2014年11月の記事


「牛も一役」
<<インドネシア>>--バリ島--


ポトン・ギギの催場に姿を現した、若い牛の姿。


この儀式に何故牛が必要なのか、我々部外者にはとんと見当がつかない。

ワヤン君は、ユウゴ君を抱いて、大会関係者と離れた場所で話しているので、我々は儀式の様子が分からないまま、その光景に圧倒されていた。

飾り付けられた牛を先頭に、この儀式に関係のある女性たちが、先祖に奉げるお供え物を頭に載せて、催場をぐるぐると3回廻った後に、自分達の祖先が祭られている場所に、お供え物を奉納するのである。

バリ島に住む人々は、常に祖先や神と一心同体で、日頃の生活が成り立っているようである。


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「祈る②」
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ポトン・キギの会場で、先祖の遺影に向かって祈る人々の光景第二弾。

昨日は祈る人々と祭壇の様子を載せたかったので、人々の姿は後姿になってしまったが、今度はそれぞれの人たちの表情が見られるアングルで撮影してみた。

祈る作法は、両手の中指の先に花びらを挟んで、高く両手を挙げて拝むのであるが、同じ祈る方法でも日本の作法と随分違うものだなと、興味津々であった。

この光景を見る我々一同は、何をやっているのか良く分からないので、勝手にあの女性が綺麗だなどと、不謹慎な事を言い合っていたのだから、いい気なものである。


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「見送る二人」
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ワヤン君の奥さんの実家を後にする時、ユウゴ君の2人の従兄姉達が見送ってくれた。

彼等は奥さんの実家の門の前で、ワヤン君と息子のユウゴ君が、我々と一緒にポトン・ギギの儀式に出かけるのを、名残惜しそうに見送っているのだ。

ワヤン君の奥さんの身内は、奥さんを始め、妹さんや、見送る彼らを見ても、皆美形家族のようである。

この門の直ぐ左隣が、ワヤン君が任されているアパ(apa?)と言う、日本語ガイドの旅行社の事務室なのである。

奥さんの実家は、民宿も経営しており、Wi-Fiなどのネットワーク機器の利用が、各部屋で可能なようである。

どうやらワヤン君は、奥さんを仕留めただけでなく、最大限に彼女の環境を上手く利用している、やり手の経営者である、と言う事が出来るであろう。


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「父と息子」
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ポトン・ギギの儀式に出掛けるための正装が終わった所で、二人の記念写真を撮った。

父親のワヤン君は、にこやかにカメラに応じているが、ユウゴ君はまだ、我々と初対面であった直後でも有り、かなり警戒心を露わにしている。

一体こちらにカメラを向けているおじさんは誰なのだ、言わんばかりである。

ま、見知らぬ人に誰にでも愛想良く接するのは、却って危険であることを、両親や親族から、良く教え込まれている証拠なのであろう。

しかし、ユウゴ君もこれから一日、我々と一緒に行動することになり、最後にはすっかり打ち解けて、仲良しになった事を、付け加えておきたい。


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「溶け込んで」
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ワヤン君の奥さんの実家で、記念写真を撮ってもらう。

此処のホールは、一族の建物の真ん中に位置している、各家族の共通の催事場である。

だから此処は、ワヤン君の奥さんの一族が、神事やバリ・ダンス、ガムランの練習、憩いの休憩所などに、一族が使用する場所なのである。

飼い犬までが、一緒に上がり込んで、皆と一緒にひと時を過ごしていた。

犬が嫌いで無い私は、この犬(名前を忘れてしまった)を脇に置いて、ワヤン家の一員になった積りで撮影してもらったものである。


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「ママの指導で」
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神へのお祈りの仕方をママに教えてもらって、真剣に祈る女の子の姿。

この子は、両手の指にプルメリアノ花びらを挟んで、祖先の祭壇の前で、ママに教えてもらった通りに祈りの作法を、真剣に行っている。

ママの膝の上に座ってのお祈りだから、安心して言われた通りに、祈りの仕方を実行しているのであろう。
バリ島の子供達は、こうして敬虔な神を敬う習慣を、小さい時から身に付けるのであろう。

最近の日本では、親の子供に対する躾が、徐々に薄れて来ているように思えてならない。

道徳教育を国の指針で、小学生に取り入れるとの計画も有るようだが、先ずは両親が子供に道徳心を植え付ける事が、先決であるのではなかろうか。


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「教える」
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ユウゴ君に一生懸命祈りの仕方を教える、従姉の少女。

