尾幌分水 明治40年開削


尾幌分水 明治40年開削.
 厚岸郡と釧路郡の郡界に流れを発する尾幌川は、尾幌原野にはいり泥炭地を北上することになる.

 その沖積地に開拓の鍬が記されたのは、明治32年のこと.厚岸湾の海岸線が凹み地となっていた、<敏内・便内=ピン・ナイ」に乗船を着け、上陸した.



胆振国鵡川=いぶりこく・むかわ住民
 一行は鵡川で洪水に見舞われ、移転を決意した越中・越後を<母村>とする開拓者.
 ただ、待っていた地は泥炭地にして、ここでも洪水に見舞われた.



分水掘削 泥炭地乾燥化
 洪水防止、畑作農場の維持.明治41年、厚岸湾に小ニシン=こにしん 給餌で接近の鰊が来遊する.
 その時期、<洪水防止の分水>が、開削される.

 環境への影響.それは、あった.ないはずが、ない.