2013年03月の記事


春うらら
先週、春分の日が終わり春らしく暖かくなると想像していた。
内地の北国では、雪も解けず寒暖の差が激しい。

時の速さに時間が止まって欲しいと願うばかり。
事が予定通りに終わらない為時間ばかりが駆け足で過ぎていく。

内地では桜が満開に咲き、友達とお花見に行った頃が懐かしい。
大井川で車を止めて木で造った蓬莱橋を散歩した想い出がある。

♪橋の長さに戸惑いながら、一人来ました蓬莱橋に、
貴方と暮らしたこの町を、死ぬ気で捨てた過去がある。
人の幸せ欲しがったから、罰を受けたと恥じてます♪

テレビから流れてくる蓬莱橋の歌謡曲を聞いた時、
蓬莱橋が取り上げられて嬉しかった。

若い時なら死ぬ気で惚れた人に妻が居ても、
その人を一途に愛していたら、その愛は暫く続くと思う。

後で日が経つにつれ、別れる決心をして別の人生を歩いていくのでは。
長い人生で恋愛の一つや二つ有ってもおかしくはない。

蓬莱橋を歩いたあの時の山桜は満開を過ぎて風にぱらぱら散り、
「もう少し早くお花見に来ればよかったわ。」等と話していた。

あの時も人は厳しい冬を乗り越え、春をずっと待っていたはず。
そして春のようなうららかな心で桜を眺めていた。

春、それは人の心を明るくさせてくれる。
春、それは人の身体を温めてくれる。

遠く離れた人を思い出し声を聞きたくなり、
聞けば会いたくなる、春ってやる気が出る季節。

でも、南国には四季がない。
今が春だなんて何が教えてくれるのでしょう。
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海の蒼さに魅せられ


昨年の今頃は、ツツジ祭りを見たあと本部町の沖縄美ら水族館を
見学したのは2回目だった。

水族館の目の前を見渡せば珊瑚礁の育った海が青く美しい。
沖縄の海は、回遊魚の通り道となっている。

珊瑚礁は、地球上で最も種の豊かな動植物の生息圏との事。
そのため海の熱帯雨林とも呼ばれ、地球にとってきわめて
重要な存在だと思う。

あの蒼い海を見れば気持ちがゆったりとなり、
爽やかな風と海に深呼吸し思わず笑顔になる。

今日は、静岡と長崎でソメイヨシノが満開になったのに、
沖縄は28度と気温上昇し日中は暑くて外出する気にならない。

これほど気温が上がったのは今年初めてで、
夕方涼しくなるのを待って買物に行って来た。

部屋に入ると主人がクーラーを付けているため涼しい。
まだ早すぎると思っても彼は暑さに耐えられないのだから
仕方がない。

今年も桜を見る事ができなくて残念でたまらない。
内地では花冷えが5日も続いた後来週は高温が続くらしい。

世の中は三日見ぬ間の桜かな。
今年の桜はぱっと咲いてぱっと散る過程をたどる気がする。

でも寒い時期をずっと待ち焦がれた桜が長く咲いて
くれるように私は星もでない空に願った。
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桜 さくら


