2017年05月の記事
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。
使用した写真は、巴朗山峠に咲く幻のブルーポピーとレッドポピー です。今回のツアーに参加した目的は、黄龍と九寨溝を見ることと、幻の花と言われるブルーポピーを見ることでした。ブルーポピーは、標高4000m以上の日当たりの良い岩場に咲くケシの仲間。巴朗山峠付近は標高4320mだからこの条件に合います。花期が限られているので、咲いているか心配しましたが、 幸運にも見事なブルーポピーを写真に納めることができました。車窓から幻の花「ブルーポピー」を見つけるたびにバスを止め、傾斜のきつい岩場を登って写真を撮るのですが、標高が高いのでいつもと同じ調子ではだめ、大きく息を整えて”パチリ・パチリ”私は少しの心得はあったもののそれでも頭が痛くなりました。。
ブルーポピーの傍らにレッドポピーも咲いていましたが、もう盛りを過ぎ数が少なかったです。
今 日 の 一 枚
巴朗山峠に咲くレッドポピー
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。
使用した写真は、巴朗山峠に咲く幻のブルーポピー(その2) です。今回のツアーに参加した目的は、黄龍と九寨溝を見ることと、幻の花と言われるブルーポピーを見ることでした。ブルーポピーは、標高4000m以上の日当たりの良い岩場に咲くケシの仲間。巴朗山峠付近は標高4320mだからこの条件に合います。花期が限られているので、咲いているか心配しましたが、 幸運にも見事なブルーポピーを写真に納めることができました。車窓から幻の花「ブルーポピー」を見つけるたびにバスを止め、傾斜のきつい岩場を登って写真を撮るのですが、標高が高いのでいつもと同じ調子ではだめ、大きく息を整えて”パチリ・パチリ”私は少しの心得はあったもののそれでも頭が痛くなりました。
今 日 の 一 枚
巴朗山峠に咲く幻のブルーポピー
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。
使用した写真は、巴朗山峠に咲く幻のブルーポピー です。今回のツアーに参加した目的は、黄龍と九寨溝を見ることと、幻の花と言われるブルーポピーを見ることでした。ブルーポピーは、標高4000m以上の日当たりの良い岩場に咲くケシの仲間。巴朗山峠付近は標高4320mだからこの条件に合います。花期が限られているので、咲いているか心配しましたが、 幸運にも見事なブルーポピーを写真に納めることができました。車窓から幻の花「ブルーポピー」を見つけるたびにバスを止め、傾斜のきつい岩場を登って写真を撮るのですが、標高が高いのでいつもと同じ調子ではだめ、大きく息を整えて”パチリ・パチリ”私は少しの心得はあったもののそれでも頭が痛くなりました。
今 日 の 一 枚
巴朗山峠に咲く幻のブルーポピー
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今日の日替わりjava作品は、ビデオ撮影しているように画像をスクロールさせます。
使用した写真は、「巴郎山峠に咲くエ-デルワイズ」です。巴郎山峠の岩場に咲く見事なエーデルワイズです。この後、四姑娘山山麓では標高が3000m位になるせいか、どこに行っても足の踏み場の無いようなエーデルワイズの大群落を見ることになります。地元の人たちにとってはただの雑草、日本人が写真に納めているのを不思議に思っているようでした。
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今 日 の 一 枚
巴郎山峠に咲くエ-デルワイズ
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使用した写真は、「巴郎山峠へ続く道」です。 成都から四姑娘山の登山基地日隆に入るには巴郎山峠を越えなければなりません。巴郎山は標高4523m、巴朗山峠は標高4320mです。標高4523mの巴郎山の峠近くは、氷河跡の見事なU字谷を形成しています。U字谷にヘアピンカーブの道が造られバスは峠に登っていきます。そしてそこは高山植物の宝庫、幻の花「ブルーポピー」を始め多くの花が一面咲き乱れていました。
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今 日 の 一 枚
巴郎山峠へ続く道
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。
