2013年02月の記事


02月28日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってユーラシア大陸最西端 ロカ岬を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第五日目(その6)です。北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸の最西端の地が、ここロカ岬だ。ポルトガルで最も知られた詩人であるルイス・デ・カモンエスが『ウズ・ルジアダス』の中で詠ん一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeca)」。この詩は、岬に立つ十字架の塔に刻まれている。
 大西洋からの風を受けながら岬に立ち、遠く海の先を眺めていると、その昔、大陸を目指した人たちの夢と希望と冒険心がほんの少し分かる気になるから不思議だ。
 岬の風景は、険しく切り立った断崖になっている。岬突端の展望台に立ち、断崖絶壁を見下ろすと、海面は140m下にあり、足がすくむほどだ。強風も手伝って、岩肌に打ち付ける波は深く鈍い音を立てて砕け散っていく。それでも展望台は手摺りもあり、コンクリートで足場も固められているので、安心して景色を堪能できる。少し周辺を歩くとなると、柵も手摺りもなく、足場は崩れやすそうな土、そして断崖が続く。風も強くあおられそうになることも多いので、崖には欲張って近づかないように注意したい。周囲に目を転じると、あたりは荒涼とした野っ原に、季節の草花が生い茂る自然のままの姿が見られる。また、有料だがユーラシア大陸最西端到達証明書がもらえる。証明書には名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれている。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ユーラシア大陸最西端 ロカ岬


コメント (0)

02月27日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってユーラシア大陸最西端 ロカ岬を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第五日目(その5)です。北緯38度47分、西経9度30分、ユーラシア大陸の最西端の地が、ここロカ岬だ。ポルトガルで最も知られた詩人であるルイス・デ・カモンエスが『ウズ・ルジアダス』の中で詠ん一節「ここに地終わり海始まる(Onde a terra acaba e o mar comeca)」。この詩は、岬に立つ十字架の塔に刻まれている。
 大西洋からの風を受けながら岬に立ち、遠く海の先を眺めていると、その昔、大陸を目指した人たちの夢と希望と冒険心がほんの少し分かる気になるから不思議だ。
 岬の風景は、険しく切り立った断崖になっている。岬突端の展望台に立ち、断崖絶壁を見下ろすと、海面は140m下にあり、足がすくむほどだ。強風も手伝って、岩肌に打ち付ける波は深く鈍い音を立てて砕け散っていく。それでも展望台は手摺りもあり、コンクリートで足場も固められているので、安心して景色を堪能できる。少し周辺を歩くとなると、柵も手摺りもなく、足場は崩れやすそうな土、そして断崖が続く。風も強くあおられそうになることも多いので、崖には欲張って近づかないように注意したい。周囲に目を転じると、あたりは荒涼とした野っ原に、季節の草花が生い茂る自然のままの姿が見られる。また、有料だがユーラシア大陸最西端到達証明書がもらえる。証明書には名前・日付等が入り、裏面には主要国の言葉で書かれた上記の詩(日本語もある)が書かれている。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


ユーラシア大陸最西端 ロカ岬


コメント (0)

02月26日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、Java image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。
使用した写真は、シントラの王宮の庭園です。シントラ王宮の歴史は、イスラム教徒がイベリア半島を支配していた時代から始まる。その頃シントラには2つの城があった。一つはシントラをのぞむ丘の上に立つ城で、カステロ・ドス・モウロス(Castelo dos Mouros,ムーア人の城、という意味)と呼ばれていた。この城は現在廃墟となっている。もう一つは、下り坂に位置し、シントラ地方を治めるムーア人支配者の住居となっていた。12世紀、シントラの村はポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケス(のちのポルトガル王アフォンソ1世)によって征服され、彼はムーア人の住居を我が物とした。ゴシック様式、マヌエル様式、イスラム風建築が現在の城で混在しているが、これは15世紀から16世紀初頭にかけての建築の結果である。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


シントラの王宮の庭園


コメント (0)

02月25日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってシントラの王宮やペナ宮殿を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第五日目(その4)です。シントラ(Sintra)は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。かつては王室の夏の離宮も置かれ、王宮とペナ宮殿はユネスコの「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光拠点でもある。
使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


建築様式が混在したシントラの王宮


コメント (0)

02月24日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってシントラの王宮やペナ宮殿を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第五日目(その3)です。シントラ(Sintra)は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。かつては王室の夏の離宮も置かれ、王宮とペナ宮殿はユネスコの「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光拠点でもある。
使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


