2007年09月の記事


「ワヤン君がやって来る�B」
--ジンバラン--


日没の海を背景に撮影したワヤン君のスナップ。

我々のバリ旅行の最後を飾る、砂浜レストランでの夕食のひと時であった。

ニコンのコンパクトデジカメを持つこんな彼の姿を見ると、矢張り現代の若者といった感じがする。
彼との東京での再会の時は、一体どんな姿で現われるのだろうか。

旅の最初に登場したサヌールの海岸は朝日のすばらしい所、そしてこのジンバランは夕日の素敵な海岸だと聞いた。

夕食後クタ、レギャンの繁華街を車で散策したが、欧米化された繁華街が続いているのに比べ、此処はまだ俗化されていない綺麗な海岸が続く、シーサイドであった。
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「ワヤン君がやって来る�@」
--ウブド--


のどかなウブドの田園風景の中でのツーショット。

いよいよワヤン君の来日が近付いた。
来日の目的は、日本能楽研究家の第一人者である増田教授の招聘で、日本とバリの文化交流の橋渡しを彼にさせるための勉強である。

私の息子といってもおかしくない若い彼の能力は無限である。
それを増田教授が見込んだからだ。

バリ島の、のどかな村で生活する彼にとって、生き馬の目を抜くような東京の雑踏は、一体どんな風に映るのか興味深い所である。

無事の来日を待ちわびる私である。
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「憩いの時」
--サヌール--


ビーチサイドの木陰でのんびり寛ぐ2人。

今まで載せていたすらりとした肢体の女性に比べ、何と見劣りのする姿である事か…

これは単なるこういう状態で寛いでいるという状況写真である事をお断りしておきたい。

ゴルフ焼けの腕時計の跡が、はっきり残っているのも、如何に日頃外で活躍しているかがお分かり頂けるだろう。

こうしてビーチソファーに横たわって心地良い海風に吹かれていると、自然と眠気が襲ってくるのだ。

隣の仲間は、横になりながら、頭上に生い茂る椰子の葉と、真っ青な空を撮影するのに余念が無いようだ。

全て世は事も無しのひと時であった。
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「母娘」
--サヌール--


波打ち際を散策する欧米人の母娘の姿。

すらりとした娘の肢体が眩しく海面に映える。
バスタオルを巻いているのは母親のようである。

欧米人の若い時のプロポーションは実に美しいものだと、口をぽかんと開けて眺めていたものである。

海草が生い茂って泳げない海辺では、日光浴をしながら周りの光景を眺めて時間を過ごすしか手立てがない。

多分探せばスイミングスポットが有るのだろうが、心地良い気だるさが体を覆い、眠気が勝っていたようである。
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「海面」
--サヌール--


一面に海底を埋め尽くした藻の様子。

いざ海の中に入ってみて驚いた。
海は遠浅であり、海底一面に海草が生い茂っているのだ。

歩くとぬるぬると藻が足に絡み付き、極めて歩きにくい。
おまけに幾ら沖に向かって行っても、遠浅で腰の位置より海面は低いのだ。

これではとても遊泳するどころではなく、止む無く水遊びをして戻って来てしまった。
随分色々な海が有るものである。

多分はるか彼方の船が停泊している辺りは泳げるのだろうが、前日の寝不足もあり、歩いていく気にはなれなかった。

結局海はビーチソファーで眺めるだけとし、水泳はホテルのプールで楽しむ事になった次第である。
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「砂遊び�A」
--サヌール--


砂浜で遊ぶ欧米人の姉妹の姿。

お姉ちゃんが砂を盛り上げて何かを造っている所に、妹もやって来た。

私が姉の方と話しているのを見て、興味を抱いたらしい。

2人とも良く似ていて、太陽に照らされたブロンドの髪が眩しく輝き、とてもキュートである。

母親らしき女性が、遠く離れた木陰のビーチベットで、こちらをにこにこしながら眺めていた。

子供達の世界に入り込まず、自由に遊ばせているのも、親掛かりで子供と遊ぶ日本の親子の姿とは、ちょっと違うような気がした。

別ページのトルコの少年達と言い、この子等と言い、日本の親達は子供の世界に入り過ぎるような感じがするのは、私だけであろうか。

これも子供達の世界が危険に満ちている、日本の悲しい現状に起因しているのかもしれないが…
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「砂遊び」
--サヌール--


