2012年11月の記事


11月30日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第六日目(その3)です。中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の町バイアマーレに向かう。
 途中、ハンガリー人の伝統が息づくヴィシュテア村に立ち寄り、この地方の家庭を訪問する。民族衣装を着て、歓待していただきました。その後、この村を散策する。中世にタイムスリップしたかのような、昔ながらの伝統が息づく村でした。昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学。その後、シク村を訪ました。
 今日はシク村の紹介です。シク村では、ハンガリー人の一家を訪問、村の若者たちが庭の舞台で民族舞踊を披露してくれました。
使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


シク村


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11月29日のアプレット


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今日のアプレットはJava image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がしだいにカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。

使用した写真は、クルージ・ナポカ市内散策です。ルーマニア・ブルガリアの旅第六日目の昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学、遠くへ来たなぁと言う思いが込み上がりました。

使用したclassファイルはColorizeImag.classです。

今 日 の 一 枚


クルージ・ナポカ市内散策


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11月28日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第六日目(その2)です。中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の町バイアマーレに向かう。
 途中、ハンガリー人の伝統が息づくヴィシュテア村に立ち寄り、この地方の家庭を訪問する。民族衣装を着て、歓待していただきました。その後、この村を散策する。中世にタイムスリップしたかのような、昔ながらの伝統が息づく村でした。昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学。その後、シク村を訪れ、ハンガリー人の一家を訪問、村の子どもたちが庭の舞台で民族舞踊を披露してくれました。
 今日はクルージ・ナポカの紹介です。 途中結婚式にも遭遇しました。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


聖ミカエル教会


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11月27日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第六日目(その1)です。中世の農民文化が色濃く残るマラムレッシュ地方の町バイアマーレに向かう。
 途中、ハンガリー人の伝統が息づくヴィシュテア村に立ち寄り、この地方の家庭を訪問する。民族衣装を着て、歓待していただきました。その後、この村を散策する。中世にタイムスリップしたかのような、昔ながらの伝統が息づく村でした。昼食後、ハンガリー人が多く住むクルージ・ナポカに立ち寄り、町の中心を歩いて見学。その後、シク村を訪れ、ハンガリー人の一家を訪問、村の子どもたちが庭の舞台で民族舞踊を披露してくれました。。
 今日はヴィシュテア村でハンガリー人のレヴェンテさん宅訪問(民族衣装でお出迎え)とその村の様子です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ハンガリー人のレヴェンテさん宅訪問


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11月26日のアプレット


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今日のアプレットビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、シナイアのペレシュ城です。ペレシュ城は、1875年にカロル一世がルーマニア王室の夏の避暑地として長年の歳月をかけて建てた宮殿です。 ルネッサンス、バロック、ロココ様式を全て取り入れた ドイツ・ルネッサンス様式で 建てられており、 博物館の部屋には、絵画、彫刻、陶磁器、金銀、 宝飾品、中世の武器などが飾られ、ルーマニアで最も華麗で優美なお城と言われています。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今 日 の 一 枚


シナイアのペレシュ城


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11月25日のアプレット


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今日のアプレットはJava image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がしだいにカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。

使用した写真は、ビエルタンの要塞教会です。「要塞教会」は、オスマン・トルコ軍などの侵略を防ぐため、教会の防衛を強化するための要塞化がすすみ、このような要塞教会は17世紀初頭には600箇所もあり、現在でもその半分程度が残っているとのことです。この中で、代表的なものは、ルーマニアのほぼ中央に位置する「ビエルタンの要塞教会」で、1993年に最初に世界遺産として登録されましたが、その規模、保存状況ともに最良のものとして知られています。 ビエルタンでは、防壁が、街全体ではなく、生活の中心であった教会の周りだけにめぐらされています。要塞化されたゴシック様式の教会の近くには、いくつかの食料倉庫が建てられ、食料の備蓄をして篭城戦にも耐えられるようにしていたそうです。

