2022年12月の記事


2022年大晦日。記憶の一葉、かすかな老いの疲労221231.
 「三首詠歌」章というのがあって、「秋も去り春も去りて、年月を送ること、昨日も過ぎ今日も過ぐ」と始まる。

 「そのうちには、さりとも、あるいは花鳥風月のあそびにもまじはりつらん。また歓楽苦痛の悲喜にもあひはんべりつらん」。
 かく展開している。

 2022年大晦日を迎えた。「30枚もあればよい」。 
 旧臘から始めていた「補論 伝承・記録と自然災害」は、結局、230枚ほどのボリュウムとなった。
 2月の「擱筆 かくひつ」は、如月末に及び、新暦で弥生の幕を開く寸前であった。

 卯月。鎌倉市の鎌倉歴史文化交流館というところから、企画展示の招待券が2枚届いた。
 家で見せたところ「行ってみましょう、よ」。国指定史跡の整備状況を「みてみるのも、よいか」。
 5月24日出発、27日までの旅にのぞんだ。

 6月5日。釧路市中央図書館で「郷土史家によるトークイベント『北大通の記憶を伝える』」に、お付き合いさせてもらった。
 そこで話を聞いてくださったお一人が、「やってみましょう、北大通で<地域の語り部>養成を」。
 彼女は仲間に呼びかけて、たちあげた。「ぶぶる~宥紹先生と街歩き」。

 9月3日 第38回アイヌ民族文化祭が釧路町公民館で開催された。
 公益社団法人北海道アイヌ協会の主催で「郷土の歴史・文化再発見企画」にお招きをうけた。
 「吉良平治郎の生涯と時代背景~今に読み解くこと~」の時間をいただいた。

 あいまに、「ぶぶる~宥紹先生と街歩き」のプランがすすんでいた。
 1)7月14日「原田・桜木作品の源流部をたどる」
 2)9月22日「原田作品の母体を訪ねる」
 3)11月10日「啄木、さいはての駅第一夜」
 
 3)上記3)の催行ツアーは、『北海道新聞』(夕刊) 釧路市内版で報じされた。
 「なぜ、北大通ですか」。そう聞かれて「これまで歴代に詰み重ねられた投資、付加価値を生み出す源泉として生かしたい」。
 釧路支社報道部の二色朋恵記者が担当された。その主旨は主催者の裕子さんの説明のなかに活かされている。

 思い出すことは断片の一葉にうすくなり、かすかな疲れが確実にただよっている。
 2022年大晦日。記憶の一葉、かすかな老いの疲労221231.
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広島七福神 21世紀に提案「七難除去、七福招来」221230
 広島七福神 21世紀に提案「七難除去、七福招来」221230.

 広島駅新幹線口を出たところで目にする広島東照宮。ここに福禄寿=「人望」の利益を表する「福禄寿」が配置されている。
 広島東照宮を軸に、西には浅野長命を祭神とする饒津 にぎつ 神社、明星院(真言宗)、鶴羽神社の二社一寺。
 東に、尾長天満宮、國前寺(日蓮宗)、聖光寺(曹洞宗)の一社二寺で構成「広島七福神」。別の名を「二葉山山麓七福神」。

 七福神信仰は室町時代末期の成立。そのように規定する資料がある。「七つの差異災難を除去して、七つの幸福をもたらす」と。
 それぞれ「利益 りやく」の窓口になっていて、それぞれ定めがあるようだ、
 おなじみ恵比寿、毘沙門天、弁財天、福禄寿、大黒天、布袋尊 寿老人(しゅろうじん)の七神。

 七神にはそれぞれ故郷がある、らしい。なかでも恵比寿は日本の神様として唯一、選ばれる。
 唯一と申すに弁才天は唯一の女性神。そこは言をまつ、まい。
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 巳は上に、已になかばに、己は下に。かく記憶してきた「巳」「已」&「己」の漢字。黌門客

ところが他説ろいうより、他の覚え方もあるようで。
https://higonosuke.hatenablog.com/entry/20080319
 なんといくつあるのであろうか、調べたヒトもおるもので。

 1)「巳(み)は上に、已(すで)に已已(やむのみ)中ほどに、己(おのれ)・己(つちのと)下につくなり」
 2)己(キ)・己(コ)の声、己(おのれ)・己(つちのと)下につき、已(イ)・已(すで)は中、巳(シ)・巳(み)上につく」
(以上、原田種成編『漢字小百科辞典』三省堂1989,p.240)
 3)「き・この声、おのれ・つちのと下につき、い・すでに中に、し・みはみなつく」
(加納喜光『いつも迷ってしまう漢字大疑問 一万人調査「どっちが正しい?」』
講談社SOPHIA BOOKS 2000,p.144*1)
 4)「ミ、シ(巳)は上、ヤム、イはスデニ(已)半ばなり、オノレ、ツチノト、コ、キ(己)下に付く」
(小駒勝美『漢字は日本語である』新潮新書2008,p.49)
 5)「巳(み)・巳(し)は上、已(やむ)・已(い)は已(すで)に半ばなり、己(おのれ)・己(つちのと)・己(こ)は下につく」(篠原忠和『篠原名人の平成漢字大学』あすとろ出版1995,p.54)
 6)「巳(み)は上に、己己(おのれつちのと)下につき、半ば開くれば、已(すで)に已(や)む已(のみ)」
 (阿辻哲次『漢字を楽しむ』講談社現代新書2008,p.84)
 7)「巳(み)は上に、己(おのれ、つちのと)下に付き、已(すでに・やむ・のみ)中ほどにつく」
(斎賀秀夫『漢字の缶づめ 教養編』旺文社1998,p.125)
 8)「己はあき、すで(已)に半ばで巳(み)くっつき」
(村石利夫『漢字に必ず強くなる本』三笠書房知的生きかた文庫1988,p.50)

 1)~8)とナムバーを挿入したのは筆者の作為ながら、ここでも「已に6通り」。いろいろあるもので。
 巳は上に 已になかばに=「巳」「已」「己」221227
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七難
七難=「色白は七難隠す」 221221

「色白は七難隠す」と申すではないか。「七難七福」と言われているようながら。
そこで「七難 しちなん」を調べてみると・・・・・。意外にも「色白で隠れる七難」。
それには、なかなか行き至らなかった。意外。

