2014年10月の記事
2014 10/30 17:23
Category : 日記
<<インドネシア>>--バリ島--
ワヤン君の奥さんの実家での記念写真である。
我々と一緒に写っている美人の女性は、ワヤン君の奥さんの妹さんである。
彼女は既に結婚していて、可愛い女の子の母親でもある。
我々と一緒に、気さくに記念写真のメンバーとして撮影に応じてくれた。
彼女とお嬢さんも、バリ女性の正装をしているのは、この日モンキー・フォーレストで行われるポトン・ギギ(バリ島の成人式のようなもの)の儀式に参加するためである。
我々もこの儀式の見学のために、正装の着付けをしてもらった訳だが、さて誰が一番似合っているだろうか。
ワヤン君の奥さんの実家での記念写真である。
我々と一緒に写っている美人の女性は、ワヤン君の奥さんの妹さんである。
彼女は既に結婚していて、可愛い女の子の母親でもある。
我々と一緒に、気さくに記念写真のメンバーとして撮影に応じてくれた。
彼女とお嬢さんも、バリ女性の正装をしているのは、この日モンキー・フォーレストで行われるポトン・ギギ(バリ島の成人式のようなもの)の儀式に参加するためである。
我々もこの儀式の見学のために、正装の着付けをしてもらった訳だが、さて誰が一番似合っているだろうか。
2014 10/27 19:51
Category : 日記
<<インドネシア>>--バリ島--
再びバリ島シリーズに戻り、ワヤン君の奥さんの実家の様子からスタートした。
前にもお話したとおり、バリ島では同じ敷地内に、一族郎党の家が独立してあり、家族が皆助け合って生活している。
しかし嘗ての日本の大家族制度とは異なり、夫婦を中心とした家族は同じ敷地内に、それぞれ別の家屋を所有している。
だから家族のプライバシーは保たれており、昼間の生活はお互いに助け合いながら、共同で過ごしているといった具合である。
ワヤン君の奥さんの実家では、ご覧のように三世代の三家族が、同じ敷地内で暮らしていた。
その上、民宿まで営んでいるから、此処に泊まれば、バリ島の家族の生活を肌で感じる事が出来そうである。
再びバリ島シリーズに戻り、ワヤン君の奥さんの実家の様子からスタートした。
前にもお話したとおり、バリ島では同じ敷地内に、一族郎党の家が独立してあり、家族が皆助け合って生活している。
しかし嘗ての日本の大家族制度とは異なり、夫婦を中心とした家族は同じ敷地内に、それぞれ別の家屋を所有している。
だから家族のプライバシーは保たれており、昼間の生活はお互いに助け合いながら、共同で過ごしているといった具合である。
ワヤン君の奥さんの実家では、ご覧のように三世代の三家族が、同じ敷地内で暮らしていた。
その上、民宿まで営んでいるから、此処に泊まれば、バリ島の家族の生活を肌で感じる事が出来そうである。
2014 10/26 16:58
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
日もとっぷりと暮れて、神楽坂のメイン通も、夜の様相に変った。
ちょっと寄り道した積りの神楽坂シリーズも、思わぬ長丁場となってしまった。
神楽坂の散策を終え、これから先は、仲間が用意してくれた神楽坂倶楽部での飲食会となる。
私が会社に入社した新入社員の頃、上司に連れて行ってもらったこの街も、表通りはすっかり様変わりして、全く昔のイメージが掴めないでいた。
しかし、一歩裏通りに入ると、そこはかとなく昔のイメージがあちこちに残っていて、懐かしさを覚えたものである。
さて明日からはまたバリ島シリーズに戻して、珍しい風土の数々を載せてみようと思う。
日もとっぷりと暮れて、神楽坂のメイン通も、夜の様相に変った。
ちょっと寄り道した積りの神楽坂シリーズも、思わぬ長丁場となってしまった。
神楽坂の散策を終え、これから先は、仲間が用意してくれた神楽坂倶楽部での飲食会となる。
私が会社に入社した新入社員の頃、上司に連れて行ってもらったこの街も、表通りはすっかり様変わりして、全く昔のイメージが掴めないでいた。
しかし、一歩裏通りに入ると、そこはかとなく昔のイメージがあちこちに残っていて、懐かしさを覚えたものである。
さて明日からはまたバリ島シリーズに戻して、珍しい風土の数々を載せてみようと思う。
2014 10/25 17:24
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
