2024年01月の記事


冬の花
冬桜 むずがゆき程 花開く

庭石に 寄り添い咲きし スミレかな

風巻きて 裳裾にからむ 枯れ葉かな

白百合(海底百合)よ こんな所に 何故咲くの

逃れたき 忘れたき月 冬牡丹
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何もなくても幸せ
お正月の初詣にいつもの護国神社へお参りして
午前4時頃帰宅しテレビを付けた時、津波にげて!

臆病者の私は鳴りやまぬ地震速報を聞く度に
自然災害の恐ろしさを感じながらドキドキしていた。

危機感のない主人はテレビ等見ずにユーチューブの
動画作りやマイクでお話をして地震報道には
耳を傾ける様子もなかった。

能登半島地震に遭われた方が今日初めてお水を飲んだ!
気の毒で私は目頭が熱くなり涙がぽろっと頬を流れた。

其の日は熟睡せずに翌日快晴の朝を迎えた。
私は坂道を散歩しながら坂の途中で足を止め、

小高く長い石段から下へ降りるのは楽だが
登りは汗をかき足を止め、ふと父に似た雲を見た。

今月は大好きな父の命日が近づいている事に気づいた。
あの日は冬の寒い朝だった。

けたたましい電話の音に起こされ、父が息を引き取った
と言う知らせ、覚悟はしていたがうろたえた。


引越しは嫌だと古い家に起きたり寝たりしていた父。
一緒に暮らしたかったが離れていたので

介護できなかった親不幸な自分を攻め、
顔の皺が物語るように父の顔は哀れだった。

私は父に経済的援助はしただけで
一緒に暮らせなかった事に「ごめんなさい。」
父の胸に涙を零しながら謝る。

父に育てられ、父が居たから生きて来られた。
私は一緒懸命働き、一か月おきに僅かな生活費を送る。

涙を流して喜んだ父。
「いいのよ、お父さんが好きだから。」

二人共苦しい思い出がいっぱいだけれど、
子供時代に幸せもいっぱい貰った。

私が高熱を出した時も近所の掛かりつけの
医院に背負って連れて行ってくれた。

三才くらいの私は親の暖かさが嬉しくて
「ありがとう。お父さん。」心の中で呟いた。

ずっと両親に感謝しているので一日一回必ず手を
合わせて供養し、私を守ってくれますようにと願う。

何の代わり映えのない新年が幸せすぎると
何時も自分の心に言い聞かせて一日が暮れていく。
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