代わって「経に曰く」の次の項目。そこを掲載図で示しておくことに。
総じて、「一般に種々の災難・困難をいう」とも。

「仁王経‐受持品」=日月失度難・星宿失度難・災火難・雨水難・悪風難・亢陽難・悪賊離
「法華経‐普門品」=火難・水難・羅刹難(らせつなん)・刀杖難(とうじょうなん)・鬼難・枷鎖難(かさなん)・怨賊難(おんぞくなん)
「薬師経」=人衆疾疫難・他国侵逼難(たこくしんひつなん)・自界叛逆難(じかいはんぎゃくなん)・星宿変怪難・日月薄蝕難・非時風雨難・過時不雨難、
「陀羅尼集経」=王難・賊難・水難・火難・羅刹難・荼枳儞鬼難(だきにきなん)・毒薬難をいう。

「七難七福」とも申すが「七福」の前に、ひとこと。「色白で隠れる七難」は、どれとどれらを差すのであろうか。
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生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022ー後ー
 生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022ー後ー

 「釧路漁業の父」。そのように評価されて建立された嵯峨久頌徳碑。
 その業績は次の三点に要約される。「漁船動力化と発動機船組合」(大正9)、「漁業専用漁港」(昭和3-14年)、「魚卸売市場」(昭和13年)。
「魚卸売市場」開業が、その最後にあたる。

 その所以を「前貸資本統制下からの生産者独立」。 そのように位置付けてみた。
 そこで「前貸資本」とはなにか。
 22年9月3日、「吉良平治郎の生涯と時代背景~今に、読み解くこと~」と題して話をしておいた。
 掲載図、右隅の6行である。

 ポイントは4項目。「販路独占」「(生活資金とう)着業前から貸し付ける資金力」「産物の独占的買い入れ」「買い手本位の価格と金利設定」。
 鮮魚漁獲の技術があっても、販路をもたぬ近世の出稼ぎ漁業者、近代の自営漁業者にとって「販路なき」は「生殺与奪の権利」を商人に、握られてきていた。
 その商人の独占的買い付けを排除する。嵯峨久が苦慮した点は、実にここにあった。

 導入の話に立ち返る。「今日の働きに応じた日当を、帰るとき現金で渡してもらえますか」。
 会社訪問の若者は、その日の働きを手に「ネットカフェ」に向かうのか、ホームレスで過ごすのか。
 宿なし、生活拠点なし、食事の賄なし。コンビニ三食を揃えて翌朝、会社に向かう、着のみ着のまま。

 この労働と雇用の形態。実に18世紀末からみられる北海道への出稼ぎ労働、近代において展開した自営漁業労働の、プリミティブな存在形態なのだ。
 秋田県出身、根室商業学校に学んだエリート漁業者の、生涯かけて腐心した事業。
 それは「前貸商人支配からの独立、漁業生産者に有利な価格形成をめざす一つのカケ」とも言える。

 難業実現の背景に、昭和10年。東京・築地市場など近代都市型の生鮮魚流通の全国組織の形成があった。
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生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022ー前ー
 生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022

 嵯峨久寿像には「釧路漁業の父」とある。
  「漁船動力化と発動機船組合」(大正9)、「漁業専用漁港」(昭和3-14年)、「魚卸売市場」(昭和13年)。
 これら三点を促進する中心となった。
 のちの釧路漁港を漁村漁業にくわえて漁港基地の比率を圧倒的に高めるうえで、大きく貢献している。

 22年10月22日、筆者はこの像の前に市内のグループを案内した。
 北海道中小企業家同友会くしろ支部に属する新会員。「一歩の会 10月例会」に、お付き合いさせていただいた。
 像の前で、話を切り出した。

 「みんなの会社に、今日、私に出来る仕事があったら、させてください」。
 「なんとしても、今日の働きに応じた日当を、帰るとき現金で渡してもらえますかー」。
 そんな若者が、目の前に現れたら、「(みなさんは)いかがされますか、採用しますか、追い返しますか」。

 返事が出そろったところで、切り返しました。
 「釧路の漁業は、18世紀の終わりごろからはじまっています」が、
 「その時は現在の青森県から、集団で何人もの漁業に従事したい男性たちが、今、紹介した<若者>の姿で目の前に至ました」。

 当日、研修で参加した若手経営者は<けげん 怪訝>な様子で聞き入ってくれました、ですよ。
 生産者価格の形成 前貸資本に抗して 嵯峨久寿像「魚市場開設」221022ー前ー
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3.道内各地の職業訓練校 集団就職その3 221218
3.道内各地の職業訓練校 集団就職その3 221218
 集団就職のヒアリングの最後に、「あれはまさに、集団就職そのものでした」。
 そう語ってくださったのは高等学校を昭和41年卒業の方と面談した折のことでありました。
 
 高校卒業式は3月の月初めに挙行される。3月のみ一日だけ登校するならいで、おおむね朔日に式典がある。
 進路先に選んだのは職業訓練所の無線科コースであった、と言うことです。
 職業訓練校所は無線科のみ高卒者から受け入れており、その要因は英語の習熟レベルにあったとされています。

 訓練所修了後、東京に本社をもつ会社に内容が内定し、赴任することになった。
 そのシステムが集団就職。赴任の方法は「集団就職列車」、そのミニチュア版と回想する。
 説明のポイントは、当時の釧路公共職業安定所は首都圏の安定署の示した要綱にそって、乗車する列車日時が指定された。

 北海道内各地に設置された職業訓練所の修了者をまとめたものであったかどうか。それはさらに聞いてみなければいけない点です。
 また、当時の北海道釧路職業訓練所にはまず、機械科か電気科、ほかに建築科のうち二かと、それに無線科の三科で構成されていたはずです。
 そこで三科からともに、それぞれ上京する訓練修了者が居たのかどうかも、次の紹介事項です。

 ここまでの話を聴いてみて、考えていた点があるのです。
 それまで先行する職業補導所、後継の訓練所は地元企業のための技術者確保が主流。
 そう考えてはいたものの実態は首都圏、中部圏、関西圏などの職業安定署とのネットワークのもとに北九州を含めて<四大経済圏の労働者不足>を補完するシステムであったのでしょうか。