砂浜で一生懸命何かを造っている少女の姿。

この時私が彼女に声を掛けたのだ。
What are you making here?(何を造っているの)と聞いたらI don't know(何造っているか分からない)と返事が返ってきた。

にこにこと嬉しそうな顔をしながら、ただ砂を盛り上げている。
まだ何を造ろうかイメージが湧いていなかったのだろう。

この後彼女の妹が近付いて来て、姉の何かを作っている動作をじっと見詰めていた。

静かに潮風が吹き渡る、心地良いひと時であった。
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「伸びやかに」
--サヌール--


プライベートビーチでの一齣。

何気なく我々のビーチソファーの近くに陣取っている若い欧米人のカップルを見て驚いた。

何と女性はトップレスなのだ。
他にも砂浜を歩いていると、こんな光景を時々見掛けるのだ。

彼女に取っては、これはごく自然の事のように思っているらしく、別に他人に見られても何も感じないらしく、平気で仰向けになって日光浴などをしている。

カメラを向けたこちらの方がどぎまぎして、流石に仰向けのポーズは載せられなかった。

前出の小さな少女が右脇にちょっと見えるから、私の居る位置関係はお分かりだろう。

正に彼女の若くて伸びやかなプロポーションを誇っているかように、私には思われたものである。

こうしてのんびり、砂浜で読書などして過ごすのが、欧米人の旅の過ごし方のようである。
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「海原」
--サヌール--


プライベートビーチの静かな光景。

此処はバリ・ハイアットのプライベートビーチだから、このホテルに宿泊した人達だけが利用出来るビーチだ。

ビーチソファーとタオルを無料で貸してくれるから、とてもゴージャスな雰囲気で、海を独り占め出来る感じだ。

ママに連れられて来た小さな女の子が2人、無心で砂と戯れている。

私が年上の女の子に、What are you making here?(何を造っているの)と聞いたらI don't know(何造っているか分からない)と返事が返ってきた。

はるか彼方の水平線には、三本マストの大型ヨットが浮かんでいる。

何とも贅沢な海辺のひと時であった。
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「ホテル入口�A」
--サヌール--


ホテル玄関前のアップ。

椰子の皮で葺いた大きな屋根の迫力がすばらしい。

バリの典型的な屋根の形であり、寺院などもほとんどの屋根が椰子の皮で葺かれている。

宿泊客が玄関に到着すると、巨大なドラの音が鳴り響き、客の到着を知らせるのだ。

日本の老舗旅館の太鼓の響きと似ているなと思ったものである。
此処バリ・ハイアットもサヌールでは老舗のホテルなのである。
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「ホテル入口」
--サヌール--


ホテルの玄関に通じる前庭の風景。

此処に到達する100メートル前方にゲートが有り、全ての車や人間は通行証が必要となる。

更に玄関前では全ての持ち物のチェックが行われる。
テロ事件の発生を警戒しての事だろう。

素朴なバリの自然の景色とは裏腹な厳戒態勢である。

欧米人の宿泊客が多いホテルでは、止むを得ない体制なのだろうが、ウブドの村とはちょっと異質な感じがする。

宿泊客が玄関に到着すると、巨大なドラの音が鳴り響き、客の到着を知らせるのが、日本の老舗旅館の太鼓の響きと似ているなと思ったものである。
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「朝の持成し」
--サヌール--


