2024年08月の記事


「赤い鳥居」「中雪裡から遷座」 富士見神社=『わはマチの人物地図 第2集』1971年
 「赤い鳥居」「中雪裡から遷座」 富士見神社=『わはマチの人物地図 第2集』1971年

 赤い鳥居の富士見神社 
 湖陵高校の正門前から右に降りたところに赤い鳥居のある小さな社殿が建っている。名前は富士見神社、祭られているご神体は〝お稲荷さん″。もとより禰宜や神主をおくほどの独立した神社というわけではなく、地域の有志が信仰のよりどころとする〝講中のお社(やしろ)″といったものだろう。それにしても、四十年近くの間、毎月の九日の例祭、二日(引用者注 二月か)の初午、七月九日の本祭は冨士見の大切な〝暦″。住民の、特にお年寄りたちの心の中に深く根ざしているのである。(釧路新聞社編・発行『わがマチの人物地図 第2集』 52ページ 1971年)

 鶴居中雪裡から遷座
 もともとはこの神社、中雪裡のふ化場にあった。昭和七年、ふ化場が閉鎖するにあたり、神社がそのままになってしまうのは惜しいと吉田爲造さんを仲立ちに、高橋喜惣衛門、植草悦三郎、三沢桂之助さんらが中心となって富士見に遷営する。これが七月九日、いらい同日を大祭、毎月九日を例祭と定めたわけだ。
 十数年前まで、大祭はにぎやかなものだった。住民から寄付を集め、神社の前には屋台を組んで演芸大会などを開いたりした。三沢さん、植草さんら古老は世話人ととなって神社の存在を地域と結びつけてきた。(釧路新聞社編・発行『わがマチの人物地図 第2集』 52ページ 1971年)

 アシペツ川=国土地理院地図表記、雪裡川支流、雪裡川に幌呂川が合流する地点の北に合流点あり https://maps.gsi.go.jp/#13/43.186251/144.341235/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f2。
 鶴居芦別川=釧路川水系 地図(国土数値情報河川データセット https://geoshape.ex.nii.ac.jp/river/resource/810109/8101090008/)。
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「神のため努力」=奮闘 「ムスリムとして日本に生きる 私にとっての『ジハード』」250825こころの時代nhkETV
 「神のために努力せよ」=父が説明した本当の意味 「こころの時代 ムスリムとして日本に生きる 私にとっての『ジハード』」250825nhkETV

パキスタン出身。日本で活動するクレイシ・ハールーンさん(58)さん。
 イスラームのモスク「マスジド大塚」は「生活困窮者への支援を続けてきた」が、その活動を支える事務局長。
 自身の活動を「ジハード」だと語る。

 「ジハード=聖戦」の意が独り歩き。9.11や、中東で繰り広げられる対立から、正しく理解されているとは言い難いイスラームの教え。
 クレイシ・ハールー氏は父の薫陶をえて、「ジハード=聖戦」ではなく、「ジハードとは<神のために努力せよ>=奮闘」。
 それがイスラームの聖典「クルアーン」に書かれる「ジハード」。故に、その信仰を具体化する営為に、「生活困窮者への支援を続け」とする。
 
 「比較して対立点」を強調する哲学、他方で「関係重視で共有点」を確認する信仰。
 文化は<知>で自身をかえ、人と人を結節する観点があるように受け止める。

 (以下、番組案ない)=https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/L28ZQKLLRM/
 イスラームの聖典「クルアーン」に書かれる「ジハード」とは「奮闘」を意味する言葉。巷でイメージされる「聖戦」などを直接指す言葉ではない。1991年に留学のため来日以来、クレイシ・ハールーンさんは、日本の「隣人」のために尽くすことを自らの「ジハード」としてきた。その原点は、母国パキスタンの両親の教えにある。「マスジド大塚」の活動の積み重ねと、クレイシさんの「ジハード」としての生き方の信念を伺う。
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スクールカラーも相似たり=旧制中学の守護神? 赤い鳥居の富士見神社240902
 スクールカラーも相似たり=旧制中学の守護神? 赤い鳥居の富士見神社240902
 
 湖陵高校の正門前から右に降りたところに赤い鳥居のある小さな社殿が建っている。

 名前は富士見神社、祭られているご神体は〝お稲荷さん″。もとより禰宜や神主をおくほどの独立した神社というわけではなく、地域の有志が信仰のよりどころとする〝講中のお社(やしろ)″といったものだろう。

 それにしても、四十年近くの間、毎月の九日の例祭、二日(引用者注 二月か)の初午、七月九日の本祭は冨士見の大切な〝暦″。住民の、特にお年寄りたちの心の中に深く根ざしているのである。
(釧路新聞社編「赤い鳥居の富士見神社」 『わが町の人物地図 2』 釧路新聞社 1971年)
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甲子園球児の貴重体験 「私の人生の土台」。「(高校野球で)あのバックホーム」960821
 甲子園球児の貴重体験 「私の人生の土台」。「(高校野球で)あのバックホーム」960821

