2013年09月の記事


「日本橋をバックに」
<<ベトナム>>--ホイアン--


日本人が作ったこの日本橋を背景に、旅友に記念写真を撮ってもらった。

徳川幕府が、鎖国令を出す前は、このベトナムのホイアンと日本は、かなり親交が有ったらしい。

秀吉の時代の茶人、千利休も茶器などを此処から輸入していたと聞く。

日本にとっての、鎖国制度の功罪を此処で述べるつもりは無いが、海外との交易が閉ざされた事は、時が止まったようでもあり、それが明治維新で、一気に文明開花へと発展したといえるだろう。

いずれにせよ、日本は東洋の中では、異質な存在であった事は間違いないであろう。
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「日本橋」
<<ベトナム>>--ホイアン--


1593年に、日本人技師達が作った日本橋の全景。

この橋の入り口には、遥か日本からやってきた技師達が、この橋を架けたと言う意味で「遠来橋」という看板が掲げられている。

この橋の向かって右側が、中国人街で、右側が日本人街である。

この橋は、申年に着工し、戌年に完成した事に由来し、橋の東側には猿の像が鎮座しており、西側には犬の像が祀られている。

橋の中央には、中国の仏像が安置されているが、日本人が江戸時代の鎖国令によって引き上げた後、中国人たちが、川の治水を祈って祀ったためである。
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「記念撮影」
<<ベトナム>>--ホイアン--


昼食を摂った後、此処のレストランに付随する売店の、女店員との記念撮影。

別に買い物もしないのに、この女店員と雑談をした挙句、一緒に写真を撮ろうと言ったら、気さくに応じてくれたが、彼女の目線が外れてしまっているのが残念である。

私の隣りに居るおじさんは、長野から単身この旅行に参加したとかで、我々の仲間に入れてあげ、一緒に行動したのである。

彼は、数年前に奥さんを亡くし、今は旅行をするのが唯一の楽しみだと言っていた。

ホーチミンでは、彼はパスポートをホテルの金庫の中にしまって忘れて出発してしまい、メコン河クルーズで気が付いて青くなったが、国内線の飛行機でホイアンに発つ前だったので、事無きを得たエピソードの持ち主である。
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「ランチ⑤」
<<ベトナム>>--ホイアン--


これがここのレストランのメイン・ディッシュである。

この他にも色々出たし、デザートも出たが、限がないのでカットした。

濃厚な味のスープは、ライスのおかずとして良く合った。

イメージでは、一年を通して二毛作、三毛作の米は、あまり美味しくないのではないかと思ったが、予想に反して結構日本人の口にも合った。

食文化も、国の発展と共に、改善されているのであろう。
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「ランチ④」
<<ベトナム>>--ホイアン--


次に出てきた料理は、こんなレシピである。

まるで主食のようで、うどん状の物に、豚肉や野菜を絡めて煮込んである。

私の現在の昼食では、これだけで十分といった感じであるが、まだこの後、次々と色々な物が出てくる。

我々の年代の人間は、出された物はすべて平らげないと勿体無い気がするから、全部食べてしまう。

海外から帰国すると、体重が一段と増えてしまうのは、そのせいかもしれない。
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「ランチ③」
<<ベトナム>>--ホイアン--


実にシンプルなレシピである。

煎餅のような固く焼いた物の上に、モヤシ炒めのような惣菜を乗せて食べるのである。

野菜の炒め物は良いとして、この硬い煎餅状の物は、私の口には合わなかった。

我々の席は、4人一組で座る様になっており、絶えず出てくるものは4人前ということになるが、好き嫌いで直ぐに無くなる物もあれば、残ってしまう物も出て来るのである。
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「ランチ②」
<<ベトナム>>--ホイアン--


ホイアンでのシクロ乗車の後に食べた、ランチの数々その2。

この海老の茹でた物は、見たところ別に日本で食べる海老と変わりがないが、味付けがちょっと違うようだ。

更に脇にあるタレが特製で、これを付けて食べると、香辛料が効いていて如何にもベトナム料理といった味になるのだ。

兎に角海に面した街だけあって、魚介類が豊富で、新鮮だと感じた。
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「ランチ」
<<ベトナム>>--ホイアン--


