2018年11月の記事


弘法さん
今日は久しぶりに京都の東寺の弘法さんへ行って来ました。

弘法さんは、弘法大師の月命日である毎月21日に開催されるガラクタ市の事で、東寺の境内いっぱいに1000店を超えると言われる露店が並びます。

骨董品が有名ですが、食べ物や衣料や手作りの物まで、あらゆる物が売られています。

私がいつも買っている辛子付けのお店も美味しくて人気なので朝のうちに売り切れてしまいます。

他にも干し柿やちりめんさんしょうなどいろんな物が安いので、ついつい買ってしまいました。

久しぶりに、いろいろと周れて楽しく過ごせました。
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御陵衛士法要
11月17日と18日の両日にわたって、御陵衛士の法要に出席してきました。

御陵衛士は、幕末の新選組から伊東甲子太郎らが別離して作った組織です。

しかし、新選組との溝や対立があり、油小路事件へとつながります。

元新選組の幹部で御陵衛士のトップだった伊東甲子太郎は、新選組局長の近藤勇に妾宅へ呼ばれて酒を酌み交わしながら話し合いました。

酔った伊東甲子太郎が帰る途中で新選組の隊士に待ち伏せされて、油小路の本光寺前で絶命しました。

新選組の襲撃者達は、甲子太郎の遺体を七条油小路の路上に置いて、御陵衛士の元へ連絡させて、遺体を引き取りに来るのを待ち伏せしました。

御陵衛士達は罠かも知れないと思いながらも引き取りに出かけ、七条油小路の地点で、待ち伏せた新選組と死闘になったのです。

御陵衛士の中で、藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の3名が殺され、残りは逃走しました。

こうして、伊藤甲子太郎・藤堂平助・服部武雄・毛内有之助の4名の御陵衛士が殺害されたのが油小路事件と呼ばれています。

法要では、この亡くなった4名の菩提を弔うもので、まず油小路事件の現場であり、伊東甲子太郎の絶命地である本光寺さんでは命日の前日である17日(土曜日に行って日曜は観光してもらおうとの配慮)に行われました。

続いて18日の命日にはお墓がある戒光寺で行われました。

17日の本光寺の法要では、新選組同好会や関係者を招き、私を含めた新選組のファンの方が参列して行われ、法要後は茶話会も開かれました。

翌日の戒光寺の法要は、御陵衛士の遺体が始めに葬られた光縁寺(新選組墓所)から戒光寺へ改葬されて150年という事での記念法要で行われました。

事前に申し込んだ参列者が墓前に出かけて、御住職の読経の元に法要が行われました。

2日続けての法要で少し疲れましたが、それでも新選組ファンとして参加できて良かったです。
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妙顕寺
京都の妙顕寺の秋の特別拝観へ行って来ました。

春と秋に特別拝観が行われますが、コラボ企画やいろんな趣向が楽しいです。

お部屋の中に庭を再現したのとか面白かったです。

駆け足での拝観でしたので、また、ゆっくり見に行きたいです。
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願成寺親王祭
京都の東福寺塔頭の願成寺の親王祭へ行って来ました。

願成寺は阿保親王が建立したとされるお寺です。

阿保親王は、平城天皇の子で桓武天皇の孫に当たります。

また、在原業平の父でもありました。

いろいろと運命に翻弄された人生を送られて、最後の死因も不明とされていますが、謙虚で穏やかな性格で、文武に優れていたと言われています。

親王祭は、その阿保親王の御霊を供養し、諸願成就・苦労消除を願う法要です。

願成寺の名前も、願いが成る寺と言う意味だそうです。

お寺の中にはたこ焼きや、うどんの屋台が並んでいて楽しめるようにもなっています。

また、それほど大きなお寺ではありませんが、親王堂の前には祭壇や護摩壇が築かれて、結界が張られています。

始めに琴の演奏があり、その後に阿保親王の塚の前で僧侶による法要が行われます。

その後に、山伏らの一団がお寺を出てお練りをしながら、東福寺の諸堂を周ります。

そのお練りの間に、お寺では祭壇の周囲で舞の奉納が行われました。

平安時代の巫女を思わせる衣装での舞は優雅で風情を感じますね。

舞は、お練りが戻って来るまで続けられて、お練りが戻って来ると、山伏の皆さんによる護摩焚きが行われて、願いが書かれた護摩木なども燃やされます。

私は一番前で見てたので、護摩焚きの火が熱くて煙かったです。

護摩焚きが終わると、護摩壇を崩して火渡りが行われて、老人の方も含めて多くの方が火渡りをされました。

私も思い切って火渡りに参加して無事に渡り終えました。

いろいろと盛りだくさんで、平安時代を思わせる舞から、豪快な護摩焚きまで楽しく過ごせました。
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