2025年01月の記事


公電無視、東京空襲節目 追われない戦争、終わらせられなかった政治・官僚 2月7日「北方領土の日」を前に250128
 公電無視、大都市空襲が節目 軍は国民守れず 追われない戦争、終わらせられなかった政治・官僚 2月7日「北方領土の日」を前に250128

25年1月28日、根釧両国をを中心に配布の『釧路新聞』一面。
 そこに、「返還への思い全国で共有¥」「根室管内住民大会 来月7日、北方領土の日」と見出し。
 毎年、2月7日は「北方領土の日」なのだ。

 「北方領土」。この名称も地域概念も、戦後、主唱されることになった。
 8月27日、ソ連軍が択捉島に上陸、9月1日=国後島、色丹島、9月3日=歯舞群島にまでおよび、9月5日までにことごとく占領
 冬眠の多くは当時の根室町界わいに引き上げた。

 8月14日、日本はポツダム宣言受託。
 この日を過ぎて後の択捉ほか二島、一島嶼群への侵攻は「違法」。
 本邦の主張点で、「北方領土返還要求運動」の根拠となっている。

 整理をするに、数次の段階を経て1945年2月にヤルタで連合国首脳会談がもたれていおる。連合国はソ連に参戦を求めた。それをうけて。
 1)ソ日中立条約の破棄、2)ドイツ降伏後、3か月のち日本参戦、3)ソ連が連合国に求めた参戦後の領土問題(但し、「北海道を白糠~」留萌以北でソ連領に」はUSAが阻止)。

 駐在大使はこの情報。本国政府に当然、届けた。
 3月10日、東京大空襲。5月沖縄戦。戦争続行の主張と軍が国民を、本土を<守った>ではない。
 この局面。実は節目。5月ドイツ降伏。8月8日のソ日中立同盟破棄が決まる。
 ソ連外相は中ソ大使に条約破棄と参戦を伝達。その公電、こんどは本国政府に伝わらず。

 9日=ソ連と満州の国境、モンゴル、ウラジオストク、ハバロフスクの3方面から総攻撃開始(「シベリヤ抑留」)。
 11日=樺太で北緯50度の国境を越えて侵入(「郵便局の女性電話交換手9人が自ら命を絶つ」)
 
 広島に原爆。それでも戦争は終えられなかった。天皇の裁断。
 軍も、政治も、官僚も、戦争を終えることが出来なかった。そういうことではないか。
 ちなみに「北方領土の日」。
 2月7日が選ばれたのは「1855年のこの日に、日魯通好条約が調印されたことにちなみ」。
 趣旨は「北方領土返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るために設定」。
 設定の年月。「昭和56年(1981年)1月6日の閣議了解」(いずれも内閣府HP)
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本科=2年、専攻科=2年、研究科=10年 高齢者講座「学びのシステム」250126
 本科=2年、専攻科=2年、研究科=10年 高齢者講座「学びのシステム」250126

1)教養 受講申請書に記載の学習過程、社会生活、関心・目的意識を評価し単位認定。
 2)本科 修業年限2年以内 受講者数は概ね50名。
  8割以上受講で「市民カレッジ学士(シニア学 開設講座名)」の称号認証、並びに称号記を発行予定。
 3)専攻科 修業年限2年以内  受講者数は専攻科及び研究科あわせて30名から50名。
  8割以上受講で「市民カレッジ修士(シニア学 開設講座名)」の称号認証、並びに称号記を発行予定。
 4)研究科 修業年限 定めはないが概ね10年をメド=2025年3月予定。
   12~16年受講者27名に「市民カレッジ修士(シニア学 開設講座名)」の称号認証、並びに称号記を発行予定。

 紹介講座は2005年4月、当時の市教委教育長の仲介で純民営の講座として創設。
 前身は1981年10月北海道庁が開設した北海道老人大学釧路校。
 その修了者が釧路老人大学院を民営で開設(1987年)していたが、その包括組織として編成され、2025年3月で20周年を迎えた。

 2023年4月、在籍者が130名超となった。開講会場及び貸し切りバス借り上げのキャパシティで課題が生じるに至った。
 今回は3期=16年在籍、4期=14年 同、5期=12年、6期=10年に修了していただだくことになった。
 称号認定及ぶ称号記発行は「北海道民カレッジの称号及び称号記」(北海道生涯学習者境界)に準拠。

 因みに、北海道民カレッジでは称号交付者の一覧をネットで公開している。
  https://manabi.pref.hokkaido.jp/college/learn/qqn7eu0000000166.html
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“個別自主参加型図書館型生涯学習”の創造へ 高齢者講座の学習形態250126
 “個別自主参加型図書館型生涯学習”の創造へ 高齢者講座の学習形態250126

