2015 03/29 07:22
Category : 旅紀行
石山寺 近江・大津 芭蕉句碑「曙はまだむらさきにほととぎす」が、あるそうで.
1966年2月.この地を訪ねたいと考えました.予備知識もなく、紫式部が『源氏物語』を起稿したとの伝承のあることも、知らず.
耳にしていた、石山本願寺と思い違いをしていた、ようです.
つかり、石山本願寺も現在の大阪城の位置にあったことも、知らずにいたことに、なります.
今朝、「和歌文学の世界('14)」をみていて、石山寺が芭蕉、藤村にもゆかりの地と、知らされました.
芭蕉句碑「曙はまだむらさきにほととぎす」の「曙」に清少納言、「むらさき」に紫式部を想起したて織り込んだ、名句.
ほかに密蔵院、石山寺の由緒となる「石山寺鏃」の石の塊、も.
1966年.訪問しなかった理由は、京都と大津の道のりを、実際以上に遠国と意識していたから.
松山で友人とわかれ、朝、京都東山の大谷本病.正午過ぎ、新幹線で東京へ.それより、しばしば念頭におくも、足跡、置かず.
1966年2月.この地を訪ねたいと考えました.予備知識もなく、紫式部が『源氏物語』を起稿したとの伝承のあることも、知らず.
耳にしていた、石山本願寺と思い違いをしていた、ようです.
つかり、石山本願寺も現在の大阪城の位置にあったことも、知らずにいたことに、なります.
今朝、「和歌文学の世界('14)」をみていて、石山寺が芭蕉、藤村にもゆかりの地と、知らされました.
芭蕉句碑「曙はまだむらさきにほととぎす」の「曙」に清少納言、「むらさき」に紫式部を想起したて織り込んだ、名句.
ほかに密蔵院、石山寺の由緒となる「石山寺鏃」の石の塊、も.
1966年.訪問しなかった理由は、京都と大津の道のりを、実際以上に遠国と意識していたから.
松山で友人とわかれ、朝、京都東山の大谷本病.正午過ぎ、新幹線で東京へ.それより、しばしば念頭におくも、足跡、置かず.