ソメイヨシノが開花したというのに数日前の内地の空は暗く、
内陸の畑やグランド等の土が強風で巻き上げられ、

砂塵あらし?黄砂?色々な事を想像してしまうこの頃。
福岡では最速の桜の開花とのこと。

沖縄では18日からツツジ祭りが始まるけれど、
やっぱり桜の方が好きだわ。

ふわふわっと淡いピンク色したソメイヨシノが咲くのを
ずっと待っていた。遠い南国に居ても桜が恋しい。

川沿いに咲き乱れる桜もいいけれど、山道の両側から
歩いている私の顔を撫でて微かな香りを漂わせる桜が好き。

桜には様々な想い出が沢山残っている。
恋人に自ら別れを告げて山の上から清流を眺めて泣いた日。

後ろ髪をひかれる思いで東京を捨て静岡に一人で引っ越した日、
あの時も桜が満開に咲き誇り、私の心を励ましてくれた。

町の人達は桜を見て喜び「綺麗だわ。」と桜を誉めていた。
人間がどんなに喜んでも桜は何も黙して語らない。

それでも、桜は厳しい冬に耐えて春になったら人の前に顔を出したいと
思っているかもしれない。

短い命なら思いっきり美しい姿を大勢の人に見せたいと、
思っているかもしれない。

開花してから一週間で満開になりその後はどんどん散るばかり。
ひらひら春風に舞いながら、ゆっくりと落ちゆく姿は風情がある。

沖縄の桜が散った後の青葉ばかりの木を見ると寂しい。
桜は開花したばかりの蕾の頃が夢があっていいと思う。
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夏日の公園



昨日、25度の夏日になり陽光のまぶしい1日だった。
本来なら口腔外科の予約日なのに恐くて来週に延ばす愚図である。

私は、痛い治療が嫌で整形外科にも行っていない。
50肩も眠る事が出来ない程痛いのに我慢をしている。

昔は虫垂炎の手術をしても付き添いなしで当日の夜に
一人でトイレに行ったり一人で自宅に帰って来た。

小さい手術等は一人で病院に行き、誰も頼った事はない。
「度胸がいいね。」で通っていたのに臆病になってしまった。

明けて今朝も太陽の日差しが強い昨日と同じ夏日になり、
日中に外出するのを避けて午後5時前に公園まで行った。

公園は、いつものように小鳥のさえずりが聞こえ、
樹木独特の匂いが漂っていた。

真っ黒に日焼けした主人は午後は公園で将棋をしている為、
静岡の不動産屋から電話がきた内容を知らせて
買物を済ませ住まいに向かい歩き始めた

右手の握力がないので左手に買物袋とバックを持ち、
信号機のない所で様子を見ていた時、

「叔母さん、渡りましょう。」隣の人を見れば
その方も同じ年位の叔母さんなので少し腹が立つ。

あの奥様に叔母さんと言われて良い気持ちはしない。
でも仕方ないわ、叔母さんだもの。

いっぱいの花々に囲まれて清々しい空気を吸って帰宅した頃は午後6時半。
茜色の夕焼け空に灰色の雲が小鳥の群れのように浮かんでいた。

春夏秋冬、咲いているハイビスカスの花が夕日に染まり、
住まいのハイビスカスも早く咲くようにと鉢植えを見る。
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桃の花
あれは忘れもしない桃の節句が来る前日のこと。
母にお小遣いを送る為に郵便局に行き2万円を送った。

私は早く送った方が良いか迷った末に速達で送った処、
それを受け取った母が危篤状態だった事も知らなかった。

叔母が「××ちゃんからお小遣いが届いたわ。」母の胸に
渡した時、うっすらと涙を浮かべて喜んでいたらしい。

元々糖尿をもっていた母は風邪をひいて僅か5日目に息を引き取り、
私を早く呼びたくても呼べない理由が有ったとしても、
周りの人がもっと早く知らせて欲しかった。

亡き母は、私の人生を壊した事をずっと悔やみながら
暮らしていたことは知っている。

それでも自分が亡くなる前に何故、私を呼ぶように
親戚の人達に言わなかったのか。。。

想像を絶する程忙しい生活をしていた私の事を母は分かっていて、
遠慮をしていた。
母も急変した苦しい身体で精一杯だったと思う。

それにしても、子供に最後位は会いたくない親がいるだろうか。
私に会いたくないと思っていたなら辛い。

遠縁の叔父さんが葬儀会社をやっていたので、
祭壇や花輪、お供物、葬儀料金等は安くして貰い、

全て自分の貯金から葬式代を支払い、初七日まで実家に滞在し、
親戚の人や近所の人達に食事やお礼をした。

お人よしの母が亡くなり一週間を過ぎてから、
母の優しかった時を思い出して泣いた事を覚えている。

最後まで母の傍に居てくれた父に「有難う。」お礼を言い桃のお花を渡し、
感謝の気持ちで涙がとまらなかった。
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