使用した写真は、巴朗山峠を越えて です。成都から四姑娘山の登山基地日隆に入るには巴郎山峠を越えなければならない。巴郎山は標高4523m、巴朗山峠は標高4320mで、成都の町の標高は500m、距離は200Km、バスで一気に行けば数時間で到達するのだから、たちまち高山病症状が出はじめる。私たちは臥龍で一泊し、高度順応してから巴郎山峠に挑んのだが、それでもバスから降りられない人が沢山いた。標高4523mの巴郎山の峠近くは、氷河跡の見事なU字谷を形成しています。U字谷にヘアピンカーブの道が造られバスは峠に登っていきます。そしてそこは高山植物の宝庫、幻の花「ブルーポピー」を始め多くの花が一面咲き乱れています。お花畑を見つけるたびにバスを止め写真を撮るのですが、いつもと同じ調子ではだめ、大きく息を整えて”パチリ・パチリ”私は少しの心得はあったもののそれでも頭が痛くなりました。
今 日 の 一 枚
巴朗山峠
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今日の日替わりjava作品はbublle。画像の中をフワフワといくつもの泡が舞い上がっていきます。
使用した写真は、臥龍パンダセンターのパンダ(その2) です。四川省といえばパンダ、臥龍パンダセンターは1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。生後3ヶ月のパンダを抱く料金は200元でした。もぞもぞ動いてとても抱きにくかったです。
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今 日 の 一 枚
臥龍パンダセンターのパンダ
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今日の日替わりjava作品はballon。画像の中をフワフワといくつもの風船が舞い上がっていきます。
使用した写真は、臥龍パンダセンターのパンダ(その1) です。といえばパンダ、臥龍パンダセンターは1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。生後3ヶ月のパンダを抱く料金は200元でした。もぞもぞ動いてとても抱きにくかったです。
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今 日 の 一 枚
臥龍パンダセンターのパンダ
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使用した写真は、パンダを抱っこするのは大変 です。四川省といえばパンダ、臥龍パンダセンターは1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。生後3ヶ月のパンダを抱く料金は200元でした。もぞもぞ動いてとても抱きにくかったです。
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パンダを抱っこするのは大変
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使用した写真は、竹の葉を貪るパンダ です。四川省といえばパンダ、臥龍パンダセンターは1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。
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竹の葉を貪るパンダ
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使用した写真は、お昼寝パンダ です。四川省といえばパンダ、臥龍パンダセンターは1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。
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お昼寝パンダ
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使用した写真は、遊具でくつろぐパンダ です。四川省といえばパンダ、臥龍パンダセンターは1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。
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今 日 の 一 枚
遊具でくつろぐパンダ
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はzoom-in。ほぼ画面いっぱいの大きさから、本来の大きさに縮小されて切り替わります。
使用した写真は、臥龍パンダセンター(その2) です。四川省といえばパンダで、1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。
