2013年01月の記事
2013 01/28 18:27
Category : 日記
日本列島に強い寒波がきている。
昨夜から今日の午前中にかけて日本海側だけではなく
太平洋側でも、にわか雪が降ったと思う。
寒気が通過する事で雪雲が成長し、
寒気の中心に強力な低気圧が発生している。
日本海側では今迄の積雪がかなり増えている為、
屋根から落ちる雪や雪崩に注意しなければならない。
沖縄も風が冷たくて水道水も冷んやりし、手が荒れる。
暖房器具は一切ない。今冬は薄掛けのお布団だけで毛布もなし。
昨日○○試験の終わった主人が将棋道具を持参で
公園に行ったので歩かなければいけない私も公園に行く。
清々しい青空の下で樹木やヒカンザクラや花々が咲きはじめ、
空気も美味しい。
今が雪山の頂上なら来月からは一歩ずつ山を下る事は確か。
これからも厳しい寒さがきても人は一歩ずつ遠い春に向かい
歩きだしているのも確か。
ほら、そっと耳を澄ませば風のささやき、小鳥のさえずり、
遠い山の方から春の溜息が聞こえるでしょう。
春だって早く町や村にゆきたいなと思っているけれど、
冬将軍が居座って近寄れない。
厳しい冬がくれば春はすぐその隣、厳しい人生も何時までも
続かない。努力をすれば希望に満ちた未来が後ろで待っている。
我が故郷の川沿いには菜の花が咲きだしている頃。
そして庭のさくらんぼの花が2月下旬には咲く。
数日前、テレビで放映した美ら水族館は3年も行っていない。
2013 01/23 20:02
Category : 日記
雨が降っているのも解らぬ程しとしと春雨のよう。
窓ガラスの外で降る雨音にも気づかない。
ふわふわ風が吹いた、花びらのような柔らかな風。
私の五感は全て耳に集まった。
いや違う。人が集まる場所には笑い声が聞こえる。
その笑いの中に入れば心が和む。
悩み苦しみ胃が痛んでも笑った途端に治ってしまう。
この町も、もうすぐ緋寒桜祭りが始まれば
人と人が円を描いたように丸く座り笑顔でいっぱいになる。
冬は内地の様々な都府県から沖縄見物の観光バスが賑わう。
私が「何処から来たのですか?」隣に居た人に問えば元気な声が返ってきた。
「新潟です。沖縄は暑くて堪らない。」と新潟の中年女性が呟く。
豪雪地帯から沖縄に来れば暑いと思うでしょう。
沖縄テレビから桜祭りの歌等が聞こえると
沖縄っていいなぁとつくづく思う。
緋寒桜を見ると梅の花のような形をしているので
梅の花を思い出す。
梅はほのかな香りが漂い、春を呼ぶ花みたいで好き。
緋寒桜は香りはなく、下をうつむき恥ずかしそうに咲く。
5年位前、とある温泉地に10日位一人で滞在した時も
梅園に行き、儚い香りの梅を見ながら思いっきり泣いた。
あの家族ともう1度やり直そうと決意を固め、
我家に帰った思い出がよみがえる。
静岡の我家の梅も咲き始めたかしら。
風に乗せて梅の香りを届けて欲しい。
2013 01/19 20:09
Category : 日記
最近、東京に雪が積もった日は最低気温が6,2度あった。
東京に居た頃は最低気温が4度以下にならなければ雪は降らないと、
自分なりに思っていた。
低気圧が寒気を引っ張り、冷たい雨が降る事で
冷たい空気が形成されたのかもしれない。
北陸から北の日本海側は明日の日曜日にかけても断続的に雪が降り、
北海道から東海の太平洋側と近畿から西は晴れる。
今回の寒さのピークは昨日で、今日は寒さが幾分和ぐとの予報。
沖縄も昨日の朝10度前後で、窓ガラスに無数の水滴が発生し下へ流れていく。
その窓ガラスの水滴を直ぐに拭いて洗濯機が回っている間、
朝食の支度を手早く済ませ○○大会に出る主人を見送った。
○○大会では優勝する事が多く月に2回位はお米を頂くので、