手取り足取り、ユウゴ君に祭壇の前で、祈りの作法を教えようとするのだが、ユウゴ君は祈るよりも遊ぶ方が面白いようで、中々素直に彼女の言う事を聞かない。

反対に、ワヤン君の奥さんの妹さんの娘は、ちゃんとママの教えたとおり、祈りの仕方を覚えたのには感心した。

2人とも同じ年頃のようだが、矢張り男の子と女の子は、興味の対象が違うようである。

この後ユウゴ君は、長い線香を持って、祭壇の周りをおどけて歩き回っている姿には、笑ってしまった。


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「祭壇の前で」
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ワヤン君の奥さんの実家の祭壇の前で、ワヤン君に撮って貰った一枚。

写真を撮る前に、奥さんのお姉さんに当る女性から、我々メンバーに、神に祈る作法を教えてもらった。

先ず聖水を手の平に掛けてもらい、それを頭に撫で付ける。

その後、前に置いてある花篭から、プルメリアの花を一輪取り、両手の中指で挟み、頭の上にかざして頭を垂れて祈るのである。

私の額に付いているのは生米で有るが、それを付けて祈るのが、作法なのである。

奥さんの実家には、このような立派な祖先を祀る祭壇が、三基有るのである。


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「神祀所
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ワヤン君の奥さんの実家に有る、神を祀る場所。

バリ島の中上流階級の各家には、敷地内にこのような立派な祭壇の数々が有る事である。

奥さんの実家の祭壇は、この石の門を潜ると、かなりのスペースの所に、三箇所の親族を祭る立派な祭壇があった。

此処の敷地に居を構える彼女の親族は、毎日朝晩此処で祈りを奉げるのである。

けだし、バリ島が、神々の住む島と言われる由縁であろう。


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「面倒を見る従兄姉たち②」
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ユウゴ君を、2人のいとこ達が面倒を見ている様子、その2。

2人のいとこ達が、共同でユウゴ君に神様へのお祈りの仕方を教えている光景。

線香を持たせ、花びらを手に摘んでお祈りの作法を教えようとするが、やんちゃ盛りのユウゴ君は、中々言う事を聞かない。

この後、長い線香を持って、祭壇の周りを行ったり来たりして、おどけながら遊び出す始末。

それでも2人のいとこ達は、しょうがないなと苦笑いしながら、ユウゴ君の一人遊びを見守っていた。


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「面倒を見る従兄姉たち」
<<インドネシア>>--バリ島--

ユウゴ君を、2人のいとこ達が面倒を見ている様子。

この2人は、ワヤン君の奥さんの実家の兄さん姉さんだから、ユウゴ君の実の兄姉ではない。

しかし、彼等のユウゴ君の面倒を見る姿は、実の弟のように、愛情こまやかである。

またユウゴ君も、本当の兄姉のように全く遠慮する素振りを見せずに、自由気侭に我侭一杯に振舞っているから、見ているこちらが微笑ましくなる。

嘗ての日本でも、一族が共存して、お互いに助け合いながら生きていたものだが、その姿は何処へ行ってしまったのだろうか。


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「ユウゴ君登場」
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従兄に連れられてワヤン君の長男、ユウゴ君がいよいよ登場した。

私はワヤン君とは、彼が独身で結婚する前からの長い付き合いなので、それから若い奥さんと結婚し、ユウゴ君が誕生するまでの経緯を良く知っている。


ワヤン君の親日振りは、彼の長男に、日本名のユウゴという名前まで付けるほどだから、半端ではない。

彼はまだ3才だが、とても確りしていて、年より上に感じるが、弟が生まれて、更に兄貴分として確りして来たようである。

こうして奥さんの実家で、従兄や従姉に付き添われながら、更に逞しく成長する事であろう。


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「ワヤン君登場」
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ワヤン君が、我々の着るバリの正装用の衣装を持って現れた。

ポトンギギの儀式の見学に参加するためには、バリ人と同じ正装をしなければならないためである。


神々が住む島バリでは、今でも神の前で行われる儀式には、バリ人や観光客を問わず、バリ・ヒンズー教の儀式用の正装をしなければ参加できない。

バリ島訪問も三回目ともなれば、最初は違和感や照れ臭さを感じた衣装であるが、今では何のためらいいもなく、これらの衣装を着てバリと同化する事が出来る。


しかし、そこは矢張り日本人、現地人と同じような雰囲気を出すには、所詮無理な話しである。


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「利発そうな娘」
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ワヤン君の奥さんの実家の、姪御さんを撮らして貰った。

彼女は日本で言えば、小学校の上級生くらいの年頃である。


ワヤン君の奥さんの姪に当るようだが、実に聡明そうで美形であるが、従弟に当るワヤン君の長男、ユウゴ君の面倒を、とても良く見てやっていた。

我々が訪問したこの時は、ワヤン君の奥さんは、生まれたばかりの、乳飲み子のユウゴ君の弟の育児に専念するために、ワヤン君の実家に居るとの事であった。


だから、ワヤン君が仕事で外出している時は、主に彼女がユウゴ君の面倒を見ているようであった。

大家族制度の良さは、こうして親戚が助け合いながら生活出来ることであろう。


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