何となく風情が漂う、料亭の小さな玄関。
玄関は小さいが、この料亭はかなり広いスペースを持つ料亭なのである。
仲間の一人が、此処の厨房で料理の準備をしている板前さんに、此処の割烹の由来などを聞いていた。
単に酒肴を賄うだけでなく、此処では神楽坂の芸者衆を呼んで遊興することの出来る、格式の有る料亭であるとのことであった。
私も嘗ては、ゼロ戦乗りの隊長を勤めた上司のお供で、こんな料亭で芸者遊びの作法を教えられたものだが、後で届いた請求書が驚くほど高額で、どう処理をしたら良いかで、頭を悩ませたものである。
何となく風情が漂う、料亭の小さな玄関。
玄関は小さいが、この料亭はかなり広いスペースを持つ料亭なのである。
仲間の一人が、此処の厨房で料理の準備をしている板前さんに、此処の割烹の由来などを聞いていた。
単に酒肴を賄うだけでなく、此処では神楽坂の芸者衆を呼んで遊興することの出来る、格式の有る料亭であるとのことであった。
私も嘗ては、ゼロ戦乗りの隊長を勤めた上司のお供で、こんな料亭で芸者遊びの作法を教えられたものだが、後で届いた請求書が驚くほど高額で、どう処理をしたら良いかで、頭を悩ませたものである。
2014 10/23 19:37
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
神楽坂のメイン通りを歩いた左側に有る、由緒有る寺の光景。
この寺は徳川家康が、江戸に幕府を開いた際、戦の守護神である毘沙門天を祀る為に、開いた歴史を持つ。
当初は馬喰町に有ったが、江戸大火で焼失し、此処に移設したとされている。
毘沙門天は、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたとされるので、寅毘沙とも言われるので、狛犬でなく、寅が左右に祀られている。
この石像は、江戸後期に造られた物とされているから、かなり歴史は古い。
今では、神楽坂の守護神として、地元でも手厚く街の衆に信仰され、支援されている寺である。
神楽坂のメイン通りを歩いた左側に有る、由緒有る寺の光景。
この寺は徳川家康が、江戸に幕府を開いた際、戦の守護神である毘沙門天を祀る為に、開いた歴史を持つ。
当初は馬喰町に有ったが、江戸大火で焼失し、此処に移設したとされている。
毘沙門天は、寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に生まれたとされるので、寅毘沙とも言われるので、狛犬でなく、寅が左右に祀られている。
この石像は、江戸後期に造られた物とされているから、かなり歴史は古い。
今では、神楽坂の守護神として、地元でも手厚く街の衆に信仰され、支援されている寺である。
2014 10/22 11:37
Category : 日記
<<日本>>--川越--
蔵造りの街並みが始まる所にある、大正ロマンを漂わせる2つのビルの光景。
昨日と今日は、毎年恒例の川越祭りの日である。
去年は雨に祟られたが、今年は2日とも快晴の秋晴れであった。
行くつもりは無かったが、天気が良いと何となく落ち着かず、夕方日没の頃、ちょっとだけ覗きに行ってみた。
人ごみかあまりに酷いので、歩行もままならず、一時間ばかりで引き上げて帰ってきた。
お決まりの山車なども数枚撮ったが、ライトアップされたこのビルが珍しいので載せてみた。
手前のビルは、小江戸名物の飲食物や土産物などを売るお店で有るが、何と隣りの三階建てのビルは、歯医者さんなのである。
蔵造りの街並みが始まる所にある、大正ロマンを漂わせる2つのビルの光景。
昨日と今日は、毎年恒例の川越祭りの日である。
去年は雨に祟られたが、今年は2日とも快晴の秋晴れであった。
行くつもりは無かったが、天気が良いと何となく落ち着かず、夕方日没の頃、ちょっとだけ覗きに行ってみた。
人ごみかあまりに酷いので、歩行もままならず、一時間ばかりで引き上げて帰ってきた。
お決まりの山車なども数枚撮ったが、ライトアップされたこのビルが珍しいので載せてみた。
手前のビルは、小江戸名物の飲食物や土産物などを売るお店で有るが、何と隣りの三階建てのビルは、歯医者さんなのである。
2014 10/19 17:31
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