前回の「高齢者講座の学習意味&学習意義」に続いては、第二弾。
 ここでは「高齢者講座の学習形態」の基本型Ⅰ~Ⅲを項目のみ紹介。
 このマチの純民営、公共が支援の高齢者講座。2年課程が11期目を迎える局面でポスト事業。

 基本型Ⅰ=公共ほか出前講座で編成の“団体動員公民館型生涯学習”
 基本形Ⅱ=受講者の自主運営組織による“個別自主参加図書館型生涯学習”
 基本型Ⅲ=教育者と学習者が時に入れ替わる“非定型(一定の形にはまらない)教育”の積極的導入。

 以上、三基本型が開創20周年で端緒期にある、要求型脱し付加価値創造に導く貴重な営為。
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「称号」認証と「称号記」発行 高齢者講座の価値と評価のために
  「称号」認証と「称号記」発行 高齢者講座の価値と評価のために

 関係している「釧路湿原シニア大学」で、この二年、検討してきた点。
 16年から12年で300時間以上受講された登録者に、その努力を讃え、「学びの価、値を地域社会に理解を」。そう、考えている。
 何を学ぶか。現状は「地域再発見」と「地域貢献」。結果、他者を孤独の中に置き去りにせず、自身をして孤独の中に置き去りにしない。

 学びの体系を以下にするか。「老年学=(英) gerontology」は、1903年にロシアの学者メチニコフが創作した用語だ、そうだ。
 gerontologyのギリシャ語にあり、「gerontはギリシャ語で老人を意味」「学の意味であるologyが合成された」もの。桜美林大学のHPの解説。

 マチなか「老年学」「老人」は抵抗があろう。
 準公営の「北海道老人大学釧路校」を、純民営の「釧路湿原シニア大学」と開設者も呼称も変更された。そうした経過もある。
 和製語ながら「シニア学」。そう地域呼称しておくことに。

 何を学ぶか。主軸は釧路市が示す「出前講座」から抽出している。
 結果、次の3項目+1で、展開している。そう申して良いであろう。
 1)加齢変化の科学の研究エキス=人間の加齢変化を身体的、心理的、社会的な側面から捉え、
 2)中高年の抱える問題の研究エキス=中高年の集団に内在している問題を探り出しその解決の手立てを確立。
 3)人文学(humanities)の立場からの研究エキス=(1)(2)でカバーできぬ分野(哲学、歴史、文学、宗教学など)
 4) 1)~3)の話題を成人や高齢者の知識に応用する内容

 次に、掲載図で桜美林大学院修士課程のカリキュラムを示しておく。
  https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/sedaikan/rounegaku.html
 学際的な老年学の修士課程は桜美林大学の1つしかない。そう、公表している。
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「神戸って地震がなくていいよね」と思い込み 「天国へいったノンちゃん」250112
「神戸って地震がなくていいよね」と思い込み 「天国へいったノンちゃん」250112

 とっさに同じ布団に寝ていた下の娘をかばうと、「ぎゃ」と、希の声がしました。

 「希 のぞみ」「希」と呼びましたが返事がありません。

 「お父さん、おとうさん、希が、希の上に何か落ちた」。
 主人の上にもなにか落ちてきたようで、立ち上がろうとすると、頭がつかえ、まっすぐ立てる状態ではなかったようです。

 私は動けず、どうにか自由になり手を伸ばして希を探りだしました。
  (略)
 電気が通じていないため、何時間も手で人工呼吸を続けて下さった看護婦さんが、
 「希ちゃん頑張りよ」と言って下さった言葉がどれほど嬉しかったか。
 みなさん、本当にありがとうございました。
 (小西眞希子筆「天国へ行ったのんちゃん」 
            阪神大震災を記録しつづける会編『30年目の手記』 2021年)

30年前、神戸の人たちは「神戸って地震がなくていいよね」と思い込んでいた事。
もしその時地震が来るかもしれないという気持ちを持っていたら失わなくていい命がたくさんあったと思う事。
地震がきたらどうしたらいいのか? 
自分の命を守る為に何をしたらいいのか? 
そして津波が来るとわかったら迷わず逃げる勇気を持ってほしい事を伝えています。
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人材育成・尊厳尊重・可処分所得削減 世界時価総額ランキングで差を産んだ日本経済
 人材育成・尊厳尊重・可処分所得削減 世界時価総額ランキングで差を産んだ日本経済

 「所得倍増」。それって、一次産業から二次産業に労働力移転、向都離村をすすめたが、結果として<国内市場の育成>ではなっかった、か。、
 「所得倍増」政策は1960年、池田勇人内閣が掲げた、政治スローガン。二次産業の拡幅、団地住宅の出現、テレビ・洗濯機・掃除機の生活電化。
 電化生活、暮らしの欧風化、都市発展。明治・大正型生活様式の大転換であったが、それを可能にする勤労生活者の賃金、電化生活採用の資力、高等教育機関への進学。