使用したclassファイルはColorizeImag.classです。

今 日 の 一 枚


ビエルタンの要塞教会


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11月24日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第五日目(その3)です。ルーマニアでの初日は、中世の佇まいを色濃く残すトランシルバニア地方の町々を訪れました。午前中に、シナイアにある僧院とカロル1世の華燭な夏の離宮ペレシュ城、その後、ビエルダンにある要塞聖堂を見学しました。午後には、シギショアラにあるブラド・ドラキュラの生家と時計塔のある小さな城下町を散策。ブラド・ドラキュラの生家はレストランになっていました。今日はビエルダンにある要塞教会の紹介です。「要塞教会」は、オスマン・トルコ軍などの侵略を防ぐため、教会の防衛を強化するための要塞化がすすみ、このような要塞教会は17世紀初頭には600箇所もあり、現在でもその半分程度が残っているとのことです。この中で、代表的なものは、ルーマニアのほぼ中央に位置する「ビエルタンの要塞教会」で、1993年に最初に世界遺産として登録されましたが、その規模、保存状況ともに最良のものとして知られています。 ビエルタンでは、防壁が、街全体ではなく、生活の中心であった教会の周りだけにめぐらされています。要塞化されたゴシック様式の教会の近くには、いくつかの食料倉庫が建てられ、食料の備蓄をして篭城戦にも耐えられるようにしていたそうです。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ビエルタンの要塞教会


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11月23日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第五日目(その2)です。ルーマニアでの初日は、中世の佇まいを色濃く残すトランシルバニア地方の町々を訪れました。午前中に、シナイアにある僧院とカロル1世の華燭な夏の離宮ペレシュ城、その後、ビエルダンにある要塞聖堂を見学しました。午後には、シギショアラにあるブラド・ドラキュラの生家と時計塔のある小さな城下町を散策。ブラド・ドラキュラの生家はレストランになっていました。今日はシギショアラの街の散策です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ドラキュラの生家


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11月22日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第五日目(その1)です。ルーマニアでの初日は、中世の佇まいを色濃く残すトランシルバニア地方の町々を訪れました。午前中に、シナイアにある僧院とカロル1世の華燭な夏の離宮ペレシュ城、その後、ビエルダンにある要塞聖堂を見学しました。午後には、シギショアラにあるブラド・ドラキュラの生家と時計塔のある小さな城下町を散策。ブラド・ドラキュラの生家はレストランになっていました。今日はシナイアの僧院とシナイアのカロル1世の華燭な夏の離宮ペレシュ城の紹介です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


シナイアの僧院


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11月21日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第四日目(その2)です。バルナ市内観光の後、マダラ遺跡の「マダラの騎士」のレリーフを見に行く。シューメンから東へ18㎞の山中の切り立った断崖に、騎馬姿の騎士がレリーフとして刻まれている。通称「マダラの騎士」レリーフの高さは93m、猟犬を従えワイングラスを持っている。歴代皇帝の名前が記されていることから、8世紀の制作だとされている。
 近年崩落が激しく、余りよく見えない。10年以上前から足場を組み修復作業が続いている。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


マダラ遺跡


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11月20日のアプレット


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今日のアプレットはJava image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がしだいにカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。

使用した写真は、バルナのローマ浴場遺跡 です。バルナ市内観光の時立ち寄った、住宅街の中に周りを赤レンガで囲まれ保存されているローマの浴場跡は、紀元前3-2世紀のものといわれています。浴場はこの地域では最大の大きさで7000㎡あったといわれています。

使用したclassファイルはColorizeImag.classです。

今 日 の 一 枚


バルナのローマ浴場遺跡


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11月19日のアプレット


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今日の日替わりアプレットは、ズーム機能を使ってビデオ撮影いるように思えるアプレットです。

使用した写真は、黒海沿岸のビーチにて です。バルナ市内観光の時立ち寄った黒海沿岸バルナのビーチの様子です。それにしても黒海での海水浴を見られるとは思いもしなかったです。

