檜原村
200ー300年見越した山林管理 檜原村・田中家「もういちど、日本」210729

 

檜原村、山林管理の地域で知られる。檜原村は「村域の大半を関東山地が占める」と書かれる、山林の村。

 「江戸時代の創業、 200ー300年先を見越した山林管理」。田中家13&14代目が紹介された。



 番組で「200ー300年先を見越した山林管理」のコメントを聴いて、「東洋の伝統なんだ」と納得する点があった。

 2018年のころとだが、屈斜路コタンで耳にした。語るは水産資源の研究機関で研究職にあった方のお話。



 「木を植えているかー。和人はセッカチだからなー」。コタンのエカシはそう切り込んだのだそうだ。

 「木を植えてから、50年、60年では魚が育つ森にはならん」「(植樹後)やはり200年や300年たたないとなー」。



 研究職の方がエカシ=長老の営む宿に泊まったときのコト。「お前さんは、なにをやってるんだ?」。

 「(研究職)魚の仕事だ」「(エカシ)そうか、魚を捕るほうか」「(研究職)いや、育てる方だばー」「(エカシ)そうか」。

 続いて申したそうで。続いて「(和人は)セッカチだからなー」の話。



 檜原村で山林経営の田中家。

 江戸で大火の折には、莫大な材木が出荷された、と。で、13代目までの方針。

 「200ー300年先を見越した山林管理」。樹齢200ー300年の大木が、そのまま売れた。



 14代目の今。

 「実は薪がよく売れましてネー」。番組では30センチほどの長さの間伐材を、これまた機械で4ツ割、6ツ割。

 料理店からの引き合いがあるそうで、胸高10ー15センチの材が出荷されていた。

 往時なら民家で、手動のノコギリ、振り下ろすマサカリでわって、乾燥させた日課であったのに、サマがわり。

 

 「和人のセッカチ」は、西洋文明に接したのちの変貌。たとえ弥生人の末裔たりとも、山林管理は200年ー300年の経営哲学。

(田中家の起業理念)

 弊社創業家の田中家は、江戸時代の初期より当地にあり、現当主で14代目を数える旧家です。

 炭焼きと養蚕を生業とし、時代が進むにつれ事業を拡大し、山林を増やしてきました。

 明治時代以降に本格的に植林が開始されたと考えられ、 針葉樹人工林に関して、現在確認している最高樹齢は約160年となります。

 過去に薪炭が中心の経営を行っていた名残から、広葉樹と針葉樹の比率が ほぼ50:50です。

 過去20年以上にわたり一般の人々を受け入れ、交流してきました。

 その中で数々のヒントを得、それを経営の中に取り入れてきました。

 今後、さらに具現化することに努め、あくまで森林管理ということがベースにある 「総合的森林業」ともいうべき、業態を目指して行っていきます。