この臥龍パンダセンターも、四川省大地震で壊滅的な被害を受けました。
今 日 の 一 枚
パンダを抱っこ
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はzoom-up。ズームアップしながら画像が切り替わります。
使用した写真は、臥龍パンダセンター(その1) です。四川省といえばパンダで、1983年にWWF(世界自然保護基金)と中国政府の協力で臥龍自然保護区に造られたパンダの保護・繁殖設備です。設立当時は4頭だったパンダも今では繁殖に成功し徐々に増えています。パンダは今、世界におよそ1000頭しかいないと言わます。絶滅の危機から救うことが出来るかどうか。「臥龍パンダ研究センター」に寄せられる期待は大きいです。2008年5月の四川大地震の被害を受け、臥龍パンダ基地は倒壊しましたが、現在再建中、2011年より徐々に繁殖活動を終えたパンダが移送され帰ってきています。センター内では現在62頭ほどのパンダが生活しています。
パンダ小屋、パンダ幼稚園、パンダ病院などがあり、通常の見学以外に、別途料金でパンダを抱っこして写真撮影や、入場してパンダと一緒に遊んだりできます。
この臥龍パンダセンターも、四川省大地震で壊滅的な被害を受けました。
今 日 の 一 枚
臥龍パンダセンター
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。
使用した写真は、「ここで四川省大地震が起きました」 です。後漢の末期、道教の前身といわれている宗教集団五斗米道(天師道ともいう) の創始者張陵が布教を始めたのが、ここ青城山。月城湖で船に乗り対岸へ→リフトで高度を稼ぎ→上清宮→条灯亭と巡りました。急な石の階段が多く厳しい暑さには参りました。
この急峻な青城山で、欧州の観光客が撮影した逃げ惑う観光客をとらえたビデオが四川省大地震の3日後放映されましたが、凄まじいものでした。もし二年前私が行った時の事と思うと人ごとではありません。
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今 日 の 一 枚
中国道教発祥の地 青城山
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。
使用した写真は、中国道教発祥の地 青城山観光 (その2) です。後漢の末期、道教の前身といわれている宗教集団五斗米道(天師道ともいう)の創始者張陵が布教を始めたのが、ここ青城山。
月城湖にて船に乗り対岸へ→リフトで高度を稼ぎ→上清宮→条灯亭と巡りました。急な石の階段が多く厳しい暑さには参りました。
この急峻な青城山で、欧州の観光客が撮影した逃げ惑う観光客をとらえたビデオが四川省大地震の3日後放映されましたが、凄まじいものでした。もし私が行った時と思うと人ごとではありません。
今 日 の 一 枚
中国道教発祥の地 青城山観光
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。
使用した写真は、中国道教発祥の地 青城山観光 (その1) です。後漢の末期、道教の前身といわれている宗教集団五斗米道(天師道ともいう)の創始者張陵が布教を始めたのが、ここ青城山。
月城湖にて船に乗り対岸へ→リフトで高度を稼ぎ→上清宮→条灯亭と巡りました。急な石の階段が多く厳しい暑さには参りました。
この急峻な青城山で、欧州の観光客が撮影した逃げ惑う観光客をとらえたビデオが四川省大地震の3日後放映されましたが、凄まじいものでした。もし私が行った時と思うと人ごとではありません。
今 日 の 一 枚
中国道教発祥の地 青城山観光
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今日の日替わりjava作品はbublle。画像の中をフワフワといくつもの泡が舞い上がっていきます。
使用した写真は、都江堰の景観 (その4) です。成都の北西59km、灌県の眠江上流にある水利工事跡。初めは都安堰と呼ばれていたが、10世紀以降、都江堰というようになった。この工事は、紀元前3世紀に眠江の氾濫を防ぐために蜀の郡守李泳が指揮をとって始まった。
大規模な工事は息子の李二郎が受け継いだが、完成するのは彼の死後、数世紀経ってからのことだった。
都江堰は基本的に魚鴫、飛沙堰、宝瓶ロの三部分からなる。眠江の流れはまず、人工の中洲によって外江(上流に向かって左)と内江(上流に向かって右)に分かれる。外江はそのまま眠江として下流へ流れて行くが、内江は潅既用水として宝瓶口へ流れ込み、さらにいくつかの用水路に振り分けられて成都平原へと流れていく。 都江堰の東岸にある二王廟は、李親子の徳を称えるために、南北朝時代に建てられたものである。はるか昔におこなわれた工事がいまだに大きな力を及ぼしている中国の文明の偉大さを感じる。
