2009 06/08 18:07
Category : 日記
好景気が続いていた昭和50年代、景気に陰りが出始めた
中小企業、商店も出てきた頃だった。
その頃の母は、病気の合併症が出て外出もできず、
真っ青な顔をして痩せ細っていた。
父も高齢の身で一所懸命働いても、相変わらず生活は苦しかった。
そこで両親は、家を建て直す為に私の人生を変えてしまった。
私は苦しかった。両親も影で泣くほど苦しい選択をしたと思う。
その時、どんな環境の中にいても耐えれば笑える日がくると信じていた。
辛い事ばかりじゃない、楽しい事もあると自分に言い聞かせていた。
23才と言えば友達は、自由に楽しく遊んだり恋人と交際したり、
一番、楽しい年頃。
しかし、私は23才には二度と戻りたくない。
あの頃は、両親が大嫌いだった。年月が経てば憎しみも薄れて
今では、哀れな両親に天国で幸福になって貰いたいと思う。
お盆がくる前の今月、お墓参りに行きたいとふと考えた。
どんな親でも、子供の可愛くない親は居ない。
私を産み育てゝくれた親だから、私の幸福を願っていたと思いたい。
お父さん、お母さん、会える日まで約束は出来ないけれど、
きっと会いに行くから待っていて下さいね。と夕方の空に誓う。
中小企業、商店も出てきた頃だった。
その頃の母は、病気の合併症が出て外出もできず、
真っ青な顔をして痩せ細っていた。
父も高齢の身で一所懸命働いても、相変わらず生活は苦しかった。
そこで両親は、家を建て直す為に私の人生を変えてしまった。
私は苦しかった。両親も影で泣くほど苦しい選択をしたと思う。
その時、どんな環境の中にいても耐えれば笑える日がくると信じていた。
辛い事ばかりじゃない、楽しい事もあると自分に言い聞かせていた。
23才と言えば友達は、自由に楽しく遊んだり恋人と交際したり、
一番、楽しい年頃。
しかし、私は23才には二度と戻りたくない。
あの頃は、両親が大嫌いだった。年月が経てば憎しみも薄れて
今では、哀れな両親に天国で幸福になって貰いたいと思う。
お盆がくる前の今月、お墓参りに行きたいとふと考えた。
どんな親でも、子供の可愛くない親は居ない。
私を産み育てゝくれた親だから、私の幸福を願っていたと思いたい。
お父さん、お母さん、会える日まで約束は出来ないけれど、
きっと会いに行くから待っていて下さいね。と夕方の空に誓う。