ホテルのロビーでガムランの演奏をするメンバー。

朝食を終え、サヌールの街を散策に出掛けようとしたら、妙なるガムランの音色が聞こえてきた。

店内に流しているBGMかと思ったら、入口で二人の男性が楽器を演奏していた。

こうして、ホテルの送迎客にバリの雰囲気をサービスしているのだ。

素朴なバリ特有の金属打楽器の音色が館内に響き、心地良い朝を迎える事が出来るのだ。
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「仲良く」
--サヌール--


バーのマスターと女店員の三人で仲良く記念撮影。

彼女の写真を撮っていたら、マスターがこの娘はとても気立ての良い子なんだよと、話題に参加した。

三人で談笑した挙句、記念撮影となったのだが、マスターがバーの中に招き入れてくれた挙句、プルメリアの花びらを頭に挿してくれた。

誰とでも、すぐ仲良くなって打ち解ける事が出来るのが、私の特技かもしれない。

旅を数倍楽しむためには、こうして現地の人と交流する事だと、何時も心掛けているからかもしれない。
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「微笑み」
--サヌール--


ホテルロビーに隣接するバー兼喫茶コーナーで働く若い女性のスナップ。

彼女の働く姿がとても清楚で感じが良かったので、撮らせてもらった。

最初日本語で話しかけたが、分からないようなので、英語で聞いたら通じて快くカメラに応じてくれた。

自然に心から出る微笑は、彼女の心根を現しているようだ。

この後此処のコーナーにいるマスターと三人で話している内に、すっかり打ち解けて、私もこのコーナーの中に入り込み、三人で記念写真を撮ってもらう事になるのだ。
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「寸景」
--サヌール--


睡蓮の花の咲く庭内の光景。

蓮の花の咲いている風景なら、日本でも良く見られる光景だが、背景との取り合わせが良い。

池の中に有る神を祀る苔むした祭壇、後ろに広がる鬱蒼とした茂みなどが、造られた庭園でなく、如何にも自然な感じで、歴史を感じさせるのがすばらしい。

このホテルの庭内は、サヌールでも最大の面積を有し、歴史も古いのだと聞いた。

庭内の何処を歩いても、それぞれの場所がビューポイントであり、見飽きる事が無いのだ。

日程が許せば、もっとゆっくりと宿泊し、ホテルライフを満喫したいと思ったものである。
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「一休み」
--サヌール--


ホテル内の喫茶房で一休み。

広い邸内には実に様々な憩いの場が有る。

のんびりとあちこちを散策しているだけでも飽きない。
此処は池の周りの橋を渡った所に有るオープンテラスを備えた喫茶店である。

朝食でバリコーヒーを既に飲んでいたので、ただテーブルに座って池の睡蓮などをぼんやり眺めている所を、仲間が撮ってくれた。

別に何もオーダーしなくても、店員がにこにこと挨拶してくれるのが、快い。

あちこちで、広大な敷地の中を綺麗にしている作業員の姿を見掛ける。

そんな裏方の従業員がいるから、自然の景色が一層引き立つのであろう。
自然を活かして、いかにも造られた感じの庭と思わせない所が素敵である。
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「レストランからの眺め」
--サヌール--


二日目の朝のテーブルから眺めた庭内の光景。

翌朝はレストランの朝食のテーブルを別の場所にして見た。

此処からはまた別の景色が広がっていた。
こんなに自然が一杯の光景を眺めながらの朝食はあまり体験した事がない。

まるで絵に描いたような光景である。
仲間達も食事後は、様々な角度からこの光景を撮影するのに余念が無かった。

この園内の光景の先には、プールや白い砂浜、そして青い海が広がっているのだ。

命の洗濯とはこういうひと時を言うのだろう。
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「至福の時」
--サヌール--