ホイアンでのシクロ乗車の後に食べた、ランチの数々。

ここのレストランはちょっと変っていて、約10種類の料理が次々と一品ずつ出てくる。

全部は紹介し切れないので、その内の代表的な物を、幾つかご紹介しよう。

これはベトナム風ピザと言ったら良いのだろうか、トッピングの具材が如何にもベトナムらしい。

ベトナム料理は、野菜や魚介類をふんだんに使うので、健康には良いのではないだろうか。

私は先ずビールで喉を湿らし、出てくる物すべてを平らげて完食した。
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「粋なシャンデリア」
<<ベトナム>>--ホイアン--


シクロ乗車の後、昼食を摂ったレストランの天井に下がっていた、素敵なシャンデリア。

ちょっと変ったこの照明は、在り来たりのシャンデリアではなく、竹細工の上に、ランタン風に綺麗な柄の布を貼ってあるようである。

流石にランタンの街ホイアンだけあって、こんな創作シャンデリアも有りなのであろう。

一見したところでは、ガラス細工のシャンデリアに見えるが、そうではないらしい。

食事をしている間も、この天井の照明が気になって仕方が無かった。

ベトナムには、創作意欲旺盛で、手先の器用な職人が沢山居るようである。
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「不思議な店」
<<ベトナム>>--ホイアン--


シクロを降りて、ホイアンの街の散策となったら、こんな店に遭遇した。

まるで遺跡の一廓の洞穴に、店を作ったような感じである。

店の中は薄暗く、どんな商品が有るのか良く見えないが、表に陳列してある品物を見ると、どうやら雑貨屋のようである。

看板を見ると、デジカメなどの電池や記録メディアなども扱っているらしい。

ちょっと入って中を覗いて見たいと思ったが、皆がどんどん歩いて行ってしまうので、残念ながらそんな暇は無かった。

矢張り街の散策などは、自由時間を設けてもらうか、フリー旅行の方が融通が利くなと思った。
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「街道を行く⑯」
<<ベトナム>>--ホイアン--


市場の端で魚介類を売る、露天商のおばちゃんたちの姿。

シクロに乗って、通り過ぎる時に咄嗟に撮ったスナップなので、売っている物の内容が分からない。

向かって左のおばちゃんは、串刺しにした焼き鳥状の物を、炭火を団扇で煽ぎながら焼いているのが分かるが、右のおばちゃんは何をしているのだろうか。

右手に持った道具は、何かの殻を割るような物に見えるが、判然としない。

此処で店を張ると言う事は、お客さんが居るからなのだろうが、観光客の我々には、ちょっと衛生上から言っても、手が出そうもないと思った。

背景に見える川には、漁船が繋留されているのを見ることが出来る。
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「街道を行く⑮」
<<ベトナム>>--ホイアン--


シクロは、川沿いの静かな通りに出た。

向かって左側の川には、遊覧船や、漁業に出る何艘かの船が繋留されている。

ホイアンは海に面している街だが、外洋に出るには、これらの川を経由して行かなければならない。

街の様子は、ホーチミンなどと比較して、格段に静かで、しっとりとした古都を感じさせる日本人好みの街なのである。
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「街道を行く⑭」
<<ベトナム>>--ホイアン--


私の乗るシクロは、大小さまざまな沢山のランタンが吊るしてある、店の前に差し掛かった。

中には、日本で昔から使われていたような形のものもある。

屋外の店の前に吊るしたこんなに沢山のランタンを、もし雨が降り出したら、取り込むのにどうするのだろうかと、余計な心配をした。

この店の先の洋服店の前には、およそ洋服店とは不釣合いな、おばちゃんたちの露店商が店をひろげていた。
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「街道を行く⑬」
<<ベトナム>>--ホイアン--


家全体が、樹木に覆われている、目を見張るような光景に出会った。

これだけ緑の樹木一色に囲まれている家を、見たことが無い。

此処まで沢山の樹木に覆われていると、涼しさを通り越して、暑苦しさを覚えるほどだ。

しかし、恐らく家の中は、かなり涼しいことだろうと、想像してみた。

此処の家の家主は、一体どんな考えがあって、この家を樹木の生い茂るのに任せているのだろうと、訪ねてみたくなるほどの光景であった。
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「街道を行く⑫」
<<ベトナム>>--ホイアン--


