<見えている>=世界、事象、構成、構造 <見える、見せる>が科学&研究230724
 土佐の横倉山へ戻り、西村寿惠子は語る。「nhkG 朝のドラマ らんまん」第63話。
 「(万太郎さん)見えているもののことは、そんなにも見えてるじゃないでいすか」・
 「(私には山、木、草としかみえないけれども、あなたには)誰にも気づかれてないけど、そこにいる子。生きている子。その子たちを、万太郎さんだけが気づいてあげて、見てあげるの」。


 そこには科学、あるいは研究の追い求めている属性が示されている。そうではないか。
 <見えている>=世界、事象、構成、構造 <見える、見せる>が科学&研究230724
万太郎の描く植物画、信州から上京した画家・野宮の挿画とは大いに異なる。

 そんな場面が展開する東京帝国大学植物学教室のシーン。登場人物は異なるも。
 野宮が、間もなく助手に採用される波多野に語り掛ける。
 「あなたは顕微鏡で、なにを観ているのですか」。」波多野は答える。

 「(私は)自分は見えないものを見ている、見たいと思っている」と答えのだ。
 続けて、「肉眼では見えないけれど、命をつかさどる仕組みを見たいと思ってるんです」。
 「一生を懸けてでも」と、「受粉してから植物で何が起きるかなど、分かっていないことを知りたい」。

 いかが。植物画が植物分類を位置づけるポイントを、もれなく開示。
 科学&研究には<見えている>=世界、事象、構成、構造。それぞれの部分、組成、数量、数式を<見える、見せる、見える化する>営為。
 そういうことではないだろうか。研究者の描写する植物画と画家の描く絵画。その差異でもある。