2014年02月の記事


「社殿」
<<インドネシア>>--バリ島--


広い寺院の左端に位置する、社殿内部の様子。

どうやらこの巨大な吹き抜けの社殿は、最近建てられたものの様で、建物の骨格をなす梁などが、真新しく感じられる。

通常このような社殿は、バリの古典舞踊や、ガムランの演奏などの舞台として使用される場合が多い。

此処では、今は臨時に、50年に一度の祭りの為に作られた祭壇に飾る装飾品などが置かれているようである。

社殿の片隅では、男達が今も、装飾品の制作に余念が無かった。


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「祭壇」
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幾つか有る石の祭壇には、ご覧のようなドレスアップが施されている。

左右にドラゴン(竜神)の石の彫像、そして上段には祭壇を守る男の神が鎮座している。

日頃から、これらの石像たちには、紅白や、白黒の布、そしてプルメリアの花が添えられいるが、それ以外にも祭りともなれば、祭壇全体に装飾が施される。

特に白黒の幕は、邪気を払うとされていて、何処の祭壇や石像にも巻かれているのが常である。


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「作業をバックに」
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キー祭りの準備をしている現場をバックに記念撮影。

村人が、祭りの準備作業をしているのに、それを背景に記念撮影なんて、ちょっと不謹慎な気もするが、それを咎める人はいない。

それどころか、作業中のおばさんの一人が、撮影しているカメラに向かって、愛想を振り撒いている。

私の着ているものが、神前に参拝するための正装である。

短パンの上に、厚手の金糸の布を纏い、更にその上に薄く白い腰布を巻いているので、慣れないとちょっと歩きにくい。

現地の人々は、腰布の下は下着だから、丁度良いのかもしれないが、バリ島で昔から着用されている正装は普段から一般的であり、背広にネクタイなんていう人は居ないから、世界は広いと感ぜざるを得ない。


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「祭りの準備⑦」
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神殿の高い場所にセットされる、お供えの準備をする男性達。

彼等は、下で男女が作っている、様々なお供え物の部品を組み合わせて、それらを一体化し、此処に飾る作業をしているようである。

神社の中でも、此処は高い場所に位置する装飾品のようで、高所で作業する二人の男性は、かなり緊張した態度で仕事をしていた。

どうやら髭を蓄えた男性がベテランのようで、若い男に色々と指示をしながら、作業をしていた。

私がカメラを向けても、全く意識することなく、黙々と仕事に取り組む様は、矢張り神への信仰心無くしては出来ない行動だろうと思った。


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「祭りの準備⑥」
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既に祭りの為に用意された装飾品の数々。

これらの制作物が、全て村人達による手作りの作品なのであるから半端ではない。

幾重にも重ねられた仏塔のミニチュアは、何処の寺院にも有る塔の縮小版といえるだろう。

全くの素人の村人達が、皆このような作品を村長の指導で作るのだから、矢張りウブドの人々の芸術性の高さ、手先の器用さには恐れ入る。

所狭しと置かれたこれらの装飾品の多さから、日頃の寺院の佇まいは想像出来ない。


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「祭りの準備⑤」
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こちらは女性達が、祭りの準備をしている光景。


此処で作られているのは、神前に供える飾り物のお供えのようである。

面白いと思ったのは、男性と女性の受け持ち範囲が違うということである。

こうして寺院の中で作業をするのには、必ず正装で行わなければならず、当然その作業を見学する我々も、正装で無ければならない。

村の老若男女が総出で行うこの準備も、決められた日に出席して交替で行うようである。

こうした祭りの準備一つにしても、村を挙げて共同で行う所からも、人との一体感や繋がりが、助成されるのかもしれない。


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「祭りの準備④」
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彼らが作っているものは、創作物を飾るための紐なのであろうか。

我々部外者には、彼らが作っている物が何であるか知る由も無いが、それぞれの持ち場、分担が決められていて、祭りに必要な物を、それぞれのグループが作っているようである。

ちょっと周りを見回すと、境内の中にはドラなどの楽器類が置かれているようであり、通常はこの舞台で、ガムランの演奏や、バリの古典舞踊が開催されているようである。

バリでは、こうした祭りと舞踊や音楽が、切っても切れない関係に有るようで、オダランの期間中は、村人が、此処でガムランの演奏をして、礼拝に来た人々を持て成すのが慣わしなのである。


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「祭りの準備③」
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祭りの会場である、寺院の入口の光景。