使用したclassファイルはzoompan.classです。

今 日 の 一 枚


黒海沿岸バルナのビーチにて


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11月18日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、黒海沿岸のビーチにて です。バルナ市内観光の時立ち寄った黒海沿岸バルナのビーチの様子です。それにしても黒海での海水浴を見られるとは思いもしなかったです。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今 日 の 一 枚


黒海沿岸バルナのビーチにて


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11月17日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第四日目(その1)です。バルナはソフィア、プロヴディフに次ぐブルガリア第三の都市で夏の首都とも言われ、黒海沿岸人口30万人の中核都市である。また世界とブルガリアを繋ぐ海の窓口でもある。
 聖母マリア大聖堂・バルナの黒海沿岸のビーチ・ローマ浴場跡・考古学博物館を見た。それにしても黒海での海水浴を見られるとは思いもしなかった。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


聖母マリア大聖堂前


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11月16日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第三日目(その3)です。国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口7万弱の地方都市。ブルガリア入にも人気の観光地だ。
 森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだ。
 どこを歩いても違う表情を見せてくれて、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け込んでいる。町の人からは「タルノヴォ」という愛称で呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都でもある。
 イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲をおさえ、タルノヴォで勉学を修するためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。
 しかし、その帝国もアッセン王死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3ヵ月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年になってから。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。
 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史のつひとつが味わえる。
 ベリコ・タルノヴォノアの後、アルバナシ村やシューメンのトンブルモスクに立ち寄る。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

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ベリコ・タルノヴォ市街散策


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11月15日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第三日目(その2)です。国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口7万弱の地方都市。ブルガリア入にも人気の観光地だ。
 森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだ。
 どこを歩いても違う表情を見せてくれて、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け込んでいる。町の人からは「タルノヴォ」という愛称で呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都でもある。
 イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲をおさえ、タルノヴォで勉学を修するためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。
 しかし、その帝国もアッセン王死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3ヵ月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年になってから。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。
 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史のつひとつが味わえる。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

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ベリコ・タルノヴォ市街散策


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11月14日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第三日目(その1)です。国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口7万弱の地方都市。ブルガリア入にも人気の観光地だ。
 森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだ。
 どこを歩いても違う表情を見せてくれて、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け込んでいる。町の人からは「タルノヴォ」という愛称で呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた古都でもある。
 イヴァン・アッセン王治下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のほぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲をおさえ、タルノヴォで勉学を修するためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。
 しかし、その帝国もアッセン王死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との3ヵ月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが再び脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配からの独立を達成した1879年になってから。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。
 どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳の坂道を歩きながら、町が刻んできた歴史のつひとつが味わえる。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ベリコ・タルノヴォ市街散策


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11月13日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、リラ僧院です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。
 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。
 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。
 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。今日はリラ僧院のシンボル「聖処女教会」です。

使用したclassファイルはJcam.classです。

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リラ僧院


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11月12日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはジグソウパズルです。絵の中にマウスを入れると16分割されたイメージが入れ替わりながら元の絵になります。 マウスを絵の外に出すと絵を16分割して、分割されたイメージをランダムに配置します。コンピュータのくせに間違えるのがご愛敬。何回か挑戦してみてください。気が短い方は画面の中でクリックすれば正解になります。

使用した写真は、リラ僧院のシンボル「聖処女教会」です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。
 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。
 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。
 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。今日はリラ僧院のシンボル「聖処女教会」です。

使用したclassファイルはShuffleImag.classです。

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リラ僧院のシンボル「聖処女教会」


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11月11日のアプレット


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今日の日替わりアプレットは窓と雪。窓の開け閉めはマウスでドラッグ、雪の動きを止めるにはマウスのクリックして下さい。BGMはグルノーブルオリンピックのテーマソング「白い恋人たち」です。

使用した写真は、リラの僧院に雪が降る(その2)です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。
 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。
 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。
 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