先ず本題に入る前に、早朝に報じられた「2020年東京オリンピック」招致決定のニュースに、心からの拍手を送りたい。

私見だが、これで更に日本が平和行事遂行の面でも世界の注目を浴び、日本経済も磐石なものになることを予測し、未来の若者たちに明るい日本の前途がプレゼント出来た事を確信し、皆さんと共に喜びを分かち合いたい。

さてホイアン回遊の本題に戻り、我々の乗ったシクロは、再び狭い路地へと入って来た。

こんな路地を行くと、両脇の家や店が間近に迫り、ホイアンの生活臭を肌で感じる事ができる。

ここでも天秤棒を担いだ女性が、こちらに歩いて来るのが見受けられるが、何を売るのか分からぬが、彼女はどうやら行商人のようである。

昔は日本でも、鋳掛屋や風鈴売り、金魚売りや豆腐屋が廻って来たものだと、この光景を見て懐かしく感じたものである。
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「街道を行く⑪」
<<ベトナム>>--ホイアン--


店の前をを、天秤棒の両脇に品物を載せて担いで運んで行く女性の姿。

今の日本では、全く見られなくなった懐かしい情景で、ベトナムならではのものだろう。

私がまだ子供の頃は、農家の人たちなどが、肥桶を天秤で担いで畑に行き、農作物に肥料として掛けている姿を見受けたものだが、それも今は無くなった。

彼女の着ている物が洋服でなく、アオザイなどであったら、一昔前にタイムスリップしたような気分になっていたことであろう。

それにしても、彼女の様子からして、担いだ荷物がかなりの重さに感じられるのは、気のせいだろうか。
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「街道を行く⑩」
<<ベトナム>>--ホイアン--


ホイアンは、街全体が世界文化遺産に指定されている。

このような家並みが、軒を連ねている事からも、その価値は納得出来よう。

これらの家は、16世紀に建てられた物であるが、この雰囲気は長崎の異人村を髣髴とさせる佇まいである。

こんな街並みの中をシクロに乗って進んでいくと、自分がタイムスリップして、この世界の中に住んで居るような錯覚を覚える。

此処が日本人街で有ることも、頷けるのである。
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「街道を行く⑨」
<<ベトナム>>--ホイアン--


広場に設置されている誰かの石像がある光景。

ちょっと開けた広場にシクロが差し掛かった、このホイアンの地の発展に貢献した人の石像であろうか、目に付く所に置かれていた。

ちょっと目には、ベトナム人らしからぬ容貌であるが、果たしてどんな人物なのであるのか、知る由も無い。

こんな光景は、ベトナムだと言わなければ、何処の国の景色なのか、判別が付かないであろう。

建造物だけは、明らかに日本の物と違うが、それも離れて見る分には見分けられない。
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「街道を行く⑧」
<<ベトナム>>--ホイアン--


シクロに乗って走っていると、こんな店が目に付いた。

店頭に吊るされている様々な衣服が、セールと謳っているにしては、余り新しい感じがしない。

古着屋なのかと目を凝らしたら、どうやらレンタルと言う文字が見えたので、貸衣装屋のようである。

ついでに気に入った物が有れば売りますよ、と言う事らしい。

日本でも、七五三や卒業式などだけに着る貸衣装屋は有るが、このように店頭に吊るしておく事はしないであろう。
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「街道を行く⑦」
<<ベトナム>>--ホイアン--


我々ツアーメンバーを乗せたシクロが、金魚の糞のように、連なって行く。

このシクロ、一台に一人しか乗れないから、20台以上の行列となってしまう。

客席と車夫の間は、ご覧の通り、シートで覆われているので、どんな車夫が漕いでいるのかも、良く分からない。

余計な気を使わなくても良いのは気楽だが、今何処を走っているのかなど、何の説明も無いので、ちょっと物足りない気もする。

店が立ち並ぶ街道脇には、百日紅の花だろうか、南国を思わせる花が晴天の空に彩を添えていた。
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