2015 06/07 07:03
Category : 書評
思考で見えず、行で得心 玄侑宗久談「『なりゆき』をいきる」.
「なりゆき」は「(はからいを超えて)おのずから」と.いうことか.
「たまたま起こることの中にもたいせつなことがたくさんあり」(87p)と、示す.
「臘八大接心=ろうはちだいぜっしん」.
禅門で師走8日にむけ7泊8日で行われる「一日およそ二十時間半、座禅を続けるんです」(117p).
猛烈な睡魔、幻覚や幻聴がピーク、向かい側に坐る仲間の体のまわりに「緑色のオーロラが見えたり」、「紫色の雲の上に誰かが乗ってやってきた」とも(同).
意識の底の底にある深い無意識の「阿頼耶識=あらやしき」あたりに「しまいこまれているものが出てきているのかも」の、体感.
そこのところを結ぶに、以下を述べる.
「見たり聞いたりしていることは、いかに『私』が選んでいるのかということが、そのときの体験で分かったような気がしました」.
思考と言葉の世界.「行」で得心とは.
そこで見えない「やってみないとわからないじゃないか」の領域を、「学ぶんですね」という(118p).
思考と言葉ではおもいつかない納得の世界.そこが、<死ぬか死なぬかの行>(118p)の先にはある.
禅門の修行を、そう体得しているように読む、が.
(『NHK知るを楽しむ 人生の生き方』 日本放送出版協会 2007年10月).
「なりゆき」は「(はからいを超えて)おのずから」と.いうことか.
「たまたま起こることの中にもたいせつなことがたくさんあり」(87p)と、示す.
「臘八大接心=ろうはちだいぜっしん」.
禅門で師走8日にむけ7泊8日で行われる「一日およそ二十時間半、座禅を続けるんです」(117p).
猛烈な睡魔、幻覚や幻聴がピーク、向かい側に坐る仲間の体のまわりに「緑色のオーロラが見えたり」、「紫色の雲の上に誰かが乗ってやってきた」とも(同).
意識の底の底にある深い無意識の「阿頼耶識=あらやしき」あたりに「しまいこまれているものが出てきているのかも」の、体感.
そこのところを結ぶに、以下を述べる.
「見たり聞いたりしていることは、いかに『私』が選んでいるのかということが、そのときの体験で分かったような気がしました」.
思考と言葉の世界.「行」で得心とは.
そこで見えない「やってみないとわからないじゃないか」の領域を、「学ぶんですね」という(118p).
思考と言葉ではおもいつかない納得の世界.そこが、<死ぬか死なぬかの行>(118p)の先にはある.
禅門の修行を、そう体得しているように読む、が.
(『NHK知るを楽しむ 人生の生き方』 日本放送出版協会 2007年10月).