すっかり綺麗に飾られた寺院の入口は、日頃の寺院とは見分けが付かないくらい、様々な施設が建てられているが、これらは全て臨時の建造物なのである。

入り口の脇にある等身大の女神の人形を始め、祭りのために臨時に建てられた建築物が沢山ある。

これらの創作は、全て村人達の手によって作られたもので、専門の業者などには一切依頼していないのだから驚きである。

50年に一度の祭りとは言え、全て素人の村人達の手作業によって作られるのだから、その創造性や芸術性の高さが分かるであろう。

そしてこれらの創造物は、祭りが終わると同時に、取り壊されたり、燃やされたりして跡形も無くなるのだから、ちょっと勿体無い気もする。


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「祭りの準備②」
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昨日掲載したのとは反対側の、道路の光景。

50年に一度の祭り(オダラン)が開催されるこの村は、幟の規模からいっても、それほど大きな村ではないようである。

しかしアスファルトの道路は綺麗に整備されているし、村の佇まいも綺麗であり、清潔感が感じられる。

こんな光景一つとっても、高層ビルなどが無く、何となく良き昔の日本の雰囲気が感じられるのは、私だけではないであろう。

バリ島は小さな島なのに、TPPの会議やエイペックなどの国債会議が開催されるのは、東南アジアの中でも、のどかで平和な雰囲気と、穏やかかで芸術性の高い人々が住んでいる島だからではないだろうか。

私がバリ島の虜になっているのも、嘗てののどかな日本の雰囲気が、色濃く漂っているからかもしれない。


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「祭りの準備」
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50年に一度のお祭り(オダラン)の準備をしている村に、連れて行ってもらった。

地元ウブドに育ったワヤン君ならではの、すばらしい企画である。

この村では、一週間後に、大々的なオダランが行われる予定で、今はその準備の最中だという。

村の道路の左右には、既に祭りのある事を知らせる幟が、たくさん飾られている。

これから村の人間が交代で、祭りの準備をしている現場に、案内してもらうのであるが、よそ者である我々は、正装をしてワヤン君に着いて、寺院の中に入って行くこととなるのだ。

一般の観光客が入ることの出来ない場所だけに、貴重な体験になるのである。


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「祭りの日」
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村が総出の祭りの日の光景である。

この写真はワヤン君が撮影した、ウブドの村の50年に一度のオダラン(寺院の祭り)の様子を撮影したものだが、流石に神々の住むバリの実態がどんなものなのかを知ることの出来る、壮観な光景であろう。

一体何人ぐらいの人々が、此処には居るのだろうか、男女それぞれ祭りの日の正装をして、目を見張るばかりの規模で、大行進を行っているといったところである。

イスラム教徒が徐々に増えつつある村とは言うものの、長年守り続けたバリ・ヒンズー教の祭りの日の様相は、如何に信仰が人々の心に根付いていて健在であるかを、知ることの出来る光景であると言えるであろう。


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「エンディング」
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バロン・ダンスの最後に、バロンや出演者と一緒に記念写真を撮ることが出来る。

私はワヤン君にそそのかされて、写真を撮るから舞台に上がって下さいと言われ、物好きにも石舞台の上に出てしまった。

そしたらワヤン君だけでなく、我々の旅仲間や、観客の欧米人などのカメラの砲列に会ってしまい、中々戻ることが出来なくなってしまった。

バロンや女性ダンサーは兎も角、私なんかを撮ってもしょうがないと思うのだが、後でこんな物好きな日本人のおっさんが居たよと、写真を見て笑い物になるのも良いかなと、撮影に応じた次第であった。


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「バロン・ダンス⑤」
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トランス状態になった男達を、バロンと巫女が正常な精神状態に戻す場面。

バリ・ヒンズー教では、人間と神は共存しているといった観念から、人はしばしばトランス状態になり、神の力により、超人的な行動を起すことがしばしば有るのだという。

ケチャ・ダンスなどでも、燃え盛る火の中をトランス状態になった男が、歩き回る場面が演じられる。

レゴン・ダンスでも、二人の少女が、魔女によって夢遊状態にされてしまう場面がある。

現代科学化発達した日本では、それらの行動は馬鹿馬鹿しいと一笑に付してしまうが、純粋に神を信じるバリ人にとっては、これらの神懸かりな行動は当たり前の事であるとされている。


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「バロン・ダンス④」
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バロン・ダンスの物語の中の、壮絶な最後の一場面。

人の心にも、この世界にも善と悪とが同時に存在している、人の心の中で、善と悪とが常に闘っているように。

と、宗教舞踊チャロナランの舞踊的な部分と、古代インド二大叙事詩マハーバーラタから作られたこの物語の最後は、人間が一生を悪に苛まれながら生き続けて行かなければならないと言った場面を、具現化したものである。