百年かけても築け無かったこの水利施設が完成したのは発想の転換でした。李氷親子の前は丈夫な高い堤防を築けばと考えていたのですが自然の猛威には太刀打ちできなかったのです。そこで蜀の郡守李泳3枚目の画像にあるように、川底を深く掘り、堤防を低くすれば良いのではと考え、成功したのだそうです。
今 日 の 一 枚
都江堰
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今日の日替わりjava作品はballon。画像の中をフワフワといくつもの風船が舞い上がっていきます。
使用した写真は、都江堰の景観 (その3) です。成都の北西59km、灌県の眠江上流にある水利工事跡。初めは都安堰と呼ばれていたが、10世紀以降、都江堰というようになった。この工事は、紀元前3世紀に眠江の氾濫を防ぐために蜀の郡守李泳が指揮をとって始まった。
大規模な工事は息子の李二郎が受け継いだが、完成するのは彼の死後、数世紀経ってからのことだった。
都江堰は基本的に魚鴫、飛沙堰、宝瓶ロの三部分からなる。眠江の流れはまず、人工の中洲によって外江(上流に向かって左)と内江(上流に向かって右)に分かれる。外江はそのまま眠江として下流へ流れて行くが、内江は潅既用水として宝瓶口へ流れ込み、さらにいくつかの用水路に振り分けられて成都平原へと流れていく。 都江堰の東岸にある二王廟は、李親子の徳を称えるために、南北朝時代に建てられたものである。はるか昔におこなわれた工事がいまだに大きな力を及ぼしている中国の文明の偉大さを感じる。
百年かけても築け無かったこの水利施設が完成したのは発想の転換でした。李氷親子の前は丈夫な高い堤防を築けばと考えていたのですが自然の猛威には太刀打ちできなかったのです。そこで蜀の郡守李泳3枚目の画像にあるように、川底を深く掘り、堤防を低くすれば良いのではと考え、成功したのだそうです。
今 日 の 一 枚
都江堰
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今日の日替わりjava作品は、画像を色々な方向にスクロールさせます。画像の端にマウスを置いてみて下さい。マウスの位置の方向に画像が移動します。八方向が設定してあります。
移動を停止するには、STOPボタンをクリックして下さい。画像にマウスオンすると、また移動します。
その横の紫色のボタンは画像の拡大ボタンです。大きなボタンを押すと拡大し、小さなボタンを押すと縮小します。
使用した写真は、都江堰の景観 (その2) です。成都の北西59km、灌県の眠江上流にある水利工事跡。初めは都安堰と呼ばれていたが、10世紀以降、都江堰というようになった。この工事は、紀元前3世紀に眠江の氾濫を防ぐために蜀の郡守李泳が指揮をとって始まった。
大規模な工事は息子の李二郎が受け継いだが、完成するのは彼の死後、数世紀経ってからのことだった。
都江堰は基本的に魚鴫、飛沙堰、宝瓶ロの三部分からなる。眠江の流れはまず、人工の中洲によって外江(上流に向かって左)と内江(上流に向かって右)に分かれる。外江はそのまま眠江として下流へ流れて行くが、内江は潅既用水として宝瓶口へ流れ込み、さらにいくつかの用水路に振り分けられて成都平原へと流れていく。 都江堰の東岸にある二王廟は、李親子の徳を称えるために、南北朝時代に建てられたものである。はるか昔におこなわれた工事がいまだに大きな力を及ぼしている中国の文明の偉大さを感じる。
百年かけても築け無かったこの水利施設が完成したのは発想の転換でした。李氷親子の前は丈夫な高い堤防を築けばと考えていたのですが自然の猛威には太刀打ちできなかったのです。そこで蜀の郡守李泳3枚目の画像にあるように、川底を深く掘り、堤防を低くすれば良いのではと考え、成功したのだそうです。
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都江堰
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使用した写真は、都江堰の景観 (その1) です。成都の北西59km、灌県の眠江上流にある水利工事跡。初めは都安堰と呼ばれていたが、10世紀以降、都江堰というようになった。この工事は、紀元前3世紀に眠江の氾濫を防ぐために蜀の郡守李泳が指揮をとって始まった。
大規模な工事は息子の李二郎が受け継いだが、完成するのは彼の死後、数世紀経ってからのことだった。
都江堰は基本的に魚鴫、飛沙堰、宝瓶ロの三部分からなる。眠江の流れはまず、人工の中洲によって外江(上流に向かって左)と内江(上流に向かって右)に分かれる。外江はそのまま眠江として下流へ流れて行くが、内江は潅既用水として宝瓶口へ流れ込み、さらにいくつかの用水路に振り分けられて成都平原へと流れていく。 都江堰の東岸にある二王廟は、李親子の徳を称えるために、南北朝時代に建てられたものである。はるか昔におこなわれた工事がいまだに大きな力を及ぼしている中国の文明の偉大さを感じる。