 技術力を向上させ、人材を育成し、国際社会への参入。いずれも可能であった。
 2019年7月17日、「平成最後の時価総額ランキング 日本と世界...その差を生んだ30年」が発表されていた。
 1989年の「世界時価総額ランキング」。上位30位以内に日本企業は21。実に7割を占める。一位はNTT、2位は日本興業銀行、3位は住友銀行。

 30年後。日本企業はベスト50以内に 第46位トヨタ自動車が占めるにすぎない。
 「30年で<差>がついた」。指摘の要因なのだが、気になる点はそもそも1989年檀家でもあった。
 そこは筆者の愚見ながら。1)21社中銀行&証券ら金融機関が11社で半数を占め、発電と首位NTTの通信が3社で合計14社と3分の二だ。

 製鉄・電気機器に自動車は7社で残り3分の一。それしかないモノ造り産業はしかも、省エネや省資源、脱炭素の取り組みに欧米はもとより<新興工業国よりも後れ>をとった。
 かくて「日本経済の地番鎮火」がしてきされているではないか。
 答えは実に、読みづらい。

 経済は「着想力」「開発力」「問題を創るビジネス」を不足させたのではないか。
 政治は「人への投資をないがししろに」「規制緩和をもすすめたがそれが人間の尊厳すら奪い」「国内市場を育てる事、<可処分所得>増進をなおざりに」。
 では、なかったか。「問題に答える卒業生増える」も「問題を創れる卒業生が少なくなった」かと。
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入力量>出力量=ポイントは「聴く」 中世教団の思想脈絡250119
 入力量>出力量=ポイントは「聴く」 中世教団の思想脈絡250119

 一句。「若有聞法者 無一不成仏」と画像がめぐった」。
 没後90年で放送された6回シリーズ「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる」の第4話。
 「宮沢賢治 最愛の妹トシとの死別 詩に込めた賢治の思い」の一場面は。

 漢訳で「若有聞法者 無一不成仏」は、「もし法(法華経)を聞いた者は、一人として成仏しない者はいない」。
 『法華経』の「方便品第二」に示される、と。日蓮師が『妙一尼御前御消息』。
 「妙一尼御前」なる女性に届けた消息=手紙に引用されている。

 付して、次の比喩。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを」、と。
 専唱題目。ひたすら「南無妙法蓮華経」と経題を唱するは「行(ぎょう)」。その前提に「聴=自ずと耳に入る」と「聞=意をそそいで耳に入る」の<たしなみ=日常>が。

 「聴いて、すぐに忘れる」「いくら聴いても、抜けてゆく」。
 戦国時代を前に「<底のない器>は、常時、水につけておかねば」。
 現代は「通り込む情報の量をうわまわる、情報の出力はあり得ない」。そう、受け止めるか。
 入力量>出力量=ポイントは「聴く」 中世教団の思想脈絡250119

 一句。「若有聞法者 無一不成仏」と画像がめぐった」。
 没後90年で放送された6回シリーズ「宮沢賢治 久遠の宇宙に生きる」の第4話。
 「宮沢賢治 最愛の妹トシとの死別 詩に込めた賢治の思い」の一場面は。

 漢訳で「若有聞法者 無一不成仏」は、「もし法(法華経)を聞いた者は、一人として成仏しない者はいない」。
 『法華経』の「方便品第二」に示される、と。日蓮師が『妙一尼御前御消息』。
 「妙一尼御前」なる女性に届けた消息=手紙に引用されている。

 付して、次の比喩。
 「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを」、と。
 専唱題目。ひたすら「南無妙法蓮華経」と経題を唱するは「行(ぎょう)」。その前提に「聴=自ずと耳に入る」と「聞=意をそそいで耳に入る」の<たしなみ=日常>が。

 「聴いて、すぐに忘れる」「いくら聴いても、抜けてゆく」。
 戦国時代を前に「<底のない器>は、常時、水につけておかねば」。
 現代は「通り込む情報の量をうわまわる、情報の出力はあり得ない」。そう、受け止めるか。
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北海道22万0437円=20位 都道府県「子どもの教育費」ランキング
北海道22万0437円=20位 都道府県「子どもの教育費」ランキング

 北海道の子ども一人あたり教育費の出費。それは22万0437円で、全国=20位であった(掲載写真)。
 THE GOLD ONLINE発表の「日本の「負け」が決まった決定的タイミング…平成の30年のあいだに、世界で戦えない国になった理由」のネット上での記載。
  https://news.yahoo.co.jp/articles/0b53a1e4d4ab0da2d84cc004f800ee9a81db2c7e
 いろいろな説明があるなかで、一表を宛てて「都道府県『子どもの教育費』ランキング」。