 職業訓練所は現在でこそ北海道経済部高等技術専門学校に継承されています。
 その前身が、職業訓練所、職業補導所ですね。昭和22年11月30日に職業安定法(昭和二十二年法律第百四十一号)が施行されています。
 この法律で「失業者対策として、失業者に生計をたてるのに必要な知識・技能を授ける目的で設けられた施設」とされ、釧路職業補導所が設置されたのは法施行4年後のことでした。
 
 筆者が高校を卒業して学部に進学した時、訓練所の無線科2年課程?。
 2年であったようでもあるし、半年であったか不詳ながら、確かに水産高等学校卒業者が2人ほど通学していたですよ。
 大型漁船の無線通信士をめざす学生であったか定かではありませんが、同期の学部二年生とは友人であったはず。それで承知していると記憶してきました。
 大型の漁船や貨客船をめざすなら、四大経済圏での就職は当然にもありうる点です。

 訓練所の時代。昭和34年―同53年はほぼ「集団就職」が言われる時期と重なるではありませんか。
 北海道では「稀 マレ」ということになる、集団就職。その枠組みの貴重なケースなのかも知れません。
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集団就職 その二 221217
 2.高い求人推移 「集団就職」が該当する時代。北海道の雇用統計、なかんずく求人率は高い水準にあったのではないでしょうか。

 そのように推量しつつも、そこは雇用統計を整理してもらうと判明するものと受け止めてきました。
 今、出身中学校の同級生の進路を思い返すに、ほぼ25%が進学し、65%相当が就職、「家事従事」としたのは男性1,女性2程度の1割弱であったと記憶しています。
 
 就職者6割強のうち公務現業職、大手乳業会社労務職、建築、製材会社事務、小売り販売業などに就職していました。
 ただし、なかには「住み込み」の雇用形態もあったし、まもなく離職した者も少ない。
 生涯を一職場で全うした者は、のちのと消息もあきらかながら、まもなく離職、転職を余儀なくされた同級生の消息をたどることは難しい。
 
 就職希望者のうち、大半が採用された背景には高レベルの求人数があったはずです。つまり求職者の域内吸引ということが可能であった時代です。
 その要因となるのは、北海道開発法(昭和25年 法律第◆号)施行をうけての公共財の旺盛な投資が持続したことを考えてよいのではないでしょうか。
 昭和27年度から、北海道総合開発計画第一次5ヵ年計画がスタートしています。昭和33年夏に北海道博覧会が開催されていますが、今、考えるにこの博覧会はこの年度から開始の「第二次5ヵ年計画」を啓発するものであったように受け止めてきまました。

 一方で、新制中学校一年で履修した日本地誌を含む社会科授業では、「岩て日本のチベット」とTEXTに記載のあった記憶があります。
 近隣に青森県津軽郡車力村から嫁いだ女性は、津軽半島での体験を語り、「津軽は貧乏」の弁を繰り返し、「北海道は景気が良い」の話を聞かせていたことです。
 1970年代の初頭、筆者らは青森県下北郡に調査で出かけました。なぜ、下北半島を調べようとしたのかです。

 それは当該地から江戸時代後期に北海道の太平洋岸に永続的な出稼ぎ労働のあった点を解明するためです。
 そこで判明した点があります。一に下北半島からは実に多くの「金の卵世代」が首都圏にむけ集団就職していたか。
 二は、すでに下北半島には「原発関連の様々な施設」の配置がすすんでいる点でした。

 1975年、津軽半島の蟹田、金木、車力などの地を訪ねた時には、整然とした水田を目にしました。ときに聞かされていた「津軽の貧困」とはなんであったのかと、目を疑ったものです。
 2020年1月、岩手県で内科医開業していた家庭の子息と話をする機会がありました。小生が「岩手=日本のチベットと教科書で読んだが」。
 その答えは「確かにそうなのだ、自分もそう思う」。「岩手は日本のチベットだった」と、言葉をつなぎました。

 この一言で、津軽で目にした1980年代の青田も、1970年代初頭に訪問した下北や三陸海岸・宮古の地域事象にも、その位置づけができた<思い>です。
 1950年代ー70年代。北海道が東北各県に比して自力があったように見えます。
 確かに求職が全うされたのも、それは食糧基地や石炭産業、あわせて開発基盤整備の公共財投資が旺盛であったことによるのでは、なかったかと。

 筆者の記憶も、同年代でかつ北海道東部の中核都市で義務教育を終えた者のうちにも、「集団就職」や「集団就職列車など知らなかった」の論があるわけです。
 当時、北海道に寄せられていた公共財投資。そのことが東北6県の事情とは異にするものがあった。かく、作業仮説を用意し、検証に進んではいかがかと。
 これぞ、集団就職の第二話ということにします。
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大きな寒暖差、クオリティーの高さを体現 寒地シイタケのメッカ・厚岸町上尾幌221216
 冬はマイナス30度、夏はプラス30度まで気温が変化する厚岸町上尾幌。
 1965年を前後する炭鉱閉山を契機に、シイタケ栽培が着業した。
 以来、60年。高い評価を博するようになった。

 2022年12月16日の『北海道新聞』釧路版は伝えている。
 「肉厚で新鮮 厚岸・上尾幌の菌床シイタケ」「『極茸』全道最高賞」。
 農園の安達代表「知名度上げたい」。

 寒冷地の気候がもたらす「うま味のふところの深さ」。
 寒暖差、農薬依存から解き放たれて微生物がうみだす肥沃度、周囲の山林がもたらす栄養塩。
 今、「旨さの多様性」を「言葉で表現」の課題に挑戦していて、頼もしい。

 石炭ぼ埋蔵資源、国有林の生産・苗圃・管理の集落に、それぞれの撤退が重なっている。
世に周囲は「ナニもない」を指摘するが、決してそうではない。
特産のキノコ、釧路経済圏のなかにありながら「強いキズナで生み出されるコミュニティ集落」。

 外形は「限界集落」を思わせる<たたずまい>ながら、地域の名物、寒冷地の名産がブランド性を豊かにしている。
 安達農園主は48歳。もっとも活躍できる年代ではないか。
 「第17回北海道きのこ品評会『菌床しいたけの部』で最高賞の林野庁長官賞に初めて輝いた」。

