2025年04月の記事


桜 さくら
四月四日に二十四節気の第五清明になり、
うららかな日差しを受け、万物が明るく清らかである
意味を表している。

万物が清らかで生き生きした様子を表した清浄明潔を
託した季語である。

東京やその他地方で桜が開花し、満開になった話を聴く。
映像で見た桜は美しく、私には遠い花だった。

10年前に静岡で町会役員をした時、見てから
既に10年が過ぎ二人で行ったお花見が懐かしい。

桜並木の周りには菜の花が植えてある町が多く、
目の下には川がざぶざぶと流れて風情があった。

坂の上のお寺迄、桜吹雪の下を歩きながら
桜に「偉いね。一年も雨風に耐えて毎年咲いてくれる。」
花弁に頬を寄せて愛しさ故に花の中に顔をうずめた。

そんな桜が風にちらほら散り始め、人は足で踏んで
通リ去って行く。あれ程人々を楽しませてくれた桜に
「有難う。」お礼を行って車庫迄歩いて帰宅した。

桜も人も散ってしまえば儚いもの。だからこそ、
生きて居る内が花なのかと思いながら散歩して居た。

家の二階の空き部屋で埃をかぶった琴の埃を拭き、
桜の曲を引いてみた。さくら、桜、弥生の空は
見渡す限り♪下手で情緒の無い曲になってしまう。

今は沖縄に来て居るので散歩がてら緋寒桜を
「可愛い花。」と喜んで見られたので充分である。

一年中咲いているハイビスカスは強い花だと思う。
散れども散れども綺麗に咲き、心を癒してくれる。

何が有っても窓ガラスからハイビスカスが毎日此方を向き、
「私は散っても何度も咲くの。」聞こえる。

私も強い人間にならなければ生きては行けない。

ほろ苦き 蕗炊く香り 漂ひて 厨は春の 溜まりとなるぬ
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