 一位は神奈川県=564,302円という数字で、50万円の大台。
 ある意味、ダントツというか、二位は埼玉(45万9618円)、3位東京都(44万7338円)が三強。
 4位に岐阜県が入って、35万6072円。最下位は宮城県11万2722円。

 下位には東北・中国・四国地方の所属県が連なるようにうかがえる。
 意外にも上位=北海道。そうした思いをいだきつつ、1955年以降に集団就職列車。
 東北から首都圏、関西圏に送り出された<金の卵>世代の中学校卒業者一斉就職上京&上洛の記憶を重ねた。

 「北海道は公共&民間投資で潤ってきた」。筆者の思い抱く感想。これからが<見もの>。注視あれ。
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不足は話題か ストリート=北海道&欧米 「ヨーロッパ絶景の道 イタリアからヨーロッパ」250118
 不足は話題か ストリート=北海道&欧米 「ヨーロッパ絶景の道 イタリアからヨーロッパ」250118

背景音が「アイネクイネナハトムジーク」曲に変わったところで撮影された西欧の街並み(掲載写真)。
 街路に人の集まりがあり、パラソルの設備も見える。コンビニ店の傍らに「似た光景」を見入るも、テーブル&チェアは用意されているが人影が見えぬ。

 近隣で「カラオケでCOVID-19に感染」「パンディでミックス下でパチンコ店がなぜ、感染可能性私設から除外されたか」の論はあった。
 それほど、ヒトは集まる。賑わいがあるも、「ただ、歌っているだけ」「台に向かって玉をハジキ続ける」「目の前の鮭と料理がなくなったら、たちまち解散」。

 近隣の公園。親子連れ数組が遊具で青部景はあるも、高齢社会の今、老人がタムロしてドリンクを手に談笑する姿など、ついぞ見たことがない。
 いわんやマチなかに、そんな集団をみることがあるかといえば、経験がない。
 「寒風吹きすさぶマチ、凍え死ぬ」に始まり、コンビニで100円コーヒーが出回りのころ、「ビジネスマンは紙コップのコーヒーを抱えてオフィスに」、だった。

 そのコンビニ100円コーヒーが出回りの頃、ラジオ体操帰りに利用したことがある。
 その時間が20-30分いなってしまし、帰宅して共々叱られた。「朝ごはんが終わりません」。
 もう一つ。「あの男たち、なに、やってうrんだ」。不足は話題。ネタを楽しむ<間>。フトコロの余裕、その<有るなし>もかさなるかも。
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獣道の如き急坂+徒歩1.4km+茅野公園 男のもてなし<楽ならず> 観月園駅―茅野公園
 獣道の如き急坂+徒歩1.4km+茅野公園 男たちのおもてなし<楽ならず> 観月園駅―北海道道富士見桜ケ岡線+茅野公園

 釧路臨港鉄道臨港線の「米町駅」で乗車した女性たちは、春採湖畔の「観月園駅」で下車。
 そこから徒歩で茅野花園に向かった、とされている。遊郭に起居する女性たち。
 茅野花園で開催の花見には、なじみの客たちも顔をみせる。花を楽しむのか、男たちをもてなすのか。

 観月園町内会館から湖畔に下る道は今も健在。訪ねたのはいつの歳かの2月。雪道でおまけにアイスバーン状態だった。
 23年6月、湖畔の下水ポンプ場前の坂道を登り、「これぞ観月園町内会館への道」。登つめたら北海道道に接点。
 バス底流所があって、検分したら「見晴台」とあった。めざす「観月園前」の一停留所奥のバス停であった。

 ネットに記載。「(「観月園駅」跡と観月園町内会館への道は)獣道のような急坂」と。
 お嫂さまたち、この道を登ったはず。さしずめ「幾はコワイ、帰りはヨイヨイ」の行程。
 イヤ、店頭怖く、さらに難儀の道であったかも。サクラは美しいが見物は難度が極めて高い。
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新鮮・新発見・創造力 見上るポイントで鳥瞰すれば250115
新鮮・新発見・創造力 見上るポイントで鳥瞰すれば250115

路線バスを使ってパワーポイントめぐり。試みたのは釧路仏舎利塔、青雲台体育館。太平洋スカイランド。
 ほかにもあるじゃろ。その細部は地域コミュニティ放送FMくしろでレギュラー番組を担当したことがある。
 今も音源が残る。「佐藤宥紹 釧路歴史探訪 on PODCAST」
 =https://www.fm946.com/podcast/

 2008年かに「釧路仏舎利塔」をバスツアーで訪問。
 参加者の一人は「いやー、初めてみた景観、実に新鮮なものだ」。
 俯瞰目線と鳥瞰視線で、「どこからも見えるランドマーク」から「360度の街並みの視界」だもの。