百年かけても築け無かったこの水利施設が完成したのは発想の転換でした。李氷親子の前は丈夫な高い堤防を築けばと考えていたのですが自然の猛威には太刀打ちできなかったのです。そこで蜀の郡守李泳3枚目の画像にあるように、川底を深く掘り、堤防を低くすれば良いのではと考え、成功したのだそうです。
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都江堰
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。
使用した写真は、都江堰を訪ねて(その2) です。成都の北西59km、灌県の眠江上流にある水利工事跡。初めは都安堰と呼ばれていたが、10世紀以降、都江堰というようになった。この工事は、紀元前3世紀に眠江の氾濫を防ぐために蜀の郡守李泳が指揮をとって始まった。
大規模な工事は息子の李二郎が受け継いだが、完成するのは彼の死後、数世紀経ってからのことだった。
都江堰は基本的に魚鴫、飛沙堰、宝瓶ロの三部分からなる。眠江の流れはまず、人工の中洲によって外江(上流に向かって左)と内江(上流に向かって右)に分かれる。外江はそのまま眠江として下流へ流れて行くが、内江は潅既用水として宝瓶口へ流れ込み、さらにいくつかの用水路に振り分けられて成都平原へと流れていく。 都江堰の東岸にある二王廟は、李親子の徳を称えるために、南北朝時代に建てられたものである。はるか昔におこなわれた工事がいまだに大きな力を及ぼしている中国の文明の偉大さを感じる。
百年かけても築け無かったこの水利施設が完成したのは発想の転換でした。李氷親子の前は丈夫な高い堤防を築けばと考えていたのですが自然の猛威には太刀打ちできなかったのです。そこで蜀の郡守李泳3枚目の画像にあるように、川底を深く掘り、堤防を低くすれば良いのではと考え、成功したのだそうです。
今 日 の 一 枚
都江堰
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はshuffle。トランプを切るようにして画像を切り替えます。画像マウスオンで切替を停止できます。
使用した写真は、都江堰を訪ねて(その1) です。成都の北西59km、灌県の眠江上流にある水利工事跡。初めは都安堰と呼ばれていたが、10世紀以降、都江堰というようになった。この工事は、紀元前3世紀に眠江の氾濫を防ぐために蜀の郡守李泳が指揮をとって始まった。
大規模な工事は息子の李二郎が受け継いだが、完成するのは彼の死後、数世紀経ってからのことだった。
都江堰は基本的に魚鴫、飛沙堰、宝瓶ロの三部分からなる。眠江の流れはまず、人工の中洲によって外江(上流に向かって左)と内江(上流に向かって右)に分かれる。外江はそのまま眠江として下流へ流れて行くが、内江は潅既用水として宝瓶口へ流れ込み、さらにいくつかの用水路に振り分けられて成都平原へと流れていく。 都江堰の東岸にある二王廟は、李親子の徳を称えるために、南北朝時代に建てられたものである。はるか昔におこなわれた工事がいまだに大きな力を及ぼしている中国の文明の偉大さを感じる。
展望台→二王廟(李親子を祀る)→安瀾橋(つり橋)→魚嘴(堤防を兼ねる中州の最上流部)の順に巡ります。
今 日 の 一 枚
都江堰
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使用した写真は、四 川 省 旅 日 記(その18) です。
第十一・二日目 綿陽→広漢→成都→広州経由帰国
08:00 ホテル出発。
09:30 広漢の町に入る。人口約30万人。
10:00 三星推博物館・・・三星推文明:4900年~2800年前に栄えた文明。文字が無かった
ため、どのような民族だったか、銅の鋳造技術など謎が多い。人口は4万人程だ
ったらしい。遺跡面積12万平方キロメートル。金杖、玉器、銅像など、国宝もズ
ラリ。
大型縦目仮面(青銅製 65×137㎝)、
鳥頭(青銅製 40.3㎝鳥は信仰の
対象だった)、青銅立像(2.6m)
12:00 昼食 博物館レストランにて。
メニュー:魚、麻婆豆腐、スープ、空心菜の炒め物の等。
13:00 成都へ向け出発。高速に乗る。
14:30 杜甫草堂・・・杜甫(712~770年)「詩聖」と呼ばれる大詩人。759年から4年間こ
こに住み、全1400首のうち240首あまりをここで詠んだ。草堂は復元だが位置
は同じ。町の中のオアシスとなっている。
15:50 成都 ご宿泊ホテル「西蔵飯店」到着。
18:00 夕食 レストラン「欽善斉」にて薬膳四川料理。
20:00 四川省名物川劇鑑賞。変面、人形、影絵等すごい技!
