佐藤 信著『木簡から読み解く平城京』
記録によると、12月26日に読み始めて、読みおわったのは1月10日。2週間以上、抱えて歩いていたことになる。

 冒頭に平城宮跡で木簡が発見されたのは。1961年のことと、ある。それより、実に35万点(7p)の木簡が発見されたそうで、筆者はその資料特質を3点にわけて掲げる。(1)同時代史料、(2)日常的な史料、(3)地方の史料が多い(10p)。

 木簡は、文書、付け札、習書・落書に分類(8p)され、紙と併用されたとする。印鑑をついての公式文書は紙、メモに類する簡便な記載は木簡と使い分けられた。

 木簡の整理と解釈をつうじて、大化改新の詔が、後日の編纂物であることをあきらかにした「郡評論争」や、長屋王邸宅での消費物資の内容など、文書史料には記載されていない詳細な部分の記録源となってると、読み解いている。

 官庁の具体的な動きがきめこまかく触れられ、情報が豊富であって読んで楽しい。
 奈良の人口が約10万人、官人が1万で、上級官僚は100人というのも、現在に通じて関心が寄せられる。(日本放送出版協会 2010年)