 「釧路仏舎利塔」から<「鳥瞰視線」で新発見>は。
 北の「岩保木HBCテレビ電波反射板」と「幣舞丘陵の烽火台」を結節する<釧路川水系>の緊急連絡システム。
 釧路川河口も指呼の間に臨める。

 「釧路仏舎利塔」から醸し出される<創造力>。
 若者は申した。
 「塔の麓で、誰に頼まれたわけでもなく、務めても成果が目にみえるわけでもないのに、願ってくれている人が居た、祈ってくださっている尼さんがいた」。

 申した人は手づくり絵本を作成し、100部増刷して、釧路仏舎利塔改修費浄財寄付者に対する<返礼品>に提供した。
 これぞ、創造力を掻き立てた具体例ではないのか。
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旧名頓化 トンケシ 範囲と町名250111
旧名頓化 トンケシ 範囲と町名250111

幸 町 さいわいちょう  旧名西幣舞の一部にして
浪花町 なにわちょう   旧名頓化西幣舞の一部にして
南浜町 みなみはまちょう 旧名頓化の一部にして
仲浜町 なかはまちょう  旧名頓化の一部にして
寿 町 ことぶきちょう  旧名頓化の一部にして
宝 町 たからまち    旧名別途前の一部にして
浜 町 はまちょう    旧名別途前の一部にして
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「トー・ケシ to-kesi 沼の・末端」 転じて「トン・ケシ」=頓化(釧路市)・富岸(登別市)250110
 「トー・ケシ to-kesi 沼の・末端」 転じて「トン・ケシ」=頓化(釧路市)・富岸(登別市)250110
 
釧路市浪花・寿町界わいは、昭和7年8月15日の町名地番改正で旧名「頓化 (読み トンケシ)」を改めた。
 その語源。山田秀三著『北海道の地名』(北海道新聞社 1,984年)は、釧路市の「トンケシ」には触れていない。
 しかし、胆振国幌別川の河口に誓い「富岸 トンケシ」を取り上げている。

 山田著は記載。「アイヌ時代のコタン(部落)があったところ」「だいたいが低湿地」
 つづけて「昔そこに沼があってそのトー・ケシ(沼の・末端)にコタンがあったのでついた地名」。
 「ただトンケシと呼ばれてきたので少々読みにくい」と、<断り書き>が添えられる(前掲書 397p)

 この地名オリジナルポイントには、山田氏に先行した記録が残る。氏は筆をすすめる。
 知里博士。「to-um-kesi (沼・尻・の末)と書いたり、またto-hon-kesi(沼・の腹・の末)とも書いた」。
 そもそも胆振幌別川の支流、鷲別川に流入する富岸川があって、州域に現在は若山町、新生町、富岸町はその奥の方にだけの地名。つまり登別市富岸は、今も現存する行政字だ。

 平成2年~3年時点。釧路市末広で開業医をされた鈴木先生(大正11年生まれ)の談。
 「現在の長崎屋あたりは武田木工場の木材置き場であったが、その前は一面の沼で」。
 「私の父が若いころ江縫呉服店の丁稚を勤めていたが、配達に出た先でこの沼を見つけてイカダ遊びに興じていたところ」
 「誤ってイカダから転落し、<仕事中に>と大目玉をくらったそうだ」。

 「ぜひ、あなたに書いて欲しいと思って」。旧制中学校で<同期生の叔父にとって甥>にあたることを承知の先生は、申された。
 「現在の長崎屋」は釧路市幸町13丁目で、跡地にはパチンコ店が開業している。
 昭和6年9月、釧路川を切り替える新水路が完成し、低湿地帯の乾燥化がすすんだ。

 釧路川右岸に広がった低湿地は都市化の進展もあって、沼沢地が姿を消す。
 それまで幸町から浪花・寿に至る沼があり、海岸線にちかい地点が「沼の・端(末端)」にあたった。そうした地形と景観を想定しておくことに。
 万延元年=1860年筆とされる『東西蝦夷山川地理取調図』は、「トンケシ」の名で読める。

 因みに「浜頓別町」の自治体ともゆかりの頓別川。
 山田氏は頓別川 ト・ウン・ペツ to-un-pet 沼の:ある(に入る)・川 とする(前掲書 168p)
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文学作品のなかで川崎舟=小林多喜二『蟹工船』 ぶぶる15th <img
 文学作品のなかで川崎舟=小林多喜二『蟹工船』 ぶぶる15th

 靄もやが下りていた。何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒チェムニー、ウインチの腕、吊つり下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。柔かい、生ぬるい空気が、頬ほおを撫なでて流れる。――こんな夜はめずらしかった。
 トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。網が山のように積つまさっている間に、高さの跛びっこな二つの影が佇たたずんでいた。