 本人の紙上談話。
「年末の本格的な需要期に肉厚で新鮮な上尾幌のシイタケを食べてほしい」。
 「受賞を機に商談も増えており、上尾幌産シイタケの知名度を上げていきたい」。

 大きな寒暖差、クオリティーの高さを体現 寒地シイタケのメッカ・厚岸町上尾幌221216
 2022年12月16日付『北海道新聞』朝刊が、14面で報道している。
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集団就職 その一 221215
 筆者は1956年に小学校、1959年が義務教育卒業です。釧路国内の、しかも小中併置の教育機関で修学しました。56年、59年のいずれもが集団就職の対象期に位置し、その前期部分に該当する。「金の卵」世代の対象者です。


1.学事報告 
 義務教育就学時から卒業期まで、毎卒業式で「学事報告」の朗読が行われました。式典で読み上げられ、PTAの保護者に対する説明資料で記憶にあるのは中学校卒業生の進路が主題となって提示されていたことです。
 各年度の卒業生(20人前後、まれに30人超)は後期中等教育機関進学者(高校、専門学校、職業訓練校)、就職(釧路国管内、道内、本州)、ほかに進路未定のほか、特徴的な事項に「家事従事」の項目が示されていました。
 小生の卒業年で、進学はほぼ3割、前後の年度もその程度、かく記憶しています、就職はおおむね釧路市及び周辺の町村で決まっています。進路未定はほとんどおらず、この項目は「家事従事」にまとめられていたように受け止めてきました。男子は一次産業の家業に従事し、女子は「家事見習い(「花嫁修業」には及ばないが)」で記録されていたことが、年を重ねるにつれて判明してきた点です。
 なかで一名が卒業後直ちに愛知県に就職していた記憶があります。当時、話題になっていたことは「親戚の紹介」ということで、今に記憶しています。
 この調査の依頼があってから、釧路市内の義務教育卒業者4名に当時の同級生、同期生のなかで記憶に残る「義務教育修了者→就職者」の存否、及び「集団就職」の対象事例の記憶をよみがえらせてもらっています。
 うち一名から明確な返事がありました。「集団就職はありません」。ほかの3名からは今に至るも、返事がきておりません。ここの点については、なお調査対象者、及び調査対象範囲を広げてみたいと考えています。
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未利用資源アメマス 翔洋高生がカマボコ開発221212
 未利用資源アメマス 翔洋高生がカマボコ開発221212
 
 翔洋高は北海道厚岸翔洋高等学校のこと。旧北海道厚岸水産学校を前身にする後期中等教育機関。
 生徒2名が漁業で混獲するアメマスを「揚げかまぼこ」全4種を考案し、うち3種がアメマスであった、という。
 『北海道新聞』夕刊が3面で報じていた。
 
 アメマス。そう言えば、川釣り魚の対象となった時代があった。いまでもそうかもしれない。
 それが海で混獲しているわけだ。豊富な海洋性資源に恵まれた北海道では、淡水魚を食資源として依存する文化も習慣も希薄。
 山の奥ふかい地点の温泉ホテルでも、「お造り」には決まって、マグロが供される。

 「混獲」。それも知見ながら、生活のなかで食生活の対象となっていなかった、アメマス。
 それを「揚げカマボコ」で動物性たんぱく質の補完素材に活用するとは。話題になっておかしくない。むしろ、遅すぎたのかも。
 「タマネギ」「紅しょうが」など、「甘みを広がり食欲のアクセント」にある素材を加えて、「<味そ>による味付けも」。
 
 ほかに未利用資源の「ムロランギンボ Pholidapus dybowskii 北海道で刺し網などでとれる 魚種」にも「紅しょうが」を入れた試作品も作った。
 担当した二人は海洋資源化生産コースの平井秀太(3年)、箭内廉三(2年)の男子生徒二人。
 試作品は北海道水産クラブ研究発表会で優秀賞をうけた。

 試作者の談。
 「味が良くても食感が悪かったり、逆に塩分が薄い、甘みがないなど試作がたいへんだった」などと、紹介されている。
 『他移動新聞』(夕刊 3面)で報じられた、22年12月12日号。
 
 ちなみにアメマス(雨鱒、学名:Salvelinus leucomaenis leucomaenis)。
 本種はサケ科サケ亜科イワナ属の魚。
 ユーラシア大陸東端、日本での自然分布は日本海側(山形県以北)太平洋側(千葉県以北)。 イワナを亜種で分類するならば、基亜種となる。
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戦時沈没船整理、海難船遺体引き上げ、公共海底工事 「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」221212
 戦時沈没船整理、海難船遺体引き上げ、公共海底工事 「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」221212

 潜水病との出会いの日々。犠牲者や障害者を輩出してきた、厳しいプロセス。
 nhkBSプレミアム1987年の初回放送。
 ぐるっと海道3万キロ「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」 

 話は、戦後復興期に始まる。敗戦国、というより仕掛け人と国際的批判にあった戦時沈没船の整理。
 往時、我が国の海軍が戦況を拡大した過程で、撃沈されて沈没した艦船を整理する作業に、三陸・岩手の潜水士が動員されていた。

「コメがダメでも、海に潜ればカネになる」。三陸海岸で潜水士のマチの合言葉であったらしい。
 必ずしもコメ・稲作地帯とは言い難い東北で、農業を補完する業種として水産が選ばれても、決しておかしくはない。
 戦後復興期を経て、大量輸送の物流、ヒトの輸送で船舶は大型化した。

 1954年9月26日。洞爺丸台風で青函連絡船の遭難。
 遺体搬出に三陸の潜水士が要請された。「掻き出しても、掻き出しても土砂が船内に流れこんできた」。
 「あの悲惨な場面は、今も記憶に鮮明」。従事者は語りかける惨状であった。

 そこが一段落。日本経済の伸長期には公共工事があいつぎ施工された。
 海峡大橋の建設、港湾防波堤や接岸岸壁の基部。三陸の潜水士たちは、戦時沈没船の現場から東南アジアの海底土木公共工事へと、その需要を伸ばしていた。
 昭和26年。腕利きの潜水士が潜水病で病没。幼子と若い夫人を残して犠牲となった。

