2014 11/29 20:46
Category : 日記
私の父は晩婚で祖父のような感じのする父で
身体が丈夫で風邪で寝込んだ姿を見たことがない
私は兄弟の多い父方の叔母達に可愛がって貰った想い出が有り
父の兄弟の殆どが90代まで長生きをした
生活も大変だったのか地主の父をもつ母方のお世話になり、
氏だけは父方の氏を名乗った。
こつこつ商売を続け、私の子供の頃の記憶では
旅行に行ったのは商工会の旅行に一度だけかも知れない。
父は子沢山の弟にスーパーに有る物を持って行っては食べさせ、
その弟が小学校長を続け裕福になる頃、苦しい生活が始まった。
土地の売買等に手をだし増々負債は増えスーパーを閉店し、
友達の会社専務に依頼して50代半ばを過ぎて会社員となる。
その会社は事務所だけでも50人は社員が居たが、
私の高校の先輩も3人位は同じ所内で働いていた。
景気の良い時代で仕事が間に合わず猫の手も借りたかった時、
定年近い父でも仕事を与えてくれた。
60代になっても車を買えなくて自転車で通っていた父、
笑顔で帰宅し病弱な母に優しくしてくれた。
負債を返し終えても父は70代まで勤務を続け、
私は別の会社で25年間正社員として休む暇なく働いていた。
しかし、私の月給や賞与は父が借りに来る生活が長年続き、
そんな両親が嫌いになる事が何度も有った。
でも、幼い頃高熱が続き私を背負って病院に連れて行ってくれたのは父、
庭にぶどう棚、ザクロ、椿、柚子、菊、梅,桐、
色々な樹木やお花を植えてくれ、全部は思い出せない。
お友達と緑の庭でお花の風景を描いた事も有った。
生まれてから小学生迄は幸せだったのだから、
人は良い時ばかりはなく悪い事ばかりも続かない。
父は物静かで人を使う事も苦手で商人には合っていなかった。
会社員になっていたらと思えどもう遅い。
憎んでいた父が亡くなる数か月前、「お前は幸せに暮らしているのか。」
私の心配をしてくれた時、嬉しさで胸が熱くなり涙がいっぱい溢れた。
もう一度だけお父さんに会いたい、会ったらお礼を言いたい。
私、やっぱりお父さんが好きですと。
身体が丈夫で風邪で寝込んだ姿を見たことがない
私は兄弟の多い父方の叔母達に可愛がって貰った想い出が有り
父の兄弟の殆どが90代まで長生きをした
生活も大変だったのか地主の父をもつ母方のお世話になり、
氏だけは父方の氏を名乗った。
こつこつ商売を続け、私の子供の頃の記憶では
旅行に行ったのは商工会の旅行に一度だけかも知れない。
父は子沢山の弟にスーパーに有る物を持って行っては食べさせ、
その弟が小学校長を続け裕福になる頃、苦しい生活が始まった。
土地の売買等に手をだし増々負債は増えスーパーを閉店し、
友達の会社専務に依頼して50代半ばを過ぎて会社員となる。
その会社は事務所だけでも50人は社員が居たが、
私の高校の先輩も3人位は同じ所内で働いていた。
景気の良い時代で仕事が間に合わず猫の手も借りたかった時、
定年近い父でも仕事を与えてくれた。
60代になっても車を買えなくて自転車で通っていた父、
笑顔で帰宅し病弱な母に優しくしてくれた。
負債を返し終えても父は70代まで勤務を続け、
私は別の会社で25年間正社員として休む暇なく働いていた。
しかし、私の月給や賞与は父が借りに来る生活が長年続き、
そんな両親が嫌いになる事が何度も有った。
でも、幼い頃高熱が続き私を背負って病院に連れて行ってくれたのは父、
庭にぶどう棚、ザクロ、椿、柚子、菊、梅,桐、
色々な樹木やお花を植えてくれ、全部は思い出せない。
お友達と緑の庭でお花の風景を描いた事も有った。
生まれてから小学生迄は幸せだったのだから、
人は良い時ばかりはなく悪い事ばかりも続かない。
父は物静かで人を使う事も苦手で商人には合っていなかった。
会社員になっていたらと思えどもう遅い。
憎んでいた父が亡くなる数か月前、「お前は幸せに暮らしているのか。」
私の心配をしてくれた時、嬉しさで胸が熱くなり涙がいっぱい溢れた。
もう一度だけお父さんに会いたい、会ったらお礼を言いたい。
私、やっぱりお父さんが好きですと。