 ウインチがガラガラとなって、川崎船が下がってきた。丁度その下に漁夫が四人程居て、ウインチの腕が短いので、下りてくる川崎船をデッキの外側に押してやって、海までそれが下りれるようにしてやっていた。――よく危いことがあった。ボロ船のウインチは、脚気かっけの膝ひざのようにギクシャクとしていた。ワイヤーを巻いている歯車の工合で、グイと片方のワイヤーだけが跛びっこにのびる。川崎船が燻製鰊くんせいにしんのように、すっかり斜めにブラ下がってしまうことがある。その時、不意を喰くらって、下にいた漁夫がよく怪我けがをした。――その朝それがあった。「あッ、危い!」誰か叫んだ。真上からタタキのめされて、下の漁夫の首が胸の中に、杭くいのように入り込んでしまった。
 漁夫達は船医のところへ抱かかえこんだ。彼等のうちで、今ではハッキリ監督などに対して「畜生!」と思っている者等は、医者に「診断書」を書いて貰うように頼むことにした。監督は蛇に人間の皮をきせたような奴だから、何んとかキット難くせを「ぬかす」に違いなかった。その時の抗議のために診断書は必要だった。それに船医は割合漁夫や船員に同情を持っていた。

  漁夫達は、飛んでもないものだ、と云いながら、その「赤化運動」に好奇心を持ち出していた。
 嵐の時もそうだが、霧が深くなると、川崎船を呼ぶために、本船では絶え間なしに汽笛を鳴らした。巾はば広い、牛の啼声なきごえのような汽笛が、水のように濃くこめた霧の中を一時間も二時間もなった。――然しそれでも、うまく帰って来れない川崎船があった。ところが、そんな時、仕事の苦しさからワザと見当を失った振りをして、カムサツカに漂流したものがあった。秘密に時々あった。ロシアの領海内に入って、漁をするようになってから、予あらかじめ陸に見当をつけて置くと、案外容易く、その漂流が出来た。その連中も「赤化」のことを聞いてくるものがあった。
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斬新な設定「釧路のおすすめベスト3」 北大通ぶぶる15th250111
 斬新な設定「釧路のおすすめベスト3」 北大通ぶぶる15th250111

 ここまで「蔵開き&鏡開き」 「船魂祭」「川崎船」と書いてきた。
 この1月11日に開く「北大通ぶぶる15th」例会のテーマを、主宰してくださる方が伝えてくださった。
 催事の内容は、掲示の画像に示されている。多くの人は「魅力」。そう訴える。

 ここでは趣をコトにするようだ。
 さて参加者からどのような提案が示されるのか。わくわくしているのですよ。
 「ベスト3」。そう示すのみで、それ以上の説明を敢えてされては居ない。
 議論の「膨らみ」を、期待されての事であろう。

 さて、どのような、どんな広がりの話題に発展するものやら。乞うご期待。
 催事は25年1月11日 午前10時から 釧路フイッシャーマンズMOO3
階会議室。
 会場は釧路川右岸。往時は魚卸売市場所在地。水揚げの船が接岸、川の澪筋を漁場に急ぐ漁船が航行。

 1月11日、市場で鏡開き&蔵開き、停泊の舟は船魂祭りにあたり満飾艦。2010年1月、釧路川左岸に一隻の舟が停泊し、船飾りを風になびかせていた。
 漁業基地なら恰好な<観光資源>。<観光立国>を申すなら、「プログラム貧困」の指摘もある」が。
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帆走で4-5里先沖合に&船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111
 帆走で4-5里先沖合に&船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111