建築様式が混在したシントラの王宮


コメント (0)

02月23日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってシントラの王宮やペナ宮殿を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第五日目(その2)です。シントラ(Sintra)は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。かつては王室の夏の離宮も置かれ、王宮とペナ宮殿はユネスコの「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光拠点でもある。
使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


建築様式が混在したシントラの王宮


コメント (0)

02月22日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはジグソウパズルです。絵の中にマウスを入れると16分割されたイメージが入れ替わりながら元の絵になります。 マウスを絵の外に出すと絵を16分割して、分割されたイメージをランダムに配置します。コンピュータのくせに間違えるのがご愛敬。何回か挑戦してみてください。気が短い方は画面の中でクリックすれば正解になります。

使用した写真は、シントラの王宮です。シントラ王宮の歴史は、イスラム教徒がイベリア半島を支配していた時代から始まる。その頃シントラには2つの城があった。一つはシントラをのぞむ丘の上に立つ城で、カステロ・ドス・モウロス(Castelo dos Mouros,ムーア人の城、という意味)と呼ばれていた。この城は現在廃墟となっている。もう一つは、下り坂に位置し、シントラ地方を治めるムーア人支配者の住居となっていた。12世紀、シントラの村はポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケス(のちのポルトガル王アフォンソ1世)によって征服され、彼はムーア人の住居を我が物とした。ゴシック様式、マヌエル様式、イスラム風建築が現在の城で混在しているが、これは15世紀から16世紀初頭にかけての建築の結果である。

使用したclassファイルはShuffleImag.classです。

今 日 の 一 枚


建築様式が混在したシントラの王宮


コメント (0)

02月21日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、シントラ王宮全貌です。シントラ王宮の歴史は、イスラム教徒がイベリア半島を支配していた時代から始まる。その頃シントラには2つの城があった。一つはシントラをのぞむ丘の上に立つ城で、カステロ・ドス・モウロス(Castelo dos Mouros,ムーア人の城、という意味)と呼ばれていた。この城は現在廃墟となっている。もう一つは、下り坂に位置し、シントラ地方を治めるムーア人支配者の住居となっていた。12世紀、シントラの村はポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケス(のちのポルトガル王アフォンソ1世)によって征服され、彼はムーア人の住居を我が物とした。ゴシック様式、マヌエル様式、イスラム風建築が現在の城で混在しているが、これは15世紀から16世紀初頭にかけての建築の結果である。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今 日 の 一 枚


シントラ王宮全貌


コメント (0)

02月20日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってシントラの王宮やペナ宮殿を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第五日目(その1)です。シントラ(Sintra)は、ポルトガルの都市で、首都・リスボンに隣接する地方自治体である。シントラの市街地には約27,000人が居住しているが、市全域では、36万人を超える人口を誇る。かつては王室の夏の離宮も置かれ、王宮とペナ宮殿はユネスコの「シントラの文化的景観」の名前で世界遺産に登録されている。また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光拠点でもある。
使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


シントラ王宮内部


コメント (0)

02月19日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはdessan、描画しながら彩色していきます。

使用した写真は、エストレモスの街散策です。エストレモスはゆるやかな丘陵の上に建つ二重の城壁で囲まれた町で、陶器や、土人形で有名である。中世のままの塔と壁のある「上の町」と人々の生活の場の「下の町」から、成っている。半日くらいで歩ける、小さな町である。郊外には、大理石の採石場が、多く存在している。

使用したclassファイルはDrawInImage.classです。

今 日 の 一 枚


エストレモスの街散策


コメント (0)

02月18日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはジグソウパズルです。絵の中にマウスを入れると16分割されたイメージが入れ替わりながら元の絵になります。 マウスを絵の外に出すと絵を16分割して、分割されたイメージをランダムに配置します。コンピュータのくせに間違えるのがご愛敬。何回か挑戦してみてください。気が短い方は画面の中でクリックすれば正解になります。

使用した写真は、エストレモスの街散策です。エストレモスはゆるやかな丘陵の上に建つ二重の城壁で囲まれた町で、陶器や、土人形で有名である。中世のままの塔と壁のある「上の町」と人々の生活の場の「下の町」から、成っている。半日くらいで歩ける、小さな町である。郊外には、大理石の採石場が、多く存在している。

使用したclassファイルはShuffleImage.classです。

今 日 の 一 枚


エストレモスの街散策


コメント (0)