お米を買ったのは10月上旬に2キロだけ買った記憶がある。
午後5時過ぎに帰宅した主人は「何も商品は貰えなかった。」
ひとり言を呟き機嫌が良かった。
細かい事を問えば怒るのは分かっているので普通に振る舞っている。
1週間前に細かい事を聞いてしまい、
顔に鍵を投げられてから相手を疑うような言葉は避けるよう心掛けた。
沖縄では今日はムーチーの日(鬼餅)、ムーチーを神棚、仏壇等に供え、
家族の健康を祈り、厄払いをする。
スーパーの朝市に行った時もムーチーを買い求める人達を見ていたが、
沖縄の食品は余り好きではない。早く慣れなければと努力はしている。
明日は寒さが最も厳しくなる二十四節気の一つ大寒。
季節は駆け足で過ぎ、何一つ進まないうちに1月も下旬になる。
2013 01/14 19:05
Category : 日記
東海から東北にかけて荒れた天候になり、
風が強く吹き山沿いや内陸では大雪になっているとの予報。
天気予報を見て思う事は新潟県は吹雪続きで心配になる。
北海道の足寄郡陸別町の最低気温は今日もマイナス30、2℃。と極寒。
南の海上を低気圧が急速に発達し「南岸低気圧」によるものらしい。
沖縄は昨日、成人式が行われその後夕方に街を歩くらしいが、
あいにく雨で見る事が出来なかった。
昨年は新成人を見たけれど各卒業中学別の色違いの着物を着て、
少し荒れた人もいたのでは。
今年も警察官が50人位乗っているバスが3台も通った所を見れば、
悪く言いたくないが荒れた新成人がいる事を察知する。
新成人は着物も洋服も作れず着るスーツも無く出席できない人、
重病で出席できない人の事も理解してあげて欲しい。
どんな困難にも屈せず沖縄の為に頑張って貰いたい。
色々な面で沖縄がどんどん良くなる事を考えている人もいるのだから。
温暖な沖縄も昨日から冷たい風がびゅうびゅう吹き荒れて、
買物帰りにセミロングの髪がぼさぼさに乱れたまま人の目も構わず歩いていた。
温かさに慣れた人達は寒い!と背中を丸めて分厚い上着を着て、
ブーツを履く若者には思わず笑ってしまいそう。
この町は以前住んだ街より治安が少し良くないかもしれない。
夜10時過ぎ等とても怖くて歩けないし商店街もない。
それでもこの町の人達と親しみ仲良く暮らしたいと努力している。
2013 01/10 20:28
Category : 日記
1月5日に「小寒」に入り、いよいよ厳しい寒さが本格化し、
寒明けになる立春頃迄にその冬の最低気温が出る事が多い。
小寒は二十四節気の一つで、いわゆる「寒の入り」の事で小寒後15日で
大寒に入り大寒後15日で寒が明ける。
9日北海道の宗谷地方の歌登で氷点下31度まで下がり、
全国の今冬最低気温を更新したとの事。
今頃、我が家では金柑の実がたわわに実り
小鳥達が突いて手作り池迄ぽろぽろ落ちているだろうか。
隣の奥様に「家の金柑で宜しかったら食してくださいね。」
我が家を出発する前日に話してあるが食べて頂けたかしら。
主人が亡き奥様の恩師に出した年賀状の返事を彼が私に伝えた。
「家の××の恩師に年賀状を出したら高齢の為これで終わりにしたい。」との事。
「何故、亡き奥様の変わりに年賀状を出し続けるの?」
「余りにも××の高校の成績が優秀だったから。」私は絶句した。
昔、進学校で優秀な成績だったとしても、亡き妻の変わりに
二十年近くも年賀状を出していた主人の行動には驚くばかり。
死に別れの人と一緒に等なるものではないと聞いた通り、
嫁いで楽しい思い出は少なく辛い事の方が多かったと思う。
でも耐えれば良い事があると信じて十数年が経った今、
彼は傷つける言葉を使用した後は反省の態度がみられる。