1分前2025/01/07 火曜日 11:03
 帆走で4-5里先の沖合に&その船型生み出す高速大漁操業 越後改良型川崎舟釧路川河口に101111

●「川崎船(かわさきぶね)」といえば、釧路市立博物館で、展示されていますが。
博物館で展示されている「川崎船」は、新館がオープンしたときに展示用として建造された船です。昭和58年の新館開館を前に、一度だけ造船元の旭町の平岩造船から、釧路川河口までを往復してもらいまして、進水式と記念運行を行ったことがあります。
●いま、「川崎船(かわさきぶね)」は「釧路漁業を特色付ける展示品」というお話がありました、が。
川崎船は、釧路漁業が前浜から沖合に漁場を拡大していった時期に、活躍した漁船です。時期は明治20年代にさかのぼります。
釧路沖、4-5里というところには、釧路川の「みおすじ 澪筋」と海溝が交叉する場所があります。そこでカレイ・タラ・キチジなどの魚を漁獲する漁業がはじまりました。ここに掲げたカレイ・タラ・キチジという魚は、生涯をひとつの場所で過ごす魚です。サケやニシンのように、移動している魚とは生態のことなる魚種です。
つまり川崎船は釧路の漁業を、漁場(ぎょじょう)の点では前浜から沖合いに拡大しました。漁業種目の点で川崎船は、季節性の高い漁業から通年型の新しい魚種を採取する漁業を追加したという、特徴があります。
●いま、「川崎船(かわさきぶね)」は新潟県の漁業者の持ち込んだ船というのも、特徴ですね。
新潟県の北蒲原郡や西蒲原郡の漁業者の方が、釧路沖に出漁してくるわけですよ。
佐野孫右衛門という方が寺泊から、江戸時代に来ていました。そうしたことが契機になったのか、次第浜・藤塚浜など聖籠町(せいろうまち)の砂浜海岸、間瀬(旧岩室村)・寺泊(長岡市)などの岩石海岸から、優れた船頭や力のある船持ち漁業者が、釧路に出稼ぎします。
●ところで、「川崎船(かわさきぶね)」という船の特徴を教えてください。
これが近代において、いくぶんの動力(小型エンジン)を装備するところから、「東北・北海道地方で、小型の発動機付き漁船。蟹工船(かにこうせん)の付属船にも使用」というわけです。小林多喜二の『蟹工船』が、最近、読まれておりまして、そこにも川崎船の記載が登場するということです。
川崎船の特徴の第一は、帆走船ということで=帆ではしる船。くわえて櫓や櫂を用いて漁場への移動、漁場での操業、そして漁獲物を輸送しながら帰港するためにつかわれますから、これをエンジンで移動する動力船に対して「無動力船」と位置づけています。  (佐藤宥紹 地域コミュニティ放送FMくしろ 「釧路歴史探訪 143話」)
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「海の衆」に微笑む「メガミ」ご神体=船魂祭 地域コミュニティ放送FMくしろ101118
「海の衆」に微笑む「メガミ」ご神体=船魂祭 地域コミュニティ放送FMくしろ101118

船魂祭は、漁業をいとなむ人々や、船を建造し、船をあやつって海のうえで生業をいとなむ方にとっては、たいせつな祭事(まつりごと)のひとつ、重要な年間行事のひとつです。

本来は、船舶関係者のお祭りで、船を建造する船大工さんの熱い信仰をあつめています。転じて、漁業に関係する方々が、一年間の海上安全や大漁豊漁を祈願する祭事となっています。
「ふなだま」と呼んで、「船魂(ふね・たましい)」と書きますが、歴史事典では「船霊(ふなだま)」と表記し、「船玉とも(書く)」ことがあると、説明されています。「船霊(ふなだま)」のはたらきは、「船と航海の安全のための守護霊・守護神」にあるというわけです(永原慶二監修『岩波 日本史辞典』1999年)。

「フナガミ」「オフナサマ」「オオダマサマ」の名で信仰をあつめ、「女神」であるとの言い伝えが多いとされています。荒くれだった「海の衆」に、にこやかに微笑む「メガミ」という設定です。
ご神体は、「男女の人形一対」「一文銭十二枚(閏年に建造した場合は13枚)」「柳製の賽(サイコロ)二(個)」「五穀《米・麦・豆・粟・黍=キビ、もしくは稗=ヒエ》」「化粧道具」「女性の髪」と、「神社の分霊」をあてます。

祭事は、正月2日とされています。新年のお祭りです。ただ、マチ場では正月11日に行われることが多く、現に港に停泊する船が航海や漁をやすみ祭事をする姿をみるのは、釧路地方でも1月11日です。
1月11日を祭事の日とすることについて、いくつかの指摘があります。そのひとつは、「(1月11日が)一年365日の潮の初め(潮口)にあたり、白髭社の初祭典にもあたります。船主は自分の持ち船へ行き、洗米と御酒、なます、くしがきなどのほか12個の角餅を供え、船魂さんに一年間の海上安全を祈り」というわけです。(「釧路歴史探訪 144話」佐藤宥紹)
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「外見から変えて行こ・・・皆で、チョンマゲ切り」 「鏡開き」を文学で250111
「外見から変えて行こ・・・皆で、チョンマゲ切り」 「鏡開き」を文学で250111

 近江屋では、正月十一日に鏡開きと蔵開きを行う。年末から飾っておいた鏡餅を割り、店の蔵も開け始めのお祝いをする。鏡開きの時刻は仕事が上がり始める午後三時と決まっていたが、奉公人が気もそぞろに集まってくるなか、肝心の当主は姿を見せない。奥向きにも店にもいなかった。当主無しに行事を始めるわけにいかず、大番頭の佐助が、身の周りの世話をする女衆おなごしを呼びつけて尋ねた。

 表から「おいでやすー」と、丁稚の元気のいい声に続いて、ぱたぱたという草履の音が聞こえてきた。どうもその客が奥まで入ってきたようである。丁稚が慌てて、
「あの、お客はん。あの、そっちは……」
 と声をあげるが、着流しの大島紬に毛織りのトンビを引っ掛けた、客人と思われた男は構わず奥に入ってくる。そして集まっている奉公人たちの前で、落ち着いた様子でトンビを脱いだ。