朝食を終え、バリコーヒーを飲みながら寛ぐひと時。

バリ・ハイアットの、心地良い浜風が吹き亘る吹き抜けのレストランで、のんびりと食後の満足感に浸っていた。

テーブルの前に座っていた、仲間の一人が撮ってくれた一枚だが、自分でも寛いでいる雰囲気が感じられるので載せてみた。

バリコーヒーは、一種独特の味がするが、その味はハワイのコナコーヒーに似ているなと思ったものだ。

コーヒーカップの底に、どろりとした粉が残るが、それまで飲むかどうかは個人の好みだろう。

予定の無い自分の好きな時間が過ごせるのが、パック旅行で無いフリー旅行の良さであろう。
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「屋根」
--サヌール--


ホテルのレストランを上から見た光景。

アランアランと言う萱葺き屋根の一種である。
バリ島の大規模な家や、寺院などの代表的な屋根の形式である。

感じが日本の麦藁屋根に似ているが、似て非なるものが有る。
屋根の途中に隙間が有るが、厨房の煙や熱気を外に出す工夫がされているようだ。

屋根裏はたくさんの竹を縦横に縄で結んだ形がそのまま剥き出しで出ている。

太陽の直射日光を、屋内に入れない知恵なのであろう。

これだけ巨大な屋根を作るのには、かなりの手間暇が掛かるのではないだろうか。

日本の五箇山などの麦藁屋根の家も、村総出で屋根の葺き替えをする光景を目にするが、バリではどうなのであろうか。
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「ナシ・チャンプル」
--サヌール--


私が食べた朝の食卓の料理の数々。

自然の中での食事は食欲を増す。
バイキング形式なので、極力量を減らした積りだが、それでもこれくらいはぺろりと食べてしまう。

お蔭で帰国したら、案の定出発前より体重が2キロ増えていた。

インドネシア語でナシはご飯の事、チャンプルは混ぜると言う意味だ。
従って、さまざまな食材を混ぜた料理ということになる。

バリ・コーヒーは、無くなると直ぐにお替りを注いでくれる。

日本に居るとダイエットのためも有るが、朝昼晩とあまり食べない習慣だが、これだけ食べてもお昼にはお腹が空くから不思議である。

これも快適な海外環境のせいであろうか。
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「自然の中で」
--サヌール--


花の咲き乱れる庭園の中での朝食風景。

こんな中で朝食を摂ると食欲も一段と増す。
亜熱帯特有の鳥達が囀り、不思議な置物が微笑んでいる。

ブーゲンビリアやプルメリアの花の香りが漂い、至福の時を過ごしている感じだ。

右先端の建物の先まで、ずっとレストランだから何処でも自分のお気に入りのテーブルで食事が出来る。

従業員のもてなしの態度も心地良く、皆にこやかに対応してくれる。
ホテルの管理体制が、徹底しているのだろう。

客の大半は欧米人であった。
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「回廊」
--サヌール--


ホテル内の回廊を歩いて朝食に向かう仲間達。

まるで寺院の中の回廊のようなホテルの長い通路を通り抜けてレストランに行くのだ。

異国情緒たっぷりのこの素敵なホテルに、一泊朝食付きで一万円そこそこで泊まれたのは、ワヤン君のお蔭である。

日本で同じホテルの同じ部屋をリザーブすると、かなりの高額になる。
中間搾取の無い地元の利を活かしてくれた事は有り難い。

バリのホテルは、高層ビル形式の物はなく、それぞれが自然を上手く利用して、野性味豊かな造りになっているのが何よりも嬉しい。

浮世を離れて、のんびりと邸内を散策するだけでも、十分癒されると言うものだ。
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「朝日の中を」
--サヌール--


水平線から上がった朝日の中を犬を連れてウォーキングするバリの女性。

何とも爽やかな光景である。
シベリアンハスキーを連れて、プライベートビーチを散歩する若い女性のシルエットが美しい。

バリの女性達は大柄な人は少ないが、手足の指が長てスタイルが良く、大きな目と長い髪を持っているのが平均的特徴だろう。

バリ島独特の民族舞踊レゴンなどで、それらの特徴は遺憾なく発揮される。

穏やかな性格で、何時もにこにことしていて、写真を撮っても両手を合わせてサンキューと言ってくれるから、写真好きの人には天国だろう。
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「撮る人」
--サヌール--