既に掲載した和菓子の老舗、五十鈴のショウウィンドの秋の味覚の数々。
栗やさつま芋など、今年の秋の収穫を和菓子のベースに作ったこの店の、看板商品のようである。
此処に陳列されている「くりやま」と言う商品が、嘗て先代が創作した物が和菓子コンクールで、副総裁賞に輝いた和菓子のようである。
出来る事なら、買って帰ろうかと迷ったが、甘い物を控えている糖尿病予備軍の身である事や、荷物を持ち歩くのを極端に嫌う性格が相俟って、矢張り買わずに通り過ぎた。
既に掲載した和菓子の老舗、五十鈴のショウウィンドの秋の味覚の数々。
栗やさつま芋など、今年の秋の収穫を和菓子のベースに作ったこの店の、看板商品のようである。
此処に陳列されている「くりやま」と言う商品が、嘗て先代が創作した物が和菓子コンクールで、副総裁賞に輝いた和菓子のようである。
出来る事なら、買って帰ろうかと迷ったが、甘い物を控えている糖尿病予備軍の身である事や、荷物を持ち歩くのを極端に嫌う性格が相俟って、矢張り買わずに通り過ぎた。
2014 10/18 16:04
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
見事な店先の飾り付けである。
思わず立ち止まって、そのレイアウトのすばらしさに、暫し見惚れてしまった。
単なる秋の収穫物の展示だけでなく、懐かしさを覚える小道具の配置が、実に憎らしいほどである。
何処から集めたのか、今は使われなくなってしまった、農家の農作業に必要だった農機具が、秋の稔りと共に置かれている。
蛍光灯でないオレンジ色の照明が、秋の深まりを見事に演出している。
見事な店先の飾り付けである。
思わず立ち止まって、そのレイアウトのすばらしさに、暫し見惚れてしまった。
単なる秋の収穫物の展示だけでなく、懐かしさを覚える小道具の配置が、実に憎らしいほどである。
何処から集めたのか、今は使われなくなってしまった、農家の農作業に必要だった農機具が、秋の稔りと共に置かれている。
蛍光灯でないオレンジ色の照明が、秋の深まりを見事に演出している。
2014 10/16 17:38
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
こちらも和菓子屋であるが、前出二店の創業より更に古い。
創業79年と言うから、ずっと戦前から店を続けていることになる。
現在に至るまでには、どんな歴史が有るのか聞いてみたいものである。
店の入り口に「鮎の天ぷら最中」と言う看板が不思議な感覚で目を引く。
これは創業者の発案による最中らしく、鮎の形をした最中を菜種油や米油で、軽く揚げたものらしく、香りがとても香ばしいとの事。
我々の仲間の、買い物マニアのご仁も、早速この名物を購入したようである。
こちらも和菓子屋であるが、前出二店の創業より更に古い。
創業79年と言うから、ずっと戦前から店を続けていることになる。
現在に至るまでには、どんな歴史が有るのか聞いてみたいものである。
店の入り口に「鮎の天ぷら最中」と言う看板が不思議な感覚で目を引く。
これは創業者の発案による最中らしく、鮎の形をした最中を菜種油や米油で、軽く揚げたものらしく、香りがとても香ばしいとの事。
我々の仲間の、買い物マニアのご仁も、早速この名物を購入したようである。
2014 10/15 16:44
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
昨日まで掲載した和菓子屋の直ぐ隣にある、これも老舗のうなぎ屋の入口。
こちらは、和菓子屋より更に古く、創業65年を誇るうなぎを主とした串焼きの店、鮒忠本店である。
鮒忠の店名の由来は、創業者根本忠雄の忠を採って「鮒忠」としたと言われている。
それまで、高級料理とされていた串焼きを、大衆料理として広め「串焼きの父」として名を広めたと言う。
店の上の梁の古さが、如何にも老舗と言う感じを彷彿とさせるが、店内は驚くほど綺麗で広く、お座敷なども有ると言う。
備長炭を使用した、串焼きは如何にも高そうだが、常識的な価格で、我々も一度は入って見たい店だと思ったものである。
昨日まで掲載した和菓子屋の直ぐ隣にある、これも老舗のうなぎ屋の入口。
こちらは、和菓子屋より更に古く、創業65年を誇るうなぎを主とした串焼きの店、鮒忠本店である。
鮒忠の店名の由来は、創業者根本忠雄の忠を採って「鮒忠」としたと言われている。