02月17日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、Java image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。
使用した写真は、エストレモスの街散策です。エストレモスはゆるやかな丘陵の上に建つ二重の城壁で囲まれた町で、陶器や、土人形で有名である。中世のままの塔と壁のある「上の町」と人々の生活の場の「下の町」から、成っている。半日くらいで歩ける、小さな町である。郊外には、大理石の採石場が、多く存在している。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


エストレモスの街散策


コメント (0)

02月16日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってエストレモスの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その7)です。エストレモスはゆるやかな丘陵の上に建つ二重の城壁で囲まれた町で、陶器や、土人形で有名である。中世のままの塔と壁のある「上の町」と人々の生活の場の「下の町」から、成っている。半日くらいで歩ける、小さな町である。郊外には、大理石の採石場が、多く存在している。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


エストレモスの街散策


コメント (0)

02月15日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってエヴォラの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その6)です。エヴォラ(Evora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町である。人口は、55,619人。面積は、1307.0平方キロメートルであり、スペイン国境に近い。旧市街は1986年に、ユネスコの世界遺産に「エヴォラ歴史地区」の名で登録された歴史ある街である。ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもある。1584年9月には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街でもある。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


エヴォラの街散策


コメント (0)

02月14日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってエヴォラの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その5)です。エヴォラ(Evora) はポルトガル南東部アレンテージョ地方にある町である。人口は、55,619人。面積は、1307.0平方キロメートルであり、スペイン国境に近い。旧市街は1986年に、ユネスコの世界遺産に「エヴォラ歴史地区」の名で登録された歴史ある街である。ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもある。1584年9月には、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街でもある。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


エヴォラの街散策


コメント (0)

02月13日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、Java image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。
使用した写真は、谷間の真珠オドビスの街です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月12日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはdessan、描画しながら彩色していきます。

使用した写真は、谷間の真珠オドビスの街です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。

使用したclassファイルはDrawInImage.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月11日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはジグソウパズルです。絵の中にマウスを入れると16分割されたイメージが入れ替わりながら元の絵になります。 マウスを絵の外に出すと絵を16分割して、分割されたイメージをランダムに配置します。コンピュータのくせに間違えるのがご愛敬。何回か挑戦してみてください。気が短い方は画面の中でクリックすれば正解になります。

使用した写真は、谷間の真珠オドビスの街です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。午前中時間をかけ、ゆったりと散策をした。

使用したclassファイルはShuffleImage.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月10日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、Java image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。
使用した写真は、谷間の真珠オドビスの街です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。午前中時間をかけ、ゆったりと散策をした。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月09日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってオドビスの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その4)です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。午前中時間をかけ、ゆったりと散策をした。4回に分けごらんいただきます。今日はその4回目です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月08日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってオドビスの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その3)です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。午前中時間をかけ、ゆったりと散策をした。4回に分けごらんいただきます。今日はその3回目です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月07日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってオドビスの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その2)です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。午前中時間をかけ、ゆったりと散策をした。4回に分けごらんいただきます。今日はその2回目です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月06日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってオドビスの街を散策してみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第四日目(その1)です。オドビスは、周囲を城壁に囲まれ、中世の街並みをそのまま残す小さな街、谷間の真珠オドビスと謳われる。カスティーリャから嫁入りした王妃へ送られたこの街は、1833年まで歴代の王妃の直轄地でもあった。午前中時間をかけ、ゆったりと散策をした。4回に分けごらんいただきます。今日はその1回目です。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


谷間の真珠オドビスの街


コメント (0)

02月05日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、Java image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。
使用した写真は、ペドロ1世とその妻の石棺です。1143年、ポルトガルの分離独立を果たした国王アフォンソ1世は、王国の地位を高めるために、シトー会を保護、その大修道院をアルコバサに建立しました。自給自足を行い、灌漑や農業の技術に長けたシトー会に土地を委譲し、周辺の荒地の開拓をも暗黙のうちに委任したのです。建設には約70年もかけ、1222年、サンタ・マリア修道院の主要部分は完成しました。聖堂の身廊部分は幅23m、高さ20m、奥行き106mで、初期ゴシック様式としてはポルトガル最大の聖堂になりました。禁欲主義の規約どうり、簡潔に仕上げられましたが、唯一、華麗な装飾が施されたペドロ1世とその妻の石棺は、ポルトガルのゴシック芸術の至宝と言われています。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


ペドロ1世の石棺


コメント (0)