 ぐるっと海道3万キロ「三陸・海底仕事人 〜岩手県・種市町〜」 nhkBSプレミアム1987年の初回放送。

 (番組案内)
 大井磯美さんもその一人で、南部もぐりの三代目。世界中の海で潜水し、船の引き上げや海中での工事に活躍してきた。地元の種市高校には、全国でもただ水産土木科もつ高校。
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四季折々の自然が豊富、マチに音楽があふれている 京都の底力221212
 四季折々の自然が豊富、マチに音楽があふれている 京都の底力221212

 かく申されている。今朝、放送「駅のピアノ」。BS1の内容は京都の公共施設。
 そこに設置されているピアノ演奏の場面を紹介。
 「休日には(女性3人が集まって)アンサンブルを楽しんでいます」。

 鴨川の河畔、か。そこではバイオリン、ビオラなどを演奏する男性のグループも紹介された。
 芸をもつ人が仲間になり、それぞれが日頃鍛えているワザを組み合わせて一時を愉しむ。
 自信をもって、人前で自身のワザ、芸術性、クオリティー。それぞれの高さを世に知らしめる。

 「(京都の)マチに音楽があふれている」のは、そのワザ、芸術性、クオリティーの高さにあるではないか。
 自身を磨く、鍛える、時間と投資を重ねる。その到達点であるように、受け止める。
 「(京都は)四季折々の自然が豊富」。このことも、そのとおり、だ。

 ただ「(京都の)四季折々の自然が豊富」は、「千年の古都」にシンボライズされる、「蓄積」にある。
 北国の自然は、「自然そのもの」。
 というより、激しい経済利用の試練をうけて、偶然ともいえる「手つかず」に残る。

 京都の自然は、設計され、投資を重ね、維持再生の蓄積の結果、残されているもの。
 寺社・財閥・旧華族。あなた庭園を護るヒト、私は楽しむヒト。「ちょっと、入園料はヤボではないか」。
 確かにそぷかも。往時、どれだけの苦しみを、庶民は税と利益の収奪の上に、築造。築説を許したか。

 聴いて、思いを深める「(京都の)四季折々の自然が豊富、マチに音楽があふれている 京都の底力221212」。
 今、静かに、身辺に思いを巡らせることに。「今、自身は地球を守るためにどのような営為を」。
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XML 転識得智 <誤びょう>を質的に転換 『草枕』冒頭の一節から221210
​​ なにかと<誤謬 ごびょう>の多い第八識を転じて、本質を瞬時に、しかも真正に了知する智慧を獲得。
 そこを「転識得智 てんしきとくち」と定義するらしい。

 「能変する作用をもつ第八識に依存する状況からの脱却が求められる」と。
 転識得智 誤びょうを質的に改造して、自己と世界の本質を瞬時に、しかも真正に了知する智慧を獲得。
 そう説明している。

 漱石著『草枕』冒頭の後段は、「とかく人の世は住みにくい」で、受け止められる。
 「怨憎会苦 おんぞうえく」とは申すも、要は「<嫌な奴には良く会う>の苦しみ」。

 そこで「住みにくさが高じる」と「安い所(家賃の高低ではなく)=住み易い所へと引き越したくなる」。
 が、さりとて「どこへ行っても住みにくい」。
 そのように否応なく、気づかされることになる、と。

 第六識=意識の世界で、「住みにくい」とか「住み易いところがあるはず」と感じ、
 第七識=自己中心の世界で、「そこへ転居してみようや」と行動し、
 第八識=やっぱり、いずこも同じと判読するか。
 
 『草枕』は「いずこも同じ」と気が付いたところで、三点の方向に転換するのでは。
 1)詩が生まれる、2)画が出来る。
 注目するべきや3)「やはり向こう三軒両隣にちらちらするただの人」がいる現実(126p)。
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一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するに221210―後―
 一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するに221210―後―

 そうか、そういうことかと、考えてみることにした。
 「工業化を目ざす発展途上国」における「基幹産業」の属性を北海道東部の地方都市、とりわけ1955年前後に台頭した「工場誘致」で考えてみた。

  「15)輸入代替産業とか固有の保有資源の開発を中心」。
 この項目には、水産・鉱、林、原材料用農産物資源の潜在的配置と軌道交通による資源搬出の組み合わせは、「絶好の条件」を具備。
 「16)先進国からの資金援助・経済協力・資本導入」は、首都圏・関西圏の国内資本が「資源の潜在的配置と資源搬出の輸送体系」に照らして生産拠点対象に選び投資。
 「17)基幹産業の育成が政府の手厚い保護のもとに強行」。
一ドル=360円の固定相場制施行の時代に、受け入れ自治体は固定資産税免除、インフラ整備、用地の提供など<優遇策>で、投資を地域間競争をしながら受け入れた。
 「18)(輸出主導型の経済開発で)目覚ましい成長」。
 海外輸出に結合したサケ缶詰・タラバガニ缶詰製造の例があるも、多くは国内企業向け原材料初歩加工のレベルにとどまり、重化学工業化や組み立て加工型工業に発展しない。

 「基幹産業」の論。
 一皮深めてみるに、国内における「東南アジア諸国のように」とは言わないが、「東南アジア諸国」並みの植民地であるかのように見える。
 「内国植民地」の論は1970年前後に北海道史研究者の間でかわされた論。
 1980年前後から「(北海道は)本州経済の補完地」が、北海道庁内の経済研究チームによって指摘された点ではあるが。

 写真は2021年8月31日で抄紙部門を停機した日本製紙(株)釧路工場。
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一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー中ー221209
 一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー中ー221209

(承前)ところで国内では、「基幹産業」に該当する業種として。たとえば。
 11)鉄鋼など産業用原材料・建設用資材を生産する産業、
 12)石炭・電力・石油などのエネルギー産業、
 13)自動車・造船・工作機械などの機械工業、
 14)さらには化学肥料・化学繊維など他の産業を発展させるうえに欠くことのできない重化学工業

 そもそも「基幹産業」のキーワードは、日本経済の戦後復興に寄せた政策手段ではなかったか。専修大学商学部の殿村晋一教授は記載しているようだ。
 「本来的には、第二次世界大戦後の経済再建・産業復興の「基幹」をなす産業」とも書く。
 「政策的意図から重点的に資金や資源が配分」され、「保護育成された産業をさす」。

