農学の伝統と可能性
 農学の伝統と可能性.突然、柄でもないが、思いついた.話題のとして、成立しそう.

 農学には「客体目線」というか、菜箸植物主体の学問姿勢がありあそう.
 「有機関連」というか、土壌・成分・気象・積算温度・日照時間.周囲との連関が、考察の前提に成立しそう.
 「結果重視」.あれこれ想定し、投入し、実験し、理論を検討しても、結果が出ないことには、意味をもたない.

 学問は人類の都合.
 それを肯定するためにあるような気もする.理学・工学・法学などなど.人類が枠組みをつくり、「こうなるはず」「ここが問題」と、議論しても一部は解決、しかし課題は先送りということも生じる.

 他方で、客体目線.
 ひとつは、吉本哲朗氏が水俣で展開した、『地元学をはじめよう』.
 もうひとつは、安渓遊地 安渓貴子著『大学生とマチに出よう―地域共生授業をつくる』・
 自然観察の方法は、「キャンパスから出る」が方法論としても有効のように見受けた。「その草になってみて」「その草の気持ちがわかるかな」の観察方法を提示.(130429).

 若者.
 なかなか結果が出せない.出せなくても頓着がない.
 「一生懸命、やったのに」「悪いのは相手」.

 サラリーマン社会.
 「これだけやっている」「ほかに、方法があるか?」.
 農業にしろ、小売りにしろ、経営主なら結果が出ないことを、放置できるか.

 変化の背景に、学問の方向に「主体目線」「客体目線」のアプローチが、横たわっているように思えるのだ、が.
 出せなくても平気で、「相手が悪い」.