使用したclassファイルはsnow_m.classです。

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リラの僧院


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11月10日のアプレット


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今日の日替わりアプレットは雪を降らせるアプレットです。BGMは雪の降る街をです。

使用した写真は、リラの僧院に雪が降る(その1)です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。
 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。
 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。
 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

使用したclassファイルはansnow.classです。

今 日 の 一 枚


リラの僧院


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11月09日のアプレット


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今日のアプレットはJava image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がしだいにカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。

使用した写真は、コウノトリの巣が個人の家の屋根にです。首都ソフィアから南へ約120km、リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ソフィアからバスでリラの僧院を訪ねる途中、個人のお宅の屋根にコウノトリの巣をいくつも見かけました。中にはつがいで巣を守っているコウノトリも見ました。とてもホッとするような光景でした。

使用したclassファイルはColorizeImag.classです。

今 日 の 一 枚


コウノトリの巣が個人の家の屋根に


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11月08日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第二日目です。ソフィアから南へ約120km。リラ山の奥深くにひっそりとリラの僧院はある。ブルガリア正教の総本山ともいうべき僧院である。バスに乗って、欝蒼とした緑深き1本の山道を揺られて行くと、曲がりくねった道の先に突然現れる、色彩.豊かな僧院の門。このような場所に、いったい誰がどんな想いで、僧院を建てたのだろうか……。
 僧院の歴史は10世紀にさかのぼる。イヴァン・リルスキという僧が、隠遁の地としてこの場所を選んだ。そして小さな寺院を建立。それがやがて中世の宗教と文化の中心になっていったのである。
 現在の形になったのは14世紀。時の王の庇護の下で僧院文化は華開いた。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下に入ることになる。この問、キリスト教の信仰はもちろん、ブルガリア語の書物を読むことにも制限が加えられていたのだが、この僧院だけは、それらが黙認されていた。征時には約360の房に全国から僧が集い、寝起きしていたという。
 僧院の建物は、1833年の大火事でおおかた燃えてしまったが、その後復旧され、1983年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

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リラの僧院


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11月07日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、聖ニコライ・ロシア教会です。1913年に、ロシアの外交官セモントフスキ・クリロの命により、聖ニコライを祀るために建立された教会。ロシアとブルガリアでは、同じ正教とはいっても宗派が違うため、自らの宗教上のアイデンティティを守るために建立を思い立ったというエピソードも。終日、祈りを捧げるためにやってくる信者の姿は途切れることがない。陽を浴びていっそう輝く5つの金色のドームと、エメラルドグリーンの尖塔が美しい。

使用したclassファイルはJcam.classです。

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 聖ニコライ・ロシア教会


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11月06日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、ソフィアの顔 アレクサンダル・ネフスキー寺院です。5000人を収容するバルカン半島最大にして、最も美しいといわれる寺院。高さ60mの金色のドームをはじめ12のドームからなるネオ・ビザンツ様式の豪華な建物だ。
 この寺院は、ブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争で戦死した20万人のロシア人兵士を慰霊する目的で建立され、1882年に着工してから40年の歳月を経て完成した。
 華麗なのは外装だけではない。内部装飾で目を見張るのは、メノウ、大理石をふんだんに使った精巧なモザイクが壁を覆う壁画。大理石はブラジル、ギリシア、エジプト、イタリアなどからはるばると運ばれてきたものだ。ドームの頂上からつり下げられた巨大なシャンデリアの豪華さも圧巻。三つある祭壇は、中央がロシア、向かって右がブルガリア、左がほかのスラヴ諸国に捧げられたもの。地下室は、国中から集められたイコン(宗教画)が展示されている博物館になっている。一見の価値あり。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今 日 の 一 枚