 以下、1950年代~90年代の10年ごとに、時々の「意図的に資源配分」「保護育成」された業種を挙げる。

 そこの説明は略すとして、以下を「工業化を目ざす発展途上国」を記載する。
 15)輸入代替産業とか固有の保有資源の開発を中心
16先進国からの資金援助・経済協力・資本導入などを通じ
 17)基幹産業の育成が政府の手厚い保護のもとに強行されているケース
 18)東南アジア諸国のように、多国籍企業の積極的招致による輸出主導型の経済開発によって目覚ましい成長を遂げているケース。

 確かに工業化はすすんだ、北海道東部の港湾都市。
 工場誘致条例を軸に諸業種の誘致にわいた時代は、15)~17)に示した類型の国内版であったことになるのでは。
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一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー前ー221208
一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー前ー221208

 地域の産業は「加算」の蓄積を重ねてきた。
 1)前浜の水産業。
 2)加えて農場。
 3)加えて森林伐採。
 4)加えて硫黄+石炭+民営鉄道
 5)加えて沖合に新魚種開業
 6)加えて洋紙製造の紙パルプ業。
 7)加えて海の汽船と陸の鉄道輸送の結節。
 8)加えて鉄道延伸と在来商業店舗の相次ぐ出店。
 9)加えて築説設港湾の建設
 10)水産・石炭・製紙に海陸輸送の結節点。

 上記の枠組みが出そろった時点で、大正9=1920年。
 漁船の動力化に、製紙も石炭も水力発電による動力電動化と官設&民営鉄道兼用による産業の近代化=量産化が画期(それまでと次元を異にする時代の節目)を経験した。

 掲載図は、昭和15=1940年国勢調査を基にした、「人口集中地区」の概念を図式したもの。
 1)を基盤に「赤〇印」=漁業・港湾と商業の地域が、4)をベースに「黒〇印」=石炭地点が、そして6)洋紙生産が新規工場を「茶〇印」に移転して、「紙のマチ」が分立。

 昭和27=1952年。漁業は北洋漁場へ発進するサケマス漁業船団の基地に発展。
 その後の段ボール原紙工場の誘致を実現し、水産・石炭・製紙の三業はピークに到達。
 1960年発行『釧路市総合調査』は、水産・石炭・製紙を本市の「基幹 きかん 産業」と銘打った。
一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー前ー221208

 地域の産業は「加算」の蓄積を重ねてきた。
 1)前浜の水産業。
 2)加えて農場。
 3)加えて森林伐採。
 4)加えて硫黄+石炭+民営鉄道
 5)加えて沖合に新魚種開業
 6)加えて洋紙製造の紙パルプ業。
 7)加えて海の汽船と陸の鉄道輸送の結節。
 8)加えて鉄道延伸と在来商業店舗の相次ぐ出店。
 9)加えて築説設港湾の建設
 10)水産・石炭・製紙に海陸輸送の結節点。

 上記の枠組みが出そろった時点で、大正9=1920年。
 漁船の動力化に、製紙も石炭も水力発電による動力電動化と官設&民営鉄道兼用による産業の近代化=量産化が画期(それまでと次元を異にする時代の節目)を経験した。

 掲載図は、昭和15=1940年国勢調査を基にした、「人口集中地区」の概念を図式したもの。
 1)を基盤に「赤〇印」=漁業・港湾と商業の地域が、4)をベースに「黒〇印」=石炭地点が、そして6)洋紙生産が新規工場を「茶〇印」に移転して、「紙のマチ」が分立。

 昭和27=1952年。漁業は北洋漁場へ発進するサケマス漁業船団の基地に発展。
 その後の段ボール原紙工場の誘致を実現し、水産・石炭・製紙の三業はピークに到達。
 1960年発行『釧路市総合調査』は、水産・石炭・製紙を本市の「基幹 きかん 産業」と銘打った。
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一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー前ー221208
一国の、基礎をなす&生産の消長の鍵(かぎ)握る、重要産業 「基幹産業」を定義するにー前ー221208

 地域の産業は「加算」の蓄積を重ねてきた。
 1)前浜の水産業。
 2)加えて農場。
 3)加えて森林伐採。
 4)加えて硫黄+石炭+民営鉄道
 5)加えて沖合に新魚種開業
 6)加えて洋紙製造の紙パルプ業。
 7)加えて海の汽船と陸の鉄道輸送の結節。
 8)加えて鉄道延伸と在来商業店舗の相次ぐ出店。
 9)加えて築説設港湾の建設
 10)水産・石炭・製紙に海陸輸送の結節点。

 上記の枠組みが出そろった時点で、大正9=1920年。
 漁船の動力化に、製紙も石炭も水力発電による動力電動化と官設&民営鉄道兼用による産業の近代化=量産化が画期(それまでと次元を異にする時代の節目)を経験した。

 掲載図は、昭和15=1940年国勢調査を基にした、「人口集中地区」の概念を図式したもの。
 1)を基盤に「赤〇印」=漁業・港湾と商業の地域が、4)をベースに「黒〇印」=石炭地点が、そして6)洋紙生産が新規工場を「茶〇印」に移転して、「紙のマチ」が分立。

 昭和27=1952年。漁業は北洋漁場へ発進するサケマス漁業船団の基地に発展。
 その後の段ボール原紙工場の誘致を実現し、水産・石炭・製紙の三業はピークに到達。
 1960年発行『釧路市総合調査』は、水産・石炭・製紙を本市の「基幹 きかん 産業」と銘打った。
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「智に働けば・・・・」。 前五識と第六意識 多川俊映著「唯識 心の深層」ー上ー
 「智に働けば・・・・」。 前五識と第六意識 多川俊映著「唯識 心の深層」ー上ー夏目漱石作『草枕』の冒頭部分であることはよく知られている。
 多川俊映著『唯識 心の深層をさぐる」には、この部分がしばしば、引用されているのだ。
 
 98ページには「住みにくい」まで引き、以下のように述べる。
 「(人間の)知は理屈(あるいは屁理屈)となっていよいよ角がたち、同時に好悪の感情は制御不能となって落ち着くところを知らない」
かく承けて「そうした無様仕儀もまた、他ならぬ私たちの第六意識の働きです」と、結ぶ。

