2007年01月の記事


「オダランの日」
--ウブド--


満月の夜に行われる、オダランのお祭りに参加する群衆の光景。

こんな可愛い正装した子供を主体に撮るワヤン君の心根が嬉しい。
バリでは長男がワヤン、次男がマデ、三男がニョマンという名前が付けられるのが通常である。

従ってワヤン君は長男と言う事になる。
実に合理的で分かりやすい名前である。
ちなみにフルネームはスタマ・ワヤン君である。

さて此処に写っている可愛い男の子は、ワヤン君だろうか、それともマデ君か、はたまたニョマン君だろうか。

余談だが、我々がウブドを訪れた時にガイドを頼んだのはニョマン君であった。
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「沐浴�B」
--ウブド--


カニンガンの日、祭りに参加する前に沐浴をする善人善女の光景。

ウブドの最大の神を敬うお祭りである、カニンガンの日に、こうして寺院の中にある聖泉で老若男女が一緒くたになって身を清めるのだ。

こういう写真は地元の人で無ければ撮れない写真だ。
関係者である、ワヤン君だから撮れた光景である。

その彼が、今日の日本の旅番組にナビゲーターとして出演すると言う。
題して「地球の歩き方、バリ特集」
まだスカパーが入っていない私としては、見られないのが如何にも残念である。

彼が後でダビングして送ってくれると言っているが・・・
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「バロン�D」
--ウブド--


これもワヤン君から送られて来た写真である。
バロンダンスで使われるバロン(獅子)の全体像。

この巨大で重たいバロンの縫い包みを二人の男性が被り、踊るのだから大変である。

中国の獅子舞の獅子とちょっと似ているかもしれないが、重量は数倍重い。

これだけ煌びやかな装飾が施されている獅子の被り物は、ちょっと他国には類が無いであろう。

矢張り神の化身として登場するだけあって、日本の獅子舞と違い、神々しさを表現しているのかもしれない。

左後ろに有る藁葺き屋根の小屋は、我々がこのアルマ美術館を訪れた時に、バリコーヒーを飲んだ喫茶ルームであり、懐かしき限りである。
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「古典舞踊」
--ウブド--


アルマ美術館の野外舞台で行われているバロンダンスの情景。

これもワヤン君が送ってくれた写真だが、画像が今一なのが残念だが、私にとってはとても懐かしい場所である。

この美術館を訪れた時は、この舞台では舞踊は行われていなかったが、ここの美術館に飾られている、様々な絵画や彫刻が珍しく、異国情緒を満喫出来たのが記憶に新しい。

日本語の上手なマデ君が熱心にそれらの作品の説明をしてくれたものである。

古来の伝統や、芸能を大事に保存するウブドが何時までもその姿を留めていてくれる事を切望する次第である。

この舞踊はバロンと化した神が、悪者を懲らしめる伝統舞踊である。
両脇に並ぶガムラン演奏者の曲に合わせて、セットでない自然の舞台の中で演じられる所が、如何にもウブドらしくすばらしいのだ。
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「ワヤン君�C」
--ウブド--


眩しい太陽の下で、ちょっと苦みばしったワヤン君のアップ。

此処はどこで撮影したものだろう。
一般の農家の庭先のような気がする。
ウブドではこんな自然に囲まれた中に家が有るのが普通である。

丁度日本が昭和の初期だった頃の光景が再現されたかのようで、とても懐かしい感じがするのだ。

日本人にとって、バリは癒しの国と良く言われるが、伝統芸能や自然崇拝の神々が宿る寺社だけでなく、こんな普通の風景の醸し出す雰囲気も、我々に和やかさを与えてくれるのではないだろうか。

今でもワヤン君からは、定期的に写真や近況を知らせて来てくれるのだ。
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「賭場」
--ウブド--


祭りの日に寺院の境内の一角で開かれているギャンブルの光景。

昔は日本でもこんな光景が見られたものだ。
参拝客を相手に、お金を掛けてギャンブルをする。
勝てば掛け金をゲットするが、負ければ哀れである。

衆人環視の中での勝負だから、いかさまは無いのだろうが、相手はその道のプロだから、中々勝てる人は居ないだろう。

もっともこれも祭りの余興の一つだから、大したお金を賭けるということは無いだろうから、身包み剥がれると言う事は無いのだろう。

何となく懐かしい光景ではある。
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「バロンが行く」
--ウブド--


タマン・アユン寺院の祭りの光景。

前に別の寺院の祭りの光景を載せたが、その時のバロン(獅子)は赤だった。

その村や寺院によってバロンの姿も様々のようである。
バロンダンスなどでは巨大なバロンを二人で操るが、このバロンは一人で立って歩くようである。

大きな爪と、毛の生えた縫い包みを着て歩くバロンは、神聖な神の使いとされている。

流石にこのような祭りの中心に居るのは、村人だけであり、観光客は見当たらないようである。
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