東日本ファエリー大函航路 下北紀行01
 函館~大間間、
 1時間40分ほど.北海道の<海の表玄関>から、<本州最北端>の港へのフェリー旅.1970年9月13日、函館港を出港.

 当時.津軽海峡でフェリーを運航している会社は、「東日本フェリー 1964-2008年」という会社.青森県大間港と北海道函館港の間を、そのころ日に5往復の輸送実績があったと記憶しています.



 漁村漁業
 その研究をしていた先輩が、旅行をすすめてくれて.
「青森へは多くが青函連絡船でゆく」「青函連絡船で津軽海峡をわたると下北は単なる<島>だ」「しかし北海道の江戸時代にとっては、実に重要な地域であった」.

 船には<土産モノ>と判る荷物持参の、青年の姿も.
あとで判ったことながら、青森県下北半島では、9月15日が御祭神の八幡信仰の<お祭り>が各地で営まれる季節.
<土産モノ>と判る荷物持参の若者は、そこにむけての帰省客らしかったのです.

函館と大間のむすびつき.
 若者の就職先.また専門領域の医療では、眼科や脳神経領域の専門医療.これらは地域の診療施設ではカバーできすに、フェリーで函館に通院.そういう位置にありました.
 函館市がもっている大都市型のサービス機能.それは下北半島の津軽海峡に面した地域のヒトにとっては、県庁所在地の青森市よりも、海峡をこえた函館市に対する依存度が高かった.そういうことです.