日の出を熱心に撮り続けるカメラマン。

望遠レンズを付けて彼は砂浜を駆けながら水平線に顔を出した太陽を追い続けていた。

相当写真好きの外人のようである。

これだけ長物のレンズを旅に持参したと言う事は、日の出を撮るためとは言え、なかなか出来る物ではない。

私は相変わらず一眼レフデジカメは持参しなかった。

コンパクトデジカメと、ビデオカメラの二つで、写真を撮ったが、それでも枚数は1000枚を超えた。
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「朝のプライベートビーチ」
--サヌール--


バリ・ハイアットホテルのプライベートビートの光景。

白砂が日の出の太陽を受けて、真っ赤に染まっている。

パラソルのポールがずっと並んでいる先までが、ホテルに宿泊した人たちが利用出来るプライベートビーチなのだ。

恐らくこれだけの広大なビーチを占用しているホテルは、サヌールで一番大きい存在だろう。

昼間はこの浜辺でのんびりと過ごす事になるのである。

砂浜にカメラを据えて撮ったが、画面が少し曲がったようだ。
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「朝の務め」
--サヌール--


ホテルの裏庭に有る神を祀る社殿。

これはホテルの所有する小さな社殿である。
ホテルに限らずバリ島の家々には、必ずこうした神を祀る場所が有る。

ホテルの中でも此処が一番神聖な場所であり、一般宿泊客は入る事が出来ない。

これも神々の住む島と言われる由縁であろう。
一日の日課は、この祠を綺麗に掃除し、ご覧のように入口に椰子の葉で編んだ器の上に、花や線香を奉げて祈る事から始まる。

この時も社の中では、ホテルの従業員が社殿を綺麗に掃除していた。

今日も一日何事も無くホテルの運営が出来るようにという、祈りを込めて掃除に勤しむのである。
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「朝焼けの浜で」
--サヌール--


プライベートビーチの海を背景に撮って貰った一枚。

日の出前は空や海が、真っ赤に染まる。
今日一日の好天を予感するような光景だ。

我々メンバーは、周囲の朝の光景を感動しながら、銘々撮影に没頭していた。

傍に居た仲間に、強制フラッシュなどのセットをし、記念に撮ってもらった。
撮り撮られつと言った所である。

吹き渡る海風が、Tシャツを通して心地良い。
贅沢な南国の朝のひと時であった。
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「日の出」
--サヌール--


バリ・ハイアットホテルのプライベートビーチの日の出。

何処の国の日の出も同じようだが、そこに居る事の臨場感や空気が違うようである。

ホテルの部屋から其の侭直ぐにビーチに出られるのが何より有り難い。

バリ島らしく、椰子の葉陰やバリ独特の灯篭などが異国情緒を醸しているようである。

何時も思うことだが、南国の日の出は太陽が日本より赤い感じがするのは、私だけであろうか。

サヌールのホテルの宿泊は、二泊であったが、翌日の朝は曇っていて、日の出は見られなかった。

我々の旅の門出を祝うかのように、この朝の日の出はすばらしいものであった。
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「前夜祭」
--サヌール--


ホテルの部屋の中で一杯やりながら談笑するメンバーのスナップ。

部屋に入ったのは夜中の12時を過ぎていた。

途中のコンビニで買った、ビンタンビールやつまみ、ワヤン君の差し入れてくれた椰子酒を飲みながら、明日から始まる旅のスケジュールに盛り上がっていた。

何と言っても旅が始まる前夜は、心弾む一時である。
時間の経つのも忘れて、深夜まで談笑は尽きなかった。

翌日ワヤン君が迎えに来てくれるのは午後2時、皆朝はゆっくりなので、深夜まで騒いでいたが、車でウブドの自宅まで戻るワヤン君は、お酒も飲めずに皆と付き合ってくれていたのだからさぞ大変であったろう。
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