02月04日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってアルコバサのサンタマリア修道院を訪ねてみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第三日目(その7)です。1143年、ポルトガルの分離独立を果たした国王アフォンソ1世は、王国の地位を高めるために、シトー会を保護、その大修道院をアルコバサに建立しました。自給自足を行い、灌漑や農業の技術に長けたシトー会に土地を委譲し、周辺の荒地の開拓をも暗黙のうちに委任したのです。建設には約70年もかけ、1222年、サンタ・マリア修道院の主要部分は完成しました。聖堂の身廊部分は幅23m、高さ20m、奥行き106mで、初期ゴシック様式としてはポルトガル最大の聖堂になりました。禁欲主義の規約どうり、簡潔に仕上げられましたが、唯一、華麗な装飾が施されたペドロ1世とその妻の石棺は、ポルトガルのゴシック芸術の至宝と言われています。水力利用に長けたシトー会だけあって、川の水を引き込んだ厨房や水洗便所も設備されています。近世には、中世の修道院に18世紀の台所を追加し、機能性を高めたことも貴重とされています。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


サンタマリア修道院の水利施設


コメント (0)

02月03日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットはスライドショウで手法はorigami、紙飛行機に乗ってアルコバサのサンタマリア修道院を訪ねてみましょう。

使用した写真は、ポルトガルの旅 第三日目(その6)です。1143年、ポルトガルの分離独立を果たした国王アフォンソ1世は、王国の地位を高めるために、シトー会を保護、その大修道院をアルコバサに建立しました。自給自足を行い、灌漑や農業の技術に長けたシトー会に土地を委譲し、周辺の荒地の開拓をも暗黙のうちに委任したのです。建設には約70年もかけ、1222年、サンタ・マリア修道院の主要部分は完成しました。聖堂の身廊部分は幅23m、高さ20m、奥行き106mで、初期ゴシック様式としてはポルトガル最大の聖堂になりました。禁欲主義の規約どうり、簡潔に仕上げられましたが、唯一、華麗な装飾が施されたペドロ1世とその妻の石棺は、ポルトガルのゴシック芸術の至宝と言われています。水力利用に長けたシトー会だけあって、川の水を引き込んだ厨房や水洗便所も設備されています。近世には、中世の修道院に18世紀の台所を追加し、機能性を高めたことも貴重とされています。

使用したclassファイルはphotoalbum.classです。

今 日 の 一 枚


アルコバサ サンタマリア修道院


コメント (0)

02月02日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、Java image filters というアプレットで、絵の中にマウスカーソルを入れると絵がカラーで表示されます。カラー表示された絵の中からマウスカーソルを外に出すと表示が白黒になります。
使用した写真は、ナザレの海と一羽のカモメです。ナザレは、絵のように美しい海辺の村として町を売り込み、人気の観光地となった。大西洋に面し、長い砂浜を持ち、夏期には観光客で混雑する(ポルトガルでも良質の砂浜とされる)。
 町は3つの要素からなる。ア・プライアは海岸部、オ・シーティオは丘陵の頂上の旧市街、ペデルネイラはその他丘陵頂上部である。ア・プライアとオ・シーティオとはケーブルカーで行き来ができる。
 海岸から標高110m地点の岩の上にあるシーティオに、最初の定住地ができた。住民は、バルバリア海賊、フランス、イギリス、オランダ各国の海賊たちからの略奪を避けるため安全な基地を作ったのである。こういった襲撃は、19世紀初頭まであった。

使用したclassファイルはColorizeImage.classです。

今 日 の 一 枚


ナザレの海と一羽のカモメ


コメント (0)

02月01日のアプレット


ここをクリックすると日替わりアプレットへ跳びます

今日の日替わりアプレットは、ビデオカメラで撮影しているように思えるアプレットです。

使用した写真は、展望台とナザレの海です。ナザレは、絵のように美しい海辺の村として町を売り込み、人気の観光地となった。大西洋に面し、長い砂浜を持ち、夏期には観光客で混雑する(ポルトガルでも良質の砂浜とされる)。
 町は3つの要素からなる。ア・プライアは海岸部、オ・シーティオは丘陵の頂上の旧市街、ペデルネイラはその他丘陵頂上部である。ア・プライアとオ・シーティオとはケーブルカーで行き来ができる。
 海岸から標高110m地点の岩の上にあるシーティオに、最初の定住地ができた。住民は、バルバリア海賊、フランス、イギリス、オランダ各国の海賊たちからの略奪を避けるため安全な基地を作ったのである。こういった襲撃は、19世紀初頭まであった。

使用したclassファイルはJcam.classです。

今 日 の 一 枚


、展望台とナザレの海


コメント (0)