2017 05/17 19:30
Category : 日記
<<日本>>--渋谷--
東急百貨店9階から見る、変貌を遂げる渋谷宮益坂方面の光景。
嘗て私は現役時代に、向かって宮益坂交差点の、左側角に見えるビルの6階オフィスに勤務していたことがある。
もう16年前になるが、当時前方正面に見えるヒカリエのビルは無かった。
通勤も池袋から山手線に乗り換えて渋谷まで通ったものだが、今は副都心線が乗り入れて、我が家から乗り換え無しの一本で渋谷まで来れる。
時代の変遷と共に、都市や近郊の様子は変化を遂げて、驚くばかりである。
しかし今でも変らぬ光景は、昭和2年に日本で始めて開通した、下を走る地下鉄銀座線である。
この地下鉄、東急百貨店3階に始発駅があり、渋谷ー浅草間を昔と変らず走っているのである。
しかし、当時の地下線路を活用するためには地下道の天井が低過ぎるため、通常の車両の屋根に取り付けるエアコンが取り付けられず、新たな扇外機を開発したというエピソードが有る。
昔の資産をそのまま活用し続けるためには、様々な苦労が必要であるが、良き物は残し続けて欲しいものである。
東急百貨店9階から見る、変貌を遂げる渋谷宮益坂方面の光景。
嘗て私は現役時代に、向かって宮益坂交差点の、左側角に見えるビルの6階オフィスに勤務していたことがある。
もう16年前になるが、当時前方正面に見えるヒカリエのビルは無かった。
通勤も池袋から山手線に乗り換えて渋谷まで通ったものだが、今は副都心線が乗り入れて、我が家から乗り換え無しの一本で渋谷まで来れる。
時代の変遷と共に、都市や近郊の様子は変化を遂げて、驚くばかりである。
しかし今でも変らぬ光景は、昭和2年に日本で始めて開通した、下を走る地下鉄銀座線である。
この地下鉄、東急百貨店3階に始発駅があり、渋谷ー浅草間を昔と変らず走っているのである。
しかし、当時の地下線路を活用するためには地下道の天井が低過ぎるため、通常の車両の屋根に取り付けるエアコンが取り付けられず、新たな扇外機を開発したというエピソードが有る。
昔の資産をそのまま活用し続けるためには、様々な苦労が必要であるが、良き物は残し続けて欲しいものである。