を出さなければと働き友達付き合いをする暇もなく、
月日は流れていく。
親を甘く見ていた弟は相変わらず自分の部屋にいるだけの、
決断のできない人間になっていた。
そして二月の寒い朝、弟は天国へ旅立った。
その知らせを聞いた時、私は実家から独立していた。
あの交通事故さえなければ明るい弟だったのに、
不注意だった母を憎んでも仕方ない過去の出来事になる。
「ここで待っていてね。」私が買物をしている間、
3時間も日が暮れるまで同じ場所を動かず待って居た。
その時、私は進ちゃんに「ごめんね。」心の底から謝り、
進ちゃんが愛しくて堪らなかった。
さようなら進ちゃん、向こうの国で幸福に暮らすのよ。
明子22才、信吾19才の二月のこと。
2017 01/17 21:31
Category : 日記
二週間ぶりに東の空が茜色に染まり、
陽光の眩しい朝を迎え、とても嬉しい。
何時もと変わらぬ家事と外出の日々、
沖縄の夜明けは遅く午前6時45分頃明るくなる。
冬至も過ぎて日が長くなり、
午後6時半に西の空に太陽が沈んでいく。
起床時に「今日は頑張るわ!」力んでいたのに、
身体の力が抜けて行くのは何故でしょうか。
近所の方と立ち話しながら笑いがこみあげてきた。
午前7時、モノレールが○○町駅を出ていく。
同じ配置で、
同じ速さで、
同じように肩を落とし、
同じように人々は会社に向かって行く。
同じ風景の中から
自分が消えるだけで、
同じように今日と変わらぬ明日が来るでしょう。
下手な随筆を一部、二部と書いてみた。
文章の使い方が下手で疲れてしまい、
何時ものように台所で鰤大根とひじきを煮る。
あれこれするうちに、
きらきら星が煌めく夜になる。
紅白の 梅香る中 くぐり抜け 山路に添ひし せせらぎに遭ふ
sakura
(名護市では梅が開花しました。)
2017 01/07 21:35
Category : 日記
5日に小寒に入り小寒から節分迄の30日を寒の内という。
これから冬本番を迎え、寒さが厳しくなる頃。
七草粥は、凍りついた大地から芽吹く若芽を食べることで、
その年一年の無病息災を願う日本の伝統行事である。
お餅を食べたり呑んだりして胃腸も疲れている為、
労わる意味で七草粥を食す風習が沖縄にもある。
今年の沖縄は冬の気温が例年より高く、
暮れもお正月も夏日が数日あった。
昨年の夏は珍しく台風が上陸しないのが原因か、
海水温も高くなり、
珊瑚が県全域で大規模な白化現象になる。
この状態が続けば珊瑚の半分以上死滅する
可能性があるとのこと。
珊瑚が生息に適する海水温度は25~28℃で、
低すぎても高過ぎても適さないようである。
今迄の冬のように「少し寒い。」言っていた冬とは
全く違い、窓を全開し夏日が多いので何かおかしい。
今から暑いのでは緋寒桜が早く咲けば嬉しいけれど、
春からの暑さで体調を崩す人も多いと思う。
今日は外出した帰りに川辺を歩いても七草等、
全く見当たらずお店で買い求めお粥を作った。
知人の元気な90才のお婆ちゃんが「貴女も買うの?」
私と同じ七草を買っていた。
90才でもパンプスを履いてピンクのスカートを着て、
長い髪を後ろにかき上げ美しい方で元気づけられる。
ああいう年の取り方をしたいが、80才迄も
生きることができないと思う。
短い命でも長生きでも満足した行き方が出来ればいい。
悔いの無いように生き生きとした人生にしたい。
早朝、半月が煌々と光り輝き、南国まで照らしてくれて有難う。
池の底まであまねく照らしておくれ、故郷の魚達を思う。
これから冬本番を迎え、寒さが厳しくなる頃。
七草粥は、凍りついた大地から芽吹く若芽を食べることで、
その年一年の無病息災を願う日本の伝統行事である。
お餅を食べたり呑んだりして胃腸も疲れている為、
労わる意味で七草粥を食す風習が沖縄にもある。
今年の沖縄は冬の気温が例年より高く、
暮れもお正月も夏日が数日あった。
昨年の夏は珍しく台風が上陸しないのが原因か、
海水温も高くなり、
珊瑚が県全域で大規模な白化現象になる。
この状態が続けば珊瑚の半分以上死滅する
可能性があるとのこと。
珊瑚が生息に適する海水温度は25~28℃で、
低すぎても高過ぎても適さないようである。
今迄の冬のように「少し寒い。」言っていた冬とは
全く違い、窓を全開し夏日が多いので何かおかしい。
今から暑いのでは緋寒桜が早く咲けば嬉しいけれど、
春からの暑さで体調を崩す人も多いと思う。
今日は外出した帰りに川辺を歩いても七草等、
全く見当たらずお店で買い求めお粥を作った。
知人の元気な90才のお婆ちゃんが「貴女も買うの?」
私と同じ七草を買っていた。
90才でもパンプスを履いてピンクのスカートを着て、
長い髪を後ろにかき上げ美しい方で元気づけられる。
ああいう年の取り方をしたいが、80才迄も
生きることができないと思う。
短い命でも長生きでも満足した行き方が出来ればいい。
悔いの無いように生き生きとした人生にしたい。
早朝、半月が煌々と光り輝き、南国まで照らしてくれて有難う。
池の底まであまねく照らしておくれ、故郷の魚達を思う。
2017 01/03 23:05
Category : 日記
山茶花の 垣の紅に 陽の差して 変わり映えなき 正月迎え。
坂の上 急いで登る 買物に 道行く我の 足音響く。
子雀と 思へぬほどの 力もて パンのみみまで さらひてゆきぬ
坂の上 急いで登る 買物に 道行く我の 足音響く。
子雀と 思へぬほどの 力もて パンのみみまで さらひてゆきぬ
2017 01/01 00:33
Category : 日記
新年おめでとうございます。
昨年中は並々ならぬご厚情を賜り、厚く御礼申し上げます。
本年も昨年同様、ご指導の程よろしくお願いいたします。
皆様にとって良き年になりますように。
sakura1205
この道を知ったのは7年位前のこと。
だいぶ前、彼に良いお店が有ると教えて貰った道。
あれから、ずっと一人で公園を散策し、
小鳥達のさえずりを樹木の辺りで聞いている。
二人で仲良く散歩する人達が居たり、
老夫婦がゆっくり話し合いながら歩いていた。
樹齢何百年も経つ大きな木は恐い顔をしているようで、
傍に近寄れば案外、優しい顔をしている。
公園は色々な場所に有っても私はこの公園が好き。
緋寒桜が咲いた後には様々な花が咲き乱れる。
沢山の人達がスポーツを楽しみ、
将棋や囲碁等もしている。
早足で歩いても30分~40分はかかるが、
汗をかいた後、雲一つない青空に小鳥が歌う。