この場面では、踊り手の男性達が、しばしばトランス状態になりながら、自分を傷付け続けているのである。

それを止めさせるために、最後に巫女によってお祓いが行われ、この男達は、夢遊状態から正気に戻るケースが多いのだという。


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「バロン・ダンス③」
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これもヒンズー教、ラーマ・ヤナの物語の一場面。

人間の女性に化けた魔女が、魔女ランダに挑戦して負けた女性兵士に、呪縛を掛けようとしている場面のようである。

インドネシア語が分からぬ私には、魔女がどんな話をしているのか、皆目分からないが、踊りの一部として見ている分には、それはどうでも良いことに思える。

もうこのバロンダンスも、3回も見ているので、次にどんな展開になるのか、覚えてしまっているので、気楽な感じでこの場面を、見ているだけで十分である。


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「バロン・ダンス②」
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成獣バロンと猿の掛け合い場面。

バリ・ヒンズー教の叙事詩、ラーマ・ヤナの物語の中には、コミカルなギャグの場面が幾つか有る。

これは登場した猿が、バロンを相手にして、バナナを美味しそうに食べる様子をバロンに見せ付けているのである。

そして、それをバロンが食べようとすると、すかさず猿が、あっち向いてホイの仕草で、食べさせない動作をするのが、観客の笑いを誘うのである。

他愛も無い掛け合い漫才であるが、バロンを操る縫いぐるみの中の2人の人間と、猿に扮した人間の動作のタイミングが実に上手く合って、見るものを感心させるのである。


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「バロン・ダンス」
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いよいよバロンダンスが始まった。

社殿の入口から、徐々に石舞台の上に聖獣バロンが登場する。

バロンダンスは、ヒンズー教に基く古代インドの叙事詩、ラーマ・ヤナに登場する、超自然的な能力を持つ、バロンと、魔女ランダの対立をテーマとした、バリ人の世界観を象徴する舞台劇である。

バロンダンスを演ずる舞踊団は幾つか有るが、物語の内容は古くから伝わる古典舞踊であり、ほとんどの劇団ともストーリーは同じである。

人の心の中には、善と悪とが同居しており、たえずこの二つが戦い続けているといった内容を、バロンとランダに具現化した哲学的な物語である。


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「全員で」
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今度は踊り子の彼女と、全員での記念写真となった。

実はこの前に、私と彼女のツーショットの写真を撮ってもらったのだが、カメラが焼き餅を焼いたのか、それとも撮影者が下手だったのか、良く撮れていなかった。

この写真はワヤン君に撮って貰った物だが、全員の目線がカメラの方を向いていて良く撮れている。

こうして公演前のひと時を、希望する観光客を相手に撮影に応じるのがサービスだとは言え、皆に愛想良く撮影者に対応するのも、結構大変な事だろうと思った。

しかし考えようによっては、撮影会のモデル嬢のような積りで彼女が居るのだとすれば、それほど嫌になることは無いであろうかと、余計なことを考えていたのである。


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「踊り子」
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開演前の広場で、ウェルカム・サービスをする踊り子のポートレート。

私がカメラを向けると、彼女は愛想良く満面の笑みで、撮影に応じてくれた。

前回此処を訪れた時は、こんなサービスをする演出などは無く、ただ入場券を売る受付が有るだけであった。

9年も経つと随分様子も変り、観客サービスにも配慮するようになったようである。

そういえば此処の野外劇場の周囲は、一面の田圃であったが、随分家が増えて、田圃が少なくなったような気がする。

バリ島といえども、日本同様近代化の波が押し寄せているようである。

せめてバリ島独特の伝統舞踊や、ガムランやジェゴグのような伝統音楽は無くさないように、確りと受け継いで行って欲しいものである。


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「ガムラン演奏」
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ウブドに行く途中訪れた、バロン・ダンスの野外公演での、ガムラン奏者達の熱演風景。

此処は寺院の一廓に有るバロン・ダンスの野外劇場である。

最初にバリを訪れた時に、従弟と此処の公演を見に行った時の印象が強かったので、ワヤン君に頼んで、再度の観劇となった。

静かな田園風景に囲まれた劇場の脇の小屋に、ガムラン演奏者たちが座り、いきなりこの演奏が始まると、その迫力に先ずは圧倒される。

バリ島に来たら、このガムラン演奏を必ず聞くことをお奨めする。

これぞバリならではの、醍醐味だなと来る度に感動し、この音色は耳にこびり付いて、離れなくなるのである。


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