2016年07月の記事


「フェアウェイ」
<<日本>>--大宮--


アウト二番ホールのティ・グランドから見る、フェアウェイの緑の絨毯。

手術後入院中の病窓から外の田園風景を眺めるにつけ、果たして退院したら、またゴルフが出来るようになるのだろうか、という不安が有った。

まだ両足の膝から下の痺れが残ってはいるものの、術後一ヶ月目の主治医の問診日に、ゴルフをしても良いかと尋ねた所、自分が出来そうだと思ったらやってみなさいと言われた。


矢張り半年振りのプレーとなると、スィング感覚が戻らず、案の定最初の一番ホールのティ・ショットで、思わぬOBを出してしまった。

気分転換に、二番ホールでオーナーになった相棒の、ティ・アップしたオレンジボールを通して、緑のフェアウェイの様子を携帯で撮ってみた。

見渡す限り緑一面の景観を眺めながら、スコアーは兎も角、再びプレーが出来る体になった事に、思わず喜びが込み上げてくるのであった。

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「半年振りのゴルフ」
<<日本>>--大宮--


手術後初めてのゴルフプレーに行く事が出来た。

私としてはこれほど長い間ゴルフをしなかった事は、ゴルフを始めてから初めてのことである。

手術前、主治医のS教授には、せめて手術をした結果、またゴルフが出来るくらいの回復を希望すると、お願いしたものだ。


退院後一ヶ月を経過した今日、比較的涼しい日だったので、ゴルフ仲間に連絡し、ラウンド・プレーとなった。

体調の状況によって、途中中止することも考慮してのプレーであったが、幸い最後までプレーすることが出来たのが嬉しかった。

プレー終了後、仲間の希望も有り、リハビリ・プレーが出来た事を祝っての記念写真となった。

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「交差点」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ハノイ大教会のある前の道は、ご覧のような交差点であった。

沢山のバイクが行き交う様子は、最初に訪れたホーチミン市とあまり変わりがない。

ちょっと違うのは、流石にベトナムの首都だけあって、交通量に変わりはないものの、バイクを運転する人たちが、規則正しく皆ヘルメットを着用している事であろう。


ベトナムでも、日本同様バイクを運転する人は、ヘルメット着用を義務付けられている。

しかしホーチミン市では、ヘルメットを着用していないバイクの運転手を、結構見かけた。

矢張りそれだけ、首都だけあって、交通の監視が行き届いていると言う事なのであろうか。

しかし日本と違い、ヘルメットの色や形が、実に様々でカラフルである事に気付いたのであった。

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「待つ人々」
<<ベトナム>>--ハノイ--


下校する子供達を、今や遅しと待ち続ける親達の姿。

これがハノイ大教会に付属するミッションスクールの、下校時の日常の姿なのであろう。

親達は、何処の国でも、子供の養育には寸暇を惜しまないものなのであろう。


まして昨今の政情不安は、世界中何処に行っても同様であり、子供が成人するまで無事に育て上げるには、大変な労力が必要なのであろう。

しかし現在のベトナムは、ベトナム戦争後の復興は目覚しく、お隣の国カンボジアなどより、はるかに文明国になりつつある事を、この旅を通じて感じたのであった。

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「花園神社」
<<日本>>--新宿--


新宿の守り神、花園神社の入口付近の景観。

16年振りの同期会が開催された東京大飯店は、この花園神社境内手前の、靖国通りに面したビルの三階にある本格的中華料理店であった。

集合時間の5時にはまだちょっと時間があったので、昔懐かしい花園神社の境内を散策してみた。


この神社を訪れたのは何年前だったろうか、もう30年以上も前のような気がする。

当時はまだこの神社が新しく改築されたばかりで、如何にも派手派手な朱色の本殿が、ちょっと安っぽく見えたものだが、年月の経過と共に、重厚さが出てきて、境内の樹木も鬱蒼と繁り歴史を感じさせる景観となった。

当時若かった私もこの神社と同様に、年を経てただ年輪を重ねるだけでなく、それなりの薀蓄を積んだ老年期を迎えたのなら良しとしようと思うが、果たしてどうであろうか。

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「楽しかった同期会」
<<日本>>--新宿--


長年勤務した会社を退職した同期のメンバーが集った。

何と定年退職後に再会したのは、実に16年振りである。

3000人を超えるマンモス企業であった我社は、嘗ての同期で入社したメンバーは総勢で150人ほどであったが、こうして一堂に集う事が出来たのは、この10名である。

おのおの80才前後の我々は、久々に顔を合わせたものの、余りの変貌振りに誰だったか分からない人間が何名かいた。

嘗て我社を、自分が背負って立っているのだといった覇気は既に薄れ、皆それぞれ好々爺になっている。

歳月の経過とは、かくも厳しいものなのかと、ひとりひとりのメンバーの様相を、噛み締めながら眺めて痛感した。

話題は現状の各々の実生活と、今まで患った病気の話が中心となる。

かく言う私も最近の腰痛の手術でご他聞に漏れなかったが、それでも此処に集うことの出来たメンバーは、恵まれている方で、アルコールが回ると共に、笑いが絶えなくなり実に楽しい一夜となった。