ソフィアの顔 アレクサンダル・ネフスキー寺院


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11月05日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第一日目(その2)です。 成田空港よりイスタンブールを経由してブルガリアの首都ソフィアへ着く。着後、ソフィア市内観光。アレキサンドル・ネフスキー寺院と寺院内にあるヨーロッパ最大のイコンコレクションを誇るイコン博物館、聖ペトカ地下教会と聖ゲオルギ教会を見学する。途中で大統領官邸での衛兵の交替式に遭遇する。夕食は、民族舞踊とブルガリア料理でした。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


大統領官邸での衛兵の交替式


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11月04日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はunnseenwinds、旗が風に靡き、吹き飛ばされて、次の画像に切り替わります。

使用した写真は、ルーマニア・ブルガリアの旅第一日目(その1)です。成田空港よりイスタンブールを経由してブルガリアの首都ソフィアへ着く。着後、ソフィア市内観光。アレキサンドル・ネフスキー寺院と寺院内にあるヨーロッパ最大のイコンコレクションを誇るイコン博物館、聖ペトカ地下教会と聖ゲオルギ教会を見学する。夕食は、民族舞踊とブルガリア料理。
 ブルガリア南西部、ヴィトシャ山の麓に位置する首都ソフィアは人口約120万入、標高550mの高原都市。欧州の首都としては、マドリッドに次ぐ高所にある。北にはバルカン山脈、南にヴィトシャ山、西にリュウリン山と、周囲を山々に囲まれた盆地で、水がおいしいことで有名だ。
 地理的には、アドリア海と黒海を結ぶ交通の要所にあり、古くから交易で栄えた。町の歴史は紀元前7世紀にさかのぼる。古代トラキア人によって建設され、紀元後のローマ時代にはセルディカと呼ばれていた。5世紀にはフン族の侵攻を受け、その後も、東ローマ帝国やスラヴ人によって支配される歴史が続く。そして、144世紀から19世紀までのおよそ500年に及ぶオスマン朝の支配下では、その圧政に苦しむことになる。
 19世紀末になって、露土戦争でロシアが勝ったのがきっかけで、オスマン朝の支配から解放された。新たな都市開発が始まり、第二次世界大戦後の社会主義体制下では、旧ソ連に忠実な国家建設が進められてきた。民主化から10年以上が経過した現在のソフィアは、旧ソ連やブルガリア共産党に関係する建物や銅像が撤去され、通りや広場の名前も旧ソ連を連想させるものは一掃された。町そのものも、そしてそこに生きる入々の意識も、いま加速度を増して変化しつつある。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ソフィア市内


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11月03日のアプレット


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今日のアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、イエメン門から見たサナア中心街です。イエメン最後の日、空港へ行くまでの僅かな時間サナア市街を散策し、別れを惜しみました。イエメン門の上からの眺めです。昼食後、ドーハ乗り継ぎで帰国の途につきます。

 帰国から僅か二年後、イエメンでは主要観光地である「砂漠のマンハッタン」で外国人観光客を狙ったテロが起こり、その後はソマリアの海賊やテロの拠点になり今ではとても怖くて行けない。この時には国の貧しさは感じたが、危険と隣り合わせの旅とは思わなかった。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今 日 の 一 枚


イエメン門から見たサナア中心街


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11月02日のアプレット


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今日のアプレットはJava image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がしだいにカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。

使用した写真は、首都サナア市内散策です。イエメン最後の日、空港へ行くまでの僅かな時間サナア市街を散策し、別れを惜しみました。昼食後、ドーハ乗り継ぎで帰国の途につきます。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


首都サナア市内散策


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11月01日のアプレット


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今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はdust、魔法使いが色砂を口から吹き付け絵を描いているいるように思えるアプレットです。

使用した写真は、イエメン観光 十日目(その2)です。イエメン最後の日、空港へ行くまでの僅かな時間サナア市街を散策し、別れを惜しみ、イエメン門からの俯瞰の写真を撮りました。最後の写真は、イエメン滞在中毎回お世話になった,懐かしの味「ナン」です。

使用したclassファイルはDS_Dust.classです。

今 日 の 一 枚


朝の首都サナア


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