それまで、高級料理とされていた串焼きを、大衆料理として広め「串焼きの父」として名を広めたと言う。
店の上の梁の古さが、如何にも老舗と言う感じを彷彿とさせるが、店内は驚くほど綺麗で広く、お座敷なども有ると言う。
備長炭を使用した、串焼きは如何にも高そうだが、常識的な価格で、我々も一度は入って見たい店だと思ったものである。
2014 10/13 16:06
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
神楽坂のメイン通りに有る老舗の和菓子屋の店先の光景。
この五十鈴と言う和菓子屋は、昭和21年の創業で今は二代目が引き継いでいる様子。
嘗て和菓子の全国競技会で、「くりやま」という和菓子が副総裁賞を受賞した経歴を持つという。
五十鈴と言う屋号は、先代が伊勢神宮を詣でた時、五十鈴川の神聖で清浄な清流に心を引かれ、自分が創業する時はこの名前にしようと決めたのだという。
甘辛両党の仲間の一人は、早速店に入り、どら焼などの和菓子を買い求めていたが、彼の後姿も一緒にカメラに収めた。
神楽坂のメイン通りに有る老舗の和菓子屋の店先の光景。
この五十鈴と言う和菓子屋は、昭和21年の創業で今は二代目が引き継いでいる様子。
嘗て和菓子の全国競技会で、「くりやま」という和菓子が副総裁賞を受賞した経歴を持つという。
五十鈴と言う屋号は、先代が伊勢神宮を詣でた時、五十鈴川の神聖で清浄な清流に心を引かれ、自分が創業する時はこの名前にしようと決めたのだという。
甘辛両党の仲間の一人は、早速店に入り、どら焼などの和菓子を買い求めていたが、彼の後姿も一緒にカメラに収めた。
2014 10/11 15:18
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
路地の両脇に、ずらりと軒を連ねる居酒屋や小料理屋のある横丁。
この通りの名前が、飲ん塀横丁と言う路地ではなく、別の名前が有るのだろが、こんな光景を見ながら、私が勝手に付けた名前である。
そろそろお店の看板や提灯に明かりが灯る頃ともなると、飲んべいの私は、そぞろ喉がなる時間なのである。
テレビで放映している、酒場放浪紀ではないが、高級料亭より、気軽に暖簾を掻き分けられる、小料理屋や居酒屋が私には向いているようである。
こんな風景の飲み屋街は、東京に限らず日本のあちこちに有るように思えるが、現役時代の仕事帰りには、良く足を止めて仕事仲間と、一日の締め括りをこんな店でした事を思い出した。
路地の両脇に、ずらりと軒を連ねる居酒屋や小料理屋のある横丁。
この通りの名前が、飲ん塀横丁と言う路地ではなく、別の名前が有るのだろが、こんな光景を見ながら、私が勝手に付けた名前である。
そろそろお店の看板や提灯に明かりが灯る頃ともなると、飲んべいの私は、そぞろ喉がなる時間なのである。
テレビで放映している、酒場放浪紀ではないが、高級料亭より、気軽に暖簾を掻き分けられる、小料理屋や居酒屋が私には向いているようである。
こんな風景の飲み屋街は、東京に限らず日本のあちこちに有るように思えるが、現役時代の仕事帰りには、良く足を止めて仕事仲間と、一日の締め括りをこんな店でした事を思い出した。
2014 10/10 15:30
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
神楽坂に今でも一軒だけ残っている映画館の外観。
ギンレイ・ホールは40年前に、日本でも数少なくなった名画座映画館として、今でも名画を放映している。
外見は改修されて綺麗になったが、飾り気の無いレンガ造りの建物は、踏襲しているようである。
我々が通り掛った時には、本年度アカデミー賞の、主演女優賞に輝いたケイト・ブランシェット主演の「ブルー・ジャスミン」を放映していた。
人通りのほとんど無いこの界隈で、観客は居るのだろうかと、余計な事が心配になった。
数年前、映画ブームがカムバックしたが、4K時代の大型テレビが主流になりつつある昨今、果たして劇場映画館に足を運ぶ人は、多いのであろうか。
神楽坂に今でも一軒だけ残っている映画館の外観。
ギンレイ・ホールは40年前に、日本でも数少なくなった名画座映画館として、今でも名画を放映している。
外見は改修されて綺麗になったが、飾り気の無いレンガ造りの建物は、踏襲しているようである。