年齢の割には好奇心旺盛でスケジュールがいっぱい。
今朝もゲートボール、午後はグランドゴルフ、今夜は髪を洗いダンスに出かけた。
将棋、ペン習字や歌も習い始め、趣味が多彩で私より気が若い。
誉めておだてゝいれば機嫌が良い点は単純だと何時も思う。
どんな病気になってもストレスを溜めない性格が得をしている。
今日の沖縄は17度で9日位曇りや雨が続いている。
明日は久しぶりに貴重な晴れ時々曇りの予報。
青い空と白い雲が見たいなあ。
沖縄はハイビスカスの花が一年中咲いて私の心を和ませてくれる。
2013 01/04 22:02
Category : 日記
お正月の三が日は、家に居たり神社に初詣に行った程度で、
町も余り賑わって見えない様子だった。
今年のお正月はお店で売っているお節料理等は余り買わずに
お煮しめ僅かなお節とお雑煮、黄粉餅などを食し3日目は普通の食事を摂る。
「お節などお正月料理は買わない!」と言う細かい主人の方針通り、
お野菜を中心の粗食が続く日も多々ある。
昔、高校時代のお正月は貧しくて大晦日までバイト先に泊まり、
元日の朝、電車を乗り換えて帰った経験もある。
あの頃は焼いたお餅だけで十分楽しかったのは、
年老いた両親が傍に居て炬燵を囲み家族の団欒があったから。
毎晩、お布団には温かい湯たんぽが入っている事を母に感謝し、
お風呂を沸かしてくれた父に有難うと言えずに反抗的な態度をとった。
元日の夜から遊ぶ暇もなく、各科の宿題や勉強が山ほど残って、
僅か数日の間に終わらない為、登校すると追いつくのが大変だった。
解らない問題を教えてくれる姉妹や家族が欲しかったけれど、
友達のように塾に行く余裕もなく、自分なりに少し頑張った。
高卒でも有名企業に入社できたが、殆ど両親が返済に使ってしまい、
考えた末、親友の両親経営する料亭へバイトに夜と土、日は通った。
今は粗食でも惣菜が有り食後の果実が有り、
伴侶が口うるさい時は私に落ち度があるから。
何事もなく暮らせるだけで充分である。
黙々と家事をしていれば伴侶も機嫌が悪くはない。
何時も思う事だが人は一人では生きてゆけない。
誰かと何らかの関わりがなければ生きてゆけない。
だから人との出会いを大切にしたい。
町も余り賑わって見えない様子だった。
今年のお正月はお店で売っているお節料理等は余り買わずに
お煮しめ僅かなお節とお雑煮、黄粉餅などを食し3日目は普通の食事を摂る。
「お節などお正月料理は買わない!」と言う細かい主人の方針通り、
お野菜を中心の粗食が続く日も多々ある。
昔、高校時代のお正月は貧しくて大晦日までバイト先に泊まり、
元日の朝、電車を乗り換えて帰った経験もある。
あの頃は焼いたお餅だけで十分楽しかったのは、
年老いた両親が傍に居て炬燵を囲み家族の団欒があったから。
毎晩、お布団には温かい湯たんぽが入っている事を母に感謝し、
お風呂を沸かしてくれた父に有難うと言えずに反抗的な態度をとった。
元日の夜から遊ぶ暇もなく、各科の宿題や勉強が山ほど残って、
僅か数日の間に終わらない為、登校すると追いつくのが大変だった。
解らない問題を教えてくれる姉妹や家族が欲しかったけれど、
友達のように塾に行く余裕もなく、自分なりに少し頑張った。
高卒でも有名企業に入社できたが、殆ど両親が返済に使ってしまい、
考えた末、親友の両親経営する料亭へバイトに夜と土、日は通った。
今は粗食でも惣菜が有り食後の果実が有り、
伴侶が口うるさい時は私に落ち度があるから。
何事もなく暮らせるだけで充分である。
黙々と家事をしていれば伴侶も機嫌が悪くはない。
何時も思う事だが人は一人では生きてゆけない。
誰かと何らかの関わりがなければ生きてゆけない。
だから人との出会いを大切にしたい。