2018年12月の記事
2018 12/23 09:04
Category : 日記
<<インド>>--アグラ--
タージ・マハルの白亜の殿堂を鑑賞中に、暑さのためにダウンした人々。
この霊廟を間近で見学するためには、弾道の上り口で靴を脱いで上がらなければならない。
大理石の床は暑くはないものの、太陽の白い大理石の照り返しで、半端ではない暑さとなる。
温度計を持っていないので実際の暑さは分からないものの、体感では45度くらいの暑さに感じるのである。
流石に暑過ぎてじっくりとこの霊廟を間近で鑑賞する気持ちにならず、日陰のこの場所に来てほっと我に返った次第である。
この暑さを感じたのは私だけでなく、御覧のように国の内外を問わず皆へたばっているようであった。
タージ・マハルの白亜の殿堂を鑑賞中に、暑さのためにダウンした人々。
この霊廟を間近で見学するためには、弾道の上り口で靴を脱いで上がらなければならない。
大理石の床は暑くはないものの、太陽の白い大理石の照り返しで、半端ではない暑さとなる。
温度計を持っていないので実際の暑さは分からないものの、体感では45度くらいの暑さに感じるのである。
流石に暑過ぎてじっくりとこの霊廟を間近で鑑賞する気持ちにならず、日陰のこの場所に来てほっと我に返った次第である。
この暑さを感じたのは私だけでなく、御覧のように国の内外を問わず皆へたばっているようであった。
2018 12/16 18:51
Category : 日記
<<インド>>--アグラ--
タージ・マハルの城門脇の渡り廊下を通して見る、白亜の大理石で造られた霊廟の光景。
この壮麗な霊廟は、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハンが妻のムムターズ・マハルの死を悼み、世界各地から人材・資材を集め、1631年から22年という歳月と国家が傾くような莫大な費用を掛けて建設したものである。
そのため彼の息子である次期国王の謀反によって、彼はアグラ城に幽閉されてしまい、死ぬまでこの霊場を鉄格子を通して眺めながら、この世を去ったのだという。
この霊場に入るには、靴を脱がなければならず、雨の日は素足でなければ上がることが出来ない。
幸い我々が訪れた時は、晴れていたが、大理石の石畳はひんやりするものの、暑い太陽の照り返しで、目が眩む思いがしたのを覚えている。
この霊廟の地下には、嘗ての皇帝シャー・ジャハンと愛妻ムムターズ・マハルの遺体が並べて収められているが、それを見ることは出来ない。
タージ・マハルの城門脇の渡り廊下を通して見る、白亜の大理石で造られた霊廟の光景。
この壮麗な霊廟は、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハンが妻のムムターズ・マハルの死を悼み、世界各地から人材・資材を集め、1631年から22年という歳月と国家が傾くような莫大な費用を掛けて建設したものである。
そのため彼の息子である次期国王の謀反によって、彼はアグラ城に幽閉されてしまい、死ぬまでこの霊場を鉄格子を通して眺めながら、この世を去ったのだという。
この霊場に入るには、靴を脱がなければならず、雨の日は素足でなければ上がることが出来ない。
幸い我々が訪れた時は、晴れていたが、大理石の石畳はひんやりするものの、暑い太陽の照り返しで、目が眩む思いがしたのを覚えている。
この霊廟の地下には、嘗ての皇帝シャー・ジャハンと愛妻ムムターズ・マハルの遺体が並べて収められているが、それを見ることは出来ない。
2018 12/09 08:51
Category : 日記
<<インド>>--アグラ--
インドを代表する建物の一つタージ・マハルの壮麗な光景。
ムガル建築の最高建築ともいえるこのタージ・マハルはインド観光の目玉として多くの人々を引き寄せてやまない。
城門を潜り、はるか彼方に聳えるこの白亜の殿堂を眼前に見ると、誰もが一応に歓声を上げるのである。
世界を旅行して、思わず観光客が歓声を上げたのは、私の記憶ではこの時が二度目であった。
一度目はエジプトのクフ王の巨大なピラミッドが、観光バスの窓を通して突然現れた時であり、そして二度目はこの時である。
人は予想をはるかに超えた光景を目の当たりにすると、思わず声を上げるのだということをこの時知ったのである。
この建物の由来は、改めて次の機会に記すこととしよう。
インドを代表する建物の一つタージ・マハルの壮麗な光景。
ムガル建築の最高建築ともいえるこのタージ・マハルはインド観光の目玉として多くの人々を引き寄せてやまない。
城門を潜り、はるか彼方に聳えるこの白亜の殿堂を眼前に見ると、誰もが一応に歓声を上げるのである。
世界を旅行して、思わず観光客が歓声を上げたのは、私の記憶ではこの時が二度目であった。
一度目はエジプトのクフ王の巨大なピラミッドが、観光バスの窓を通して突然現れた時であり、そして二度目はこの時である。
人は予想をはるかに超えた光景を目の当たりにすると、思わず声を上げるのだということをこの時知ったのである。
この建物の由来は、改めて次の機会に記すこととしよう。