我々が通り掛った時には、本年度アカデミー賞の、主演女優賞に輝いたケイト・ブランシェット主演の「ブルー・ジャスミン」を放映していた。
人通りのほとんど無いこの界隈で、観客は居るのだろうかと、余計な事が心配になった。
数年前、映画ブームがカムバックしたが、4K時代の大型テレビが主流になりつつある昨今、果たして劇場映画館に足を運ぶ人は、多いのであろうか。
2014 10/09 19:53
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
この店も狭い路地の一角に有った。
店主がイタリア人のようで、この店の前に差し掛かると、店の宣伝用の写真を撮っているのか、店主のイタリア人と、若いウェイトレスの女性がカメラに向かってポーズをとっていた。
その様子を撮ろうと思ったが、カメラを向ける前に、撮影は終わってしまった。
この店のほかにも、2号店が有り、更に3号店がメイン通りにオープンしたというから、凄い勢いである。
店の中とオープンテラスが一体となっており、沢山の若い客が入っていた。
このように神楽坂は、老若男女全てウェルカムの街のようである。
この店も狭い路地の一角に有った。
店主がイタリア人のようで、この店の前に差し掛かると、店の宣伝用の写真を撮っているのか、店主のイタリア人と、若いウェイトレスの女性がカメラに向かってポーズをとっていた。
その様子を撮ろうと思ったが、カメラを向ける前に、撮影は終わってしまった。
この店のほかにも、2号店が有り、更に3号店がメイン通りにオープンしたというから、凄い勢いである。
店の中とオープンテラスが一体となっており、沢山の若い客が入っていた。
このように神楽坂は、老若男女全てウェルカムの街のようである。
2014 10/08 15:55
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
この店もまた純日本調の、瀟洒な佇まいである。
神楽坂の面白い所は、路地に入って、一見個人住宅が立ち並んでいて、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな家が、店なのである。
この店も、玄関が閉まっていて中の様子が分からなければ、一戸建て住宅として見過ごしてしまうだろう。
それを防ぐために、屋号が玄関横に付いていて、中の様子がちょっと覗き見出来るように開いている。
この店は、お茶屋か割烹料理店のようであるが、贔屓の客や、お馴染みさんでなければ、一元客としては、ちょっと入りにくそうである。
この店もまた純日本調の、瀟洒な佇まいである。
神楽坂の面白い所は、路地に入って、一見個人住宅が立ち並んでいて、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな家が、店なのである。
この店も、玄関が閉まっていて中の様子が分からなければ、一戸建て住宅として見過ごしてしまうだろう。
それを防ぐために、屋号が玄関横に付いていて、中の様子がちょっと覗き見出来るように開いている。
この店は、お茶屋か割烹料理店のようであるが、贔屓の客や、お馴染みさんでなければ、一元客としては、ちょっと入りにくそうである。
2014 10/07 14:53
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
こんな店先を見ると、つい入って見たくなってしまう。
矢張り自分も年なのであろうか、こんな純日本調の黒塀を基調にした店構を見ると、実に粋なものだと、その演出に舌を巻く。
さり気無く大きな壷の上に置かれた店のパンフレットが、自由にお持ち下さいと、言わんばかりなので、せめて品書きだけでもと、つい持ち帰ってしまうのである。
楓や樹木などの青が、黒塀に映えて美しく、看板や店の中の灯りも蛍光灯でなく、タングステン調のオレンジ色であるのが、一層食欲をそそる。
きっとこの楓も、晩秋になると赤く色付き、一層店を引き立たせることであろう。
こんな店先を見ると、つい入って見たくなってしまう。
矢張り自分も年なのであろうか、こんな純日本調の黒塀を基調にした店構を見ると、実に粋なものだと、その演出に舌を巻く。
さり気無く大きな壷の上に置かれた店のパンフレットが、自由にお持ち下さいと、言わんばかりなので、せめて品書きだけでもと、つい持ち帰ってしまうのである。