中には数年前に奥さんに先立たれ、何と昨年50才の女性と再婚して新婚だと言う男が居て、散々皆に冷やかされていたのが特筆事項であった。


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「待ち合わせ」
<<ベトナム>>--ハノイ--


携帯で連絡を取り合う、バイクで子供を迎えに来た母親の姿。

連絡しているのは、授業を終えた子供と、待ち合わせ場所と時間を確認しているのであろうか、それとも自宅で待機している家族との連絡であろうか。

学校の脇には、学生達を相手にする喫茶店や食品店がある。

私たちが学生の頃も、必ず学校の周辺に食品店などがあり、そこで弁当だけで足りない食欲を満たすために、パンなどを買って食べたものである

それにしても、有名な炭酸飲料は世界中何処に行っても売られており、此処の2軒の店も、ペプシとコカコーラの店が、互いに競い合って店を張っているのが興味深い。

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「三々五々」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ミッションスクールの授業を終えて同級生と談笑しながら帰路に着く上級生達。

このくらいの年齢になると、親の迎えよりも、友達同士で話に花を咲かせながら一緒に帰る方が楽しいのであろう。

中学生くらいだろうか、嘗ての記憶を辿るとこの頃の年頃だと、男性よりも、女性の方が大人びていて何事にも積極的であった様な感じがしたが、この国でもご他聞に漏れない様な気がする。

もっともそれも個人差があるようであるが…

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「学校前」
<<ベトナム>>--ハノイ--


ハノイ大教会の脇にある学校の前で、下校生徒を待つ家族の様子。

大教会の脇に見える黄色い建物が、教会に付属するミッション・スクールである。

此処ではバイクで迎えに来た親達が、授業を終えた子供達が学校から出てくるのを待っている。

生徒達は、小学生から中学生くらいまでであろうか。

中学生くらいの上級生ともなると、親の迎え無しに、お互い友達同士で話に花を咲かせながら、帰って行く姿も多かった。

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「病室からの眺め」
<<日本>>--川越--


私が入院して寝ていたベットからの、朝の光景である。

まだ朝が早いので、病院の前の巨大な駐車場に駐車している車はまばらである。

駐車場はこの他に、写真では見えない左方に、更に同じ規模の巨大な駐車場が有る。

一体何千台の車が駐車出来るのか分からぬが、これが昼間になると一杯になり、駐車待ちの状態になるのである。

前方に見える二棟の建物は、女性看護士さんたちの寮であり、隣のベットに居るOさんの話だと、朝の4時頃彼氏の車で朝帰りをする看護師も居るのだという。

彼もライオンのような鼾を掻く患者のせいで眠れずにいて、ベットに起き上がって外を見ている時が有るのだと言っていた。


ちなみに此処の医大の総ベット数は1053個だというから、マンモス病院である事は間違いない。

さて私の入院記録も、退院一週間を過ぎたので、この辺でまたそろそろ旅行紀行に戻ろうと思う。

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「整形外科病棟」
<<日本>>--川越--

朝早い6階に有る整形外科病棟の外観である。
1人部屋から3人部屋、そして8人部屋の大部屋までが、此処の6階の入院病棟である。
入院前に1人部屋と3人部屋の、保険の効かないベット差額の有る部屋にするか、保険適用で済む大部屋にするか担当医に聞かれたが、私は有料費用は兎も角、入院患者の様子が分かり、部屋の患者達と交流が出来る大部屋を希望した。
入院時はカーテンで仕切られた中間のベットをあてがわれたが、仲良くなったとても気の効く格好良い男性のS看護士に、窓際の人が退院した時に、そこに移れないかと頼んでみた所、早速調整してくれて入院後3日目には窓際の広いベット室に移してもらえた。
外科の入退院は実に目まぐるしい。
私が退院する頃には、長期入院しているOさんの次に、私が古い入院患者に成ってしまった。

人生様々で、難病のパーキンソン病で下半身が動けずに、夜中に寝言で大声を出すYさんは、まだ55才なのに、たった一度入院時に兄さんが付き添って来ただけ、と言った具合であった。
その彼は可愛い絵を描く特技が有り、描いた絵を女性看護師さんたちにプレゼントしていたが、自分の意に合わない女性看護師達と喧嘩腰で遣り合ったりして、絶えずナースコールをするので、結局部屋をナースセンターの前に移動させられてしまった。
彼のベットの後には、65才の身寄りの無い要介護の男性が入院し、入院手続きなどの連絡先は、日頃通っているデイケアセンターの、ケアーマネージャーにするとの事であった。
そんな様々な人生模様を見聞きするにつけ、毎日欠かさず電車とバスを乗り継いで看護に来てくれた女房や、3人の子供達が、休日にそれぞれ都合をつけて、家族ぐるみで見舞いに来てくれた私は、本当に幸せ者だと改めて痛感したのであった。
それにしても、毎晩ライオンのような大鼾を掻く同室の患者さんには、いささか閉口したが、それも4日目には慣れてしまい、熟睡出来るようになったのには、我ながら順応性の良さを見直したのであった。

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