 人間は世の人間模様を、目で確かめ、耳でウワサと聞き、さまざまな情報に接する、
 目、耳、鼻、舌、触感で得た情報=前五識はたちまち脳裏に達して「智に働けば角が立つ」「情に棹させば流される」「維持を通せば窮屈だ」。
 とどのツマリが「とかくに人の世は住みにくい」。と、以上のようになる、のだと。

 次ペーjでは「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない」以下が、紹介される。
 この部分については、「『ただの人』同士の社会に、人間の知・情・意つまりそれぞれの第6意識が硬軟さまざまに関与している。
 そのように受け止めている世界があるのだ。

 本章のむすびに、100ページに記載の次の点。
 「第六識は自己そのものといえるが、(だからといって)自己のすべてではないというのが、唯識仏教の人間観です」とする。
 では、その「自己のすべてではない」の先には、なにがあるのか。

 著者は申す。「前五識と第六意識は表面心」「第七末那識と第八阿頼耶識は深層心」(86p)としたあとに述べる。
 「第八阿頼耶識こそ『本識(根本の識体)で、第八識こそ自己そのもの」ということなのだ。
 そのうえで、ここの部分の極めつけ。それは「第八識は心の深層領域で、意識下の自覚の及ばぬ世界です」(100p)。
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 「1,2,3・・・9」の数字、ランダムに並べ 100分 de 名著125「中井久夫スペシャル」 <img
 「1,2,3・・・9」の数字、ランダムに並べ 100分 de 名著125「中井久夫スペシャル」

 「1,2,3、4,5,6,7,8,9」の数字をランダムに並べて見てください。
 そう医師に問われたら、患者はおもいつくままに「幾通りかの数字を並べてみせるでしょう」。
 「しかし、1,2,3、4,5,6,7,8,9としか、並べることのできない例があります」。
 統合失調症の急性期。「外界の変化に対応する自由度の高さ」として、そこに発症の経過を観察するのだそうだ。

 日本を代表する精神科医にして、の中井久夫(1934-2022)。
 「治療困難とされてきた統合失調症の解明」
 「阪神淡路大震災被災者のPTSDのケア」
 「人々の苦しみに徹底的に寄り添い続けた『こころの医師』」。
 などなど、枚挙に表されないらしき業績をもつ。

 世に「統合失調症の発症原因について」「統合失調症の完治原因」の研究は多い。
 しかし、「その治療経過と回復過程を対象とした研究は少ない、なぜか」。
 「発症例も、治療結果も<目には見えない>領域、しかし「症例経過と回復過程は<可視化>されている領域ではないか」。

 中井はめざす。「風景風景構成法」など治療効果をもつ検査法を構築し、
 「(統合失調症を)やわらかに治す」
 「(患者の)尊厳を尊重する」
 「キュア(治療)よりもケア(看護)を重視する」。

 「患者-医師間の関係を大きく改善」。
 かく評価される医師による、「最終講義」「分裂病と人類」「治療文化論」「戦争と平和 ある観察」「『昭和』を送る」等を読み解く講座。

「1,2,3・・・9」の数字、ランダムに並べ 100分 de 名著125「中井久夫スペシャル」

 「1,2,3、4,5,6,7,8,9」の数字をランダムに並べて見てください。
 そう医師に問われたら、患者はおもいつくままに「幾通りかの数字を並べてみせるでしょう」。
 「しかし、1,2,3、4,5,6,7,8,9としか、並べることのできない例があります」。
 統合失調症の急性期。「外界の変化に対応する自由度の高さ」として、そこに発症の経過を観察するのだそうだ。

 日本を代表する精神科医にして、の中井久夫(1934-2022)。
 「治療困難とされてきた統合失調症の解明」
 「阪神淡路大震災被災者のPTSDのケア」
 「人々の苦しみに徹底的に寄り添い続けた『こころの医師』」。
 などなど、枚挙に表されないらしき業績をもつ。

 世に「統合失調症の発症原因について」「統合失調症の完治原因」の研究は多い。
 しかし、「その治療経過と回復過程を対象とした研究は少ない、なぜか」。
 「発症例も、治療結果も<目には見えない>領域、しかし「症例経過と回復過程は<可視化>されている領域ではないか」。

 中井はめざす。「風景風景構成法」など治療効果をもつ検査法を構築し、
 「(統合失調症を)やわらかに治す」
 「(患者の)尊厳を尊重する」
 「キュア(治療)よりもケア(看護)を重視する」。

 「患者-医師間の関係を大きく改善」。
 かく評価される医師による、「最終講義」「分裂病と人類」「治療文化論」「戦争と平和 ある観察」「『昭和』を送る」等を読み解く講座。
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「地域で子どもを育て、まちを育てる“奇跡”の物語」 「子育て まち育て 石見銀山物語 〜夏編」
 石見銀山で知られる「島根県大田市大森町」

 移住家族の父子が亡き母の一周忌を前に、大森町に転居してきた。
 空き家を改修し居住準備もおおかた終わったころで、老婆が孫を伴い来訪する。
 「柿渋はネ~~、床にヨゴレが付かなくなるし、防虫の役目もはたすのよ」。

 真新しい床板に、柿渋の液を塗布する作業。
 お婆ちゃんのお節介に、孫が動員された形ながら、この柿渋塗りが次世代を含めた立派な環境教育。
 「貴重な夏休み、高校受験に支障が・・・」などなど。孫の母親=娘は<野暮>なこと、申さず候。

 「孫同伴で出現した柿渋塗り」。
 そこには<地域ぐるみ>で次世代を教育する配慮が、豊富に提案されている。
 「次世代を教育する配慮」、実はそれが、今に始まったことではない。そう紹介している。

 その裏付けとなるのが、夏恒例行事の<キャンプ>。
 すでに永年にわたり受け継がれてきた<宿泊行事>ながら、コロナ禍の2021年は<一日催事>。
 「キャンプの気分を満喫させたい」。その思いか大人が集まり。家族ごとにテントの設営。参加者は、テント内でカレーライスを楽しむ。

 都市から移住の家族を対象に魚釣り大会。
 初めて経験する女の子も、釣り上げた魚をこわごわ、針から外す。
 そのあとはご褒美=料理店で釣った魚を調理した、新鮮な魚料理。実に、魅力的。