22:00 ホテル到着。
07:30 成都発空路広州へ。
09:30 広州着。豪華な広東料理を食す。
15:10 広州発空路成田へ。
20:25 成田着。
今 日 の 一 枚
大型縦目仮面(青銅製 65×137㎝)
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使用した写真は、四 川 省 旅 日 記(その17) です。
第十日目 九賽溝→平武→綿陽
07:40 ホテル出発。平武へ向かう。
10:40 ホトトギス峠(3200m)にて写真ストップ。
雲がかかりホトトギス山(4100m)は見えず…。気温14℃、小雨がぱらつく。
この辺りの村落には白馬チベット族が暮らす。
12:30 昼食 平武レストラン 山珍王酒家にて。
メニュー:きのこ料理各種、麻婆豆腐、山菜の炒め物等。
13:30 報恩寺・・・明代の建築当初のものがほぼ完全に残っている。丈夫で耐震性に優れ
た建築方法。最初は宮殿として造られたのを寺院に変えた。
天王殿(四天王の彫像)→華厳蔵(高さ11mのマニ車)→大雄宝殿(三世仏の
本尊)→萬仏閣(釈迦三尊)
14:20 綿陽へ向け出発。
16:00 トイレストップ。培江沿いを走る。この辺りは養蚕地。
17:40 綿陽到着。
17:50 ホテル「富楽山酒店」に到着。小高い丘の上の静かなホテル。
19:00 夕食 ホテルレストランにて。
メニュー:卵豆腐、モロヘイヤの炒め物、スイカ等。
今 日 の 一 枚
報恩寺
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。更に、手動・自動の切替が出来ます。
使用した写真は、四 川 省 旅 日 記(その16) です。
第九日目(後半) 九賽溝ハイキング
15:30 樹正溝ハイキング・・・昨日(車道)とは別の木道コース。
犀牛海→末名海→老虎海→樹正爆布→樹正群海→双龍海→臥龍海→火花海→蘆葦海
お花畑を通ったりの約8kmのコースでした。湖のまた違った雰囲気を楽しみました。
18:15 ホテル到着。
19:00 夕食 ホテルレストランにて。
今 日 の 一 枚
臥龍海
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。更に、手動・自動の切替が出来ます。
使用した写真は、四 川 省 旅 日 記(その15) です。
第九日目(前半) 九賽溝観光
09:00 ホテル出発。引き続き九賽溝の観光へ。
09:15 専用バスに乗り換え、日則溝の観光スタート。
10:00 五花海にて写真ストップ。すばらしくきれいな湖の色。倒木から浮州ができて
いる。
10:30 日則溝の終点、原始森林の散策。九賽溝の奥地、木々の生い茂る森林。
11:00 天鵝海・・・ツバメが飛び回っている。水中の藻がまるで白鳥の羽のよう。
12:00 パンダ海・・・空のように青い湖の色。魚がたくさん。
12:30 昼食 昨日と同じく民族文化村近くの食堂にて。
メニュー:キャベツの炒め物、ピリ辛じゃがいも等。
13:45 五花海より日則溝ハイキングスタート。孔雀河道より木道に入る。珍珠灘(真
珠灘)・・・小枝の間を流れる水が真珠のようなしぶきを作る。→珍珠灘爆布・・珍
珠灘のすぐ下にある滝。高さ28m。鏡海(車窓)…鏡のような湖面からこの名前
がつけられた。深さ15m
今 日 の 一 枚
五花海・・・すばらしくきれいな湖の色。
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。更に、手動・自動の切替が出来ます。