楓や樹木などの青が、黒塀に映えて美しく、看板や店の中の灯りも蛍光灯でなく、タングステン調のオレンジ色であるのが、一層食欲をそそる。
きっとこの楓も、晩秋になると赤く色付き、一層店を引き立たせることであろう。
2014 10/07 14:53
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
こんな店先を見ると、つい入って見たくなってしまう。
矢張り自分も年なのであろうか、こんな純日本調の黒塀を基調にした店構を見ると、実に粋なものだと、その演出に舌を巻く。
さり気無く大きな壷の上に置かれた店のパンフレットが、自由にお持ち下さいと、言わんばかりなので、せめて品書きだけでもと、つい持ち帰ってしまうのである。
楓や樹木などの青が、黒塀に映えて美しく、看板や店の中の灯りも蛍光灯でなく、タングステン調のオレンジ色であるのが、一層食欲をそそる。
きっとこの楓も、晩秋になると赤く色付き、一層店を引き立たせることであろう。
こんな店先を見ると、つい入って見たくなってしまう。
矢張り自分も年なのであろうか、こんな純日本調の黒塀を基調にした店構を見ると、実に粋なものだと、その演出に舌を巻く。
さり気無く大きな壷の上に置かれた店のパンフレットが、自由にお持ち下さいと、言わんばかりなので、せめて品書きだけでもと、つい持ち帰ってしまうのである。
楓や樹木などの青が、黒塀に映えて美しく、看板や店の中の灯りも蛍光灯でなく、タングステン調のオレンジ色であるのが、一層食欲をそそる。
きっとこの楓も、晩秋になると赤く色付き、一層店を引き立たせることであろう。
2014 10/06 15:14
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
神楽坂の路地を入って10分ほど行った所に、この記念碑がある。
記念碑の背景には、彼が神戸から上京して、晩年まで過ごした住家があり、その脇には宮城道雄記念館がある。
残念ながら我々が訪ねた時には、時間的に夕方であり、既に閉館となっていた。
宮城道雄はご存知の通り、琴や筝曲の作曲・編曲家として日本を代表する第一人者として、世界でも知れていることは有名である。
正月には、彼の代表作「春の海」がテレビなどで演奏されるのをお聞きになった方も多いと思う。
盲目であった彼が、最後には事故により不慮の死を遂げたのであるが、此処神楽坂に住んでいたことを始めて知った次第である。
神楽坂の路地を入って10分ほど行った所に、この記念碑がある。
記念碑の背景には、彼が神戸から上京して、晩年まで過ごした住家があり、その脇には宮城道雄記念館がある。
残念ながら我々が訪ねた時には、時間的に夕方であり、既に閉館となっていた。
宮城道雄はご存知の通り、琴や筝曲の作曲・編曲家として日本を代表する第一人者として、世界でも知れていることは有名である。
正月には、彼の代表作「春の海」がテレビなどで演奏されるのをお聞きになった方も多いと思う。
盲目であった彼が、最後には事故により不慮の死を遂げたのであるが、此処神楽坂に住んでいたことを始めて知った次第である。
2014 10/05 15:36
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
純日本調の粋な店構えである。
この店は、脇道から入った小さな十字路の角に有った。
十三夜の月に供えるためか、一本のススキと酒や団子が店先に飾ってあるのも、乙なものである。
入口の上の注連縄には、笑角と書いてあるのは、どんな意味があるのだろうか。
こんな店で一杯やってみたいものだと、仲間と店先に貼ってある品書きを見たが、それほど高額ではなかった。
表から見る雰囲気は、京都や奈良にある格式高いお店のようだが、中はどんな風情が有るのだろうか。
純日本調の粋な店構えである。
この店は、脇道から入った小さな十字路の角に有った。
十三夜の月に供えるためか、一本のススキと酒や団子が店先に飾ってあるのも、乙なものである。
入口の上の注連縄には、笑角と書いてあるのは、どんな意味があるのだろうか。
こんな店で一杯やってみたいものだと、仲間と店先に貼ってある品書きを見たが、それほど高額ではなかった。
表から見る雰囲気は、京都や奈良にある格式高いお店のようだが、中はどんな風情が有るのだろうか。