 「町は活気にあふれている」。
 「地域で子どもを育て、まちを育てる“奇跡”の物語」 「子育て まち育て 石見銀山物語 〜夏編」
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人類の<おごり 思い上がり>形に タンチョウにインフル、サケ漁獲減に赤潮
 市内配布紙の一面。そこに二日続けて「自然界の深刻」をうかがわせる見出しが躍った(写真))。
 そうではないだろうか。11月30日「給餌場や靴底消毒徹底 タンチョウ高病原性確認」 12月1日「秋サケ定置網 漁獲減 昨年の赤潮回遊に影響」。

 その本文は、紙面を直接読んでもらうのが、ここはセオリー。
 しかし「秋サケ漁獲減」の要因に、「昨年の赤潮回遊に影響」は。見逃せない。
 「木を伐りすぎて、川が濁り、水量が少なくなって、貧栄養に」は、地域の努力でなんとかなる。

 「なんとかなる」 ではなく、過去の歴史は「魚つき林」を造成して、資源回復に努めてきた。
 1988年には「お魚を育てる森」運動を北海道中で取り組み、資源の涵養 かんよう に」取り組んできた。
 20世紀は「魚つき林」。、21世紀は「お魚を育てる森」ながら、そこには「地域の努力、資源を護り、育てる」の<可能性>があった。

 だが、「昨年の赤潮」は違う。
 その発生源は「北方領土」とも、カムチャツカ半島沖とも申すではなかったか。
 2021年はウニの繁殖に。深刻な影響をもたらした。稚苗を移植するも3-4年は漁獲困難では、と。

 赤潮発生は要対処区域が<地域段階>から、<地球規模>に拡大。
 極点付近の氷河が解氷し、氷河で閉じ込められていたプランクトンが、活動を開始。
 それ<プランクトンが活動開始>は<いささか乱暴>な論であっても、 産業革命に炭を発する科学にくわえて技術の発展。

 「科学と技術」が地球上の人類を大きく抱えることが出来るようになったとしても、だ。
 故に産み出した「人類のおごり・思い上がり」。
 今、人類の<おごり 思い上がり>形に タンチョウにインフル、サケ漁獲減に赤潮。

 そういうことでは、ないだろうか。
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優等生・酪農大型化経営の危機 政策誘導の一到達点、北海道の今221201-後-
 優等生・酪農大型化経営の危機 政策誘導の一到達点、北海道の今221201-後-

 優等生。北海道酪農をかく評するベース。
 その第一は、国際化時代の対応をめざし政策誘導してめざした乳牛多頭化飼育の到達点。
 次に第二は、化学肥料で育てる飼料、輸入飼料の給餌で賄う量産確保、均質生乳の生産、
 結ぶ第三は、北海道産生乳を<加工乳>と区分し、本州産<飲用乳>よりも低価格で大量確保。

 国産飼料は高価。ヒトの食糧も経済動物の飼料も海外依存。
 化学肥料で粗放栽培の量産海外産飼料に<旨み>は担保されているや。
 自動車を購入してもらう販路が重要で、海外農産物供給に大きく依存、カロリーベースの<食糧受給率>は大きく、低迷している。

 コロナ禍。本邦が受け入れる海外技術研修生の入国が制限され、たちまち農業労働力の不足が指摘された。
 ロシアのウクライナ侵攻。食糧供給がストップし、石油価格や輸入肥料価格がたちまち高騰した。

 さきに記載。「量産確保、均質生乳」。
 それって、誰のための、なんのための生乳生産。メーカーのための乳製品加工のための生産。そういうことではなかったのか。
 家畜もヒトもそれぞれに個性がある。それぞれの経営が個性を発揮することが、どうなのか。

 一農家が<旨み>に思い入れ、<脂肪含有量>が高く、高付加価値の生乳生産を達成したとして。
 メーカーは、そうした<個性的生乳>を<期待していない>というよりも、均質製品の量産確保。そこにネライがあった。

 以上に応えるべく「多頭量産」で生き延びた経営。
 そのバックヤードを支える飼料・肥料の高騰。供給乳量増と肉牛価格低迷。
 生き延びてきた「優等生・酪農大型化経営」に、危機を産み出している、のでは。
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酪農大型化経営の優等生に危機 政策誘導の一到達点、北海道の今221201-前-
  酪農大型化経営の優等生に危機 政策誘導の一到達点、北海道の今221201-前-

 北海道内配布紙は、朝刊一面で伝えてる。「酪農三重苦 飼料高騰・牛価格急落・減産」。
 内容は申すまでもないことであろう。事例は搾乳牛250頭、搾乳日量7トンの十勝国酪農家。
 生後2ヶ月の牛価格は、(根室管内家畜市場で)6月に一頭当たり平均9万3432円であったが、10月には1頭=6705円、11月以降はようやく1万円台に持ち越した、と。

 事例に示されている十勝国の酪農家は、搾乳日量の40数パーセントをバイオガスプラントに回すことを約半年間続ける決断をした。
 1985年当時なら、小流河川に登記していた<廃棄>という形、そのものだ。
 これが「減産」の二字でくくられる現実の一部なのだ。


 「組合勘定=組勘 くみかん」という用語があるらしい。農協からうけている融資の精算行為。それが年末12月に必要な手立てなのだ。
 着業から時間を要して、収穫・売買・換金にいたる農業の特性で、経営と生活の「つなぎ資金」が不可欠とされている。

 飼料高騰は経営計画以上の<支出増>を結果する。
 減産も牛価格急落も<収入源>を意味する。
 結果、今。「「組合勘定=組勘 くみかん」を凌ぐため、日本政策金融公庫など協同組合外のセーフティネット資金に駆け込むことに、なる。紙面はかく伝える。
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信仰の場、修行のつもりで 秋田¥大平山三吉神社221130
 信仰の場、修行のつもりで 秋田¥大平山三吉神社221130

 秋田市のシンボルとして親しまれる太平山。
 1170メートルの山頂には、太平山三吉神社奥宮があるのだそうで。
 そこに、祠が奉置され、「信仰の道」と位置づけられているようだ。

 御滝神社→
 御手洗 みたらし 神社→
 神仙山神社→
 木曽吉山神社→
 霊神→
 奥宮(総本宮)

 奥宮境内・
 そこにはまた掲載図の神々が鎮座される。
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