使用した写真は、四 川 省 旅 日 記(その14) です。
第八日目(午後) 九賽溝観光
13:45 昼食 民族文化村近くの食堂にて。
メニュー:ごはん、きくらげの炒め物、ピリ辛じゃがいも等。
食後、付近を散策。雨が降ってきた。
14:50 午後のショートハイキング・・・双龍海(二匹の龍が沈んでいるという伝説。水中
の倒木がよく見える)→臥龍海(水中の岩が横たわる竜の影を作る)→臥龍海(水中の岩が横たわる竜の影を作る)→蘆葦海(葦の生い茂る湿地)→盆景灘(盆栽の
ような風景)
16:40 ホテル到着。
19:00 夕食ホテルレストランにて。
メニュー:麻婆豆腐、うどん、豚の鼻、青菜の炒め物等。
22:00 九賽溝国際大酒店にてチベット民族舞踊。
今 日 の 一 枚
双龍海(二匹の龍が沈んでいるという伝説。水中の倒木がよく見える)
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。更に、手動・自動の切替が出来ます。
使用した写真は、四 川 省 旅 日 記(その13) です。
第八日目(午前) 九賽溝滞在
09:00 ホテル出発。九賽溝の観光へ。
09:30 専用バスに乗り換え、則査窪溝(ソクケサイコウ)より観光スタート。
10:00 犀牛海にて写真ストップ。鏡のような湖面に、山、木々が映る。アネモネ、
ヨモギ、リンドウ等が咲いている。
10:50 長海(九賽溝で最も大きな湖。長さ7.5km)→五彩池(石段を下りていくと美し
いサファイアブルーの湖。神秘的な青)
12:45 諾日朗爆布(3つの流れが合流する所にある滝)
13:15 老虎海(たくさんの魚が泳いでいた)→樹正爆布(水量豊富な迫力の滝、木
道を歩く)→水車を利用して回るマニ車小屋→樹正群海(木で仕切られたいく
つもの池)
今 日 の 一 枚
犀牛海 鏡のような湖面に、山、木々が映る
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今日の日替わりjava作品はスライドショウで、手法はページめくり。本の真ん中からページをめくります。更に、手動・自動の切替が出来ます。
使用した写真は、四川省旅日記(その12) です。
第七日目(その2) 黄龍→(チベット民族村)→九寨溝
15:10 ゲザル王営盤…チベット民族村。青裸酒蒸留所→バター茶を作っている所→
フェルト生地作っている所→フェルト生地作っている所→教張を作っている所→客室再現→
鍛冶屋→タンカ印刷所→仏像展示室
16:10 甘海子にて紫の花畑写真ストップ。
17:10 九賽溝ホテル「新九賽溝賓館」到着。
19:00 夕食 ホテルレストランにて。
メニュー:豚肉の炒め物、白菜の炒め物、豆腐あんかけ等。
今 日 の 一 枚
チベット民族村
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使用した写真は、四川省旅日記(その11)です。
第七日目(その1) 黄龍→(川主寺)→九寨溝
10:00 ホテル出発。
10:30 雪谷梁子峠にて写真ストップ。雪宝頂が見えました。気温10℃!寒い。
11:10 農村、お寺を見下ろすポイントで写真ストップ。
12:00 昼食 川主寺レストラン「陽光酒店」にて
メニュー:揚げポテト、麻婆豆腐、チンジャオロース等。少し辛め。
食後、川主寺の町を散策。
13:45 小西天ガメ寺…ボン教の大きなお寺。現在180人の僧がいる。裏山は聖山になっ
ており、28代目の生き仏が瞑想している。
14:40 民江源流にて写真ストップ…本当の水源まではあと7km。馬で行く。
今 日 の 一 枚
雪宝頂