2014 10/04 09:13
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
メイン通りから、小さな裏道に入ってみた。
普通なら住宅街と言った路地裏だが、ご覧のように個人の家が、それぞれ店を出しているといった感じである。
こんな神楽坂の風情が面白く、老若男女を問わず、堪らない魅力となっているのではないだろうか。
散策をする旅仲間と話したのだが、良くこんな路地裏で、商売が成り立つものだと感心したものである。
とてものことに、それぞれの店の、お気に入りの固定客や、リピーターが居なければ、とても店を続けることが出来ないのではないかと、不思議な感じがしたのであった。
メイン通りから、小さな裏道に入ってみた。
普通なら住宅街と言った路地裏だが、ご覧のように個人の家が、それぞれ店を出しているといった感じである。
こんな神楽坂の風情が面白く、老若男女を問わず、堪らない魅力となっているのではないだろうか。
散策をする旅仲間と話したのだが、良くこんな路地裏で、商売が成り立つものだと感心したものである。
とてものことに、それぞれの店の、お気に入りの固定客や、リピーターが居なければ、とても店を続けることが出来ないのではないかと、不思議な感じがしたのであった。
2014 10/02 20:36
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
短い秋の夕日が、老舗のお茶屋に映えて、独特のムードを醸していた。
夕暮れの街は、間もなく太陽が隠れ、別の世界へと変化しようとしている。
この店は一体いつ頃創業したのであろうか、古い看板が現存している中にも、目立たない程度の改装は施して、何代目かの店主が、この店を受け継いでいるのであろうか。
この店は、神楽坂の目抜き通りに位置しているから、こうして代々商売を続けられるのであろう。
我が街にも、代々続いた店舗が有ったが、進出した大型スーパーの林立で、次々と店を閉めているケースが少なからず見受けられる。
新旧混在の商店街が、上手く継続して営業出来る時代は、今や不可能となったのであろうか。
短い秋の夕日が、老舗のお茶屋に映えて、独特のムードを醸していた。
夕暮れの街は、間もなく太陽が隠れ、別の世界へと変化しようとしている。
この店は一体いつ頃創業したのであろうか、古い看板が現存している中にも、目立たない程度の改装は施して、何代目かの店主が、この店を受け継いでいるのであろうか。
この店は、神楽坂の目抜き通りに位置しているから、こうして代々商売を続けられるのであろう。
我が街にも、代々続いた店舗が有ったが、進出した大型スーパーの林立で、次々と店を閉めているケースが少なからず見受けられる。
新旧混在の商店街が、上手く継続して営業出来る時代は、今や不可能となったのであろうか。
2014 10/01 16:05
Category : 日記
<<日本>>--新宿--
神楽坂は実に不思議な街である。
メイン通りには、ご覧のようなモダンな洋風の店や、昔の儘の古色蒼然たる老舗が、こんな洋風な店の隣りにあったりする。
丁度見番横丁からメイン通りに出る真正面に、この店が見えて来た。
二階に掲げてあるスペイン国旗が遠くから目に入り、スペインに行った時の思い出が蘇り、横丁を出たところでこの店を撮った。
二階はスペイン料理のレストランらしいが、一階はとんかつやら大学いもなどの看板が見えるから、日本食の店のようである。
こうして和洋混在で立ち並ぶ店を見ていると、どうやら昔を懐かしむ高齢者から、欧米かぶれの若者まで、散策しながら楽しむことが出来る街、と言えるのだろう。
神楽坂は実に不思議な街である。
メイン通りには、ご覧のようなモダンな洋風の店や、昔の儘の古色蒼然たる老舗が、こんな洋風な店の隣りにあったりする。
丁度見番横丁からメイン通りに出る真正面に、この店が見えて来た。
二階に掲げてあるスペイン国旗が遠くから目に入り、スペインに行った時の思い出が蘇り、横丁を出たところでこの店を撮った。
二階はスペイン料理のレストランらしいが、一階はとんかつやら大学いもなどの看板が見えるから、日本食の店のようである。
こうして和洋混在で立ち並ぶ店を見ていると、どうやら昔を懐かしむ高齢者から、欧米かぶれの若者まで、散策しながら楽しむことが出来る街、と言えるのだろう。