女衆たちからひゃーともきゃーとも取れるけったいな声が上がり、その“散切りジャンギリ頭”の客人が、あろうことか十一代当主その人であることが明らかになる。
 何事もなかったような駒蔵のその一言で、準備の整っていた鏡開きが始まり、餅を木槌で割った後にぜんざいが全員に配られる。皆が競って頬張る中、駒蔵は新たな企てを口にした。
 「近江屋一同、まずは外見から変えて行こ思うねん。ほやさかい、皆で、チョンマゲ切り、しまへんか」「えーっ?」
  今度は手代らの間から驚愕の声が上がる。

「断ちバサミでチョッキンと切りまんねん、ほしたら、髷がコロンって落ちまんねん。今からここで一斉にやりまへんか。皆でやったら怖いことあれへんし。そのあとは、順々に髪結行って、わたしみたいに綺麗にしてもらいなはれ。金は近江屋が出しまひょ。さ、チョッキンすんなら今でっせ」
 (広谷鏡子『沈み橋、流れ橋―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―』 2023年12月15日 12:07 )
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「絶対者に<私>を見てもらえる」 若い女性 in 出雲大社250101
 「絶対者に<私>を見てもらえる」 若い女性 in 出雲大社250101

元日の朝、nhkGの4:54.出雲大社 いずもおおやしろ 拝殿で手を合わせ拝礼する女性。
 「神様に私をみてもらえるように思って」と、熱心に。

 出雲神社。高さは8丈(24メートル)の本殿。
 切り妻、妻入りの構造で、平面は九本の柱を田の字型に配置した正方形の間取り。
 “大社造”と呼ばれる日本最古の神社建築様式。心御柱と称する太柱を中心に、正面向かって右側の側柱との間は板壁となって殿内を仕切る。大国主大神が鎮座され内殿(御神座)を護って。 https://izumooyashiro.or.jp/precinct/keidai-index/gohonden

 人びとはなぜに。壮大な堂宇を築くや。
 1)絶対者=神・仏、絶対者に自身を見てもらう、見てもらいに足を運ぶ。
 2)教典=教義に示された聖地を再現
 3)同朋・同行=受容者が組織するネットワークで非日常を体験。

 時の権力者はしばしば、自身の権威の象徴として華麗・壮麗な拝殿を建築。
 世に残すも時移り、記憶の彼方に位置するとき、護持・持続の営為は再生産されつづけるや。
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第一節目の歌詞データ&登場順確定 鮎川七福神舞230820YouTube
 第一節目の歌詞データ&登場順確定 鮎川七福神舞230820YouTube

鮎川七福神舞。地域のレジェンド・柴田美恵子さんの映像があって、歌詞第一節が判明。
 230820YouTube「牡鹿鯨まつり2023 ダイジェスト 2023/08/20」で、登場順を理解できた。
 「七福神舞」。伝承形態は祠やオブジェクトではなく「舞」。故に七福神の表現がデフォルメされている。そう申さねばならぬ。

 最初に登場は「太鼓腹」が第一=「布袋尊」
 第二に「小槌」=「大黒天」
 第三が「釣り竿に魚」=「恵比寿天」
 第四は「長頭」=「福禄寿」
 第五は「先が三叉の剣」=「毘沙門天」
 第六に「立派なあごひげ」=「寿老人」
 第七が女神=「弁財天」
 再度、小槌の大黒天が舞って、七福神舞を結ぶ。

 地域語=方言交じりの歌詞は、「音声表記」のシステムを透過させてもどの神か、なかなか判別困難であった、が。
(早見表) https://hotokami.jp/articles/169/
  「七福神とは?見分け方やご利益、由来をご紹介」=| ホトカミ
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250101頌春 令和乙巳(二〇二五年)歳旦
頌春 令和乙巳(二〇二五年)歳旦

「地域が文化を創る」は<仕事がある>で来道一世が外部<の投資・技術・着想>に依存。
 そこに疑問を感じた人は「地域で文化を創る」と次世代を支え、鍛えることに。
 移住三世は「地域を文化で創る」に取り組む。

 道央圏=苫小牧港・新千歳空港隣接地への投資は別として、民間資本&公共財の投資縮小の今、地域で付加価値を創造するかは<住民の知恵&創造力>発揮の局面。

 1)自身にも他者にも益する価値を育て、
 2)小さな手掛かりをつむいでネットワークを、
 3)口コミの質評価を重視して一石による波紋が広く拡大しますように。

 日頃のご厚誼に深く感謝いたし、かわらぬご支援、お付き合いをお願いいたします。
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