  「あのバックホームがあったから、こういう仕事に携われています」し、「試合が決まるプレーを見ると、そのたびに初心に返れます」。

 甲子園球児の貴重体験 「私の人生の土台」。「(高校野球で)あのバックホームがあったから、こういう仕事に携われて」。
 今は愛媛朝日テレビの社員だそうで。28年前の8月21日。やはり一本のバックホームで相手のチームを制し、自軍の勝利に導いた体験。
 2024年8月21日にも、同じケースで試合が終了。同じ9月21日であることがネットで話題に。

 「【甲子園】関東第一初V王手 飛田が起こした甲子園の奇跡 攻める守備生んだ『伝説のバックホーム』。
 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2024/08/22/kiji/20240822s00001002024000c.html
 甲子園球児の貴重体験 「私の人生の土台」。「(高校野球で)あのバックホーム」960821

 ▼矢野勝嗣氏(松山商OB、現愛媛朝日テレビ)談話全体。
 「映像を拝見しましたが、僕とは全然違う強肩で素晴らしいバックホームでした」。「忘れもしない8月21日にどこか運命的なものを感じます」。
 「仕事で今年の甲子園大会の開会式に訪れた際、当時のプレーがスコアボードに映し出されました」。「自分でありながら、自分でないような気持ちになりました」。
 「本来ならアウトになる距離ではなかったですから」。
 「私の人生の土台は高校野球」。「あのバックホームがあったから、こういう仕事に携われていますし、試合が決まるプレーを見ると、そのたびに初心に返れます」。
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みこし行列など催し物 7月第一土曜日例大祭=富士見神社240902
 富士見神社。釧路市富士見二丁目6番に奉祀。今や住宅街にたたずむ社(やしろ)。
 そのたたずまいから稲荷社と目される。

 9月2日 「住宅街の稲荷社 富士見神社」「ふ化場閉鎖 現在地遷座」
 10月7日 「旧制中学守護神 富士見社」「進学離釧者の回帰祈る」
 11月4日 「職業安定の守り神 富士見社」「生業の深化拡充 Uターン支える」

 『釧路新聞』は電子版で「みこし行列や催し多彩 6日、富士見神社例大祭」を掲載。
 「地域の祭りのトップを切って釧路市の富士見神社例大祭が6日、富士見公園などで開かれる」。「6月30日には富士見会館で最後の実行委員会が開かれ、催し物の詳細が決定」。「みこし行列やコーラやビールの早飲み競争など・・・・・・」(https://kushironews.jp/2024/07/04/520198/)。

 ほかにも釧路市連合町内会&釧路市社会福祉協議会の役員が、facebookに投稿している。
 みこし行列など催し物 7月第一土曜日例大祭=富士見神社240902
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さけ・ます孵化場 鶴居村の内水面漁業2017年
 さけ・ます孵化場 鶴居村の内水面漁業2017年

 釧路外二郡水産組合が雪裡川上流の鶴居芦別川(下雪裡西側)にふ化場をつくったのは大正十一年(一九二二年)のことであった。施設は昭和八年(一九三三年)に道に移管され、同十六年「北海道水産孵化場十勝支場雪裡事業場」と呼ばれるようになった。
 昭和二十七年、水産資源保護法が制定されたのを機に農林省所管として「北海道さけ・ます孵化場」が設置され、同施設は「十勝支場雪裡事業所」となり、昭和二十八年には鶴居事業所と改称された。昭和六十二年に第二事業場が作られた。
 (鶴居村史編さん委員会偏『鶴居村史 平成二十九年編』 鶴居村 2017年)

 ※「鶴居芦別川流路図」は『釧路川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット』240820 14時閲覧
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取水口&送水口 石積技術 石製導水管に漆喰 2023年国宝指定・通潤橋「よみがえる新日本紀行」230923
 取水口&送水口の標高低差 肥後石工の石積技術 石製導水管つなぐ「漆喰」のワザ 2023年国宝指定・通潤橋「よみがえる新日本紀行」230923

 惣庄屋・布田保之助の館得ついた「逆サイフォン」の仕組み。それは<地域の知恵>の代表作ではないか。
 肥後国矢部郷に蓄積された三つの知恵。2023年国宝指定「通潤橋」は、四方を河川に囲まれた白糸台地100haの水田を今に支える。

 1)取水口&吹上口=送水口の標高低差を生かした<逆サイフォン現象>。
 2)肥後・種山石工の石組技術
 3)吹き上がる水の力でもこわれない丈夫な通水管をつくるため、石造りの管と継ぎ目に「漆喰」を使う方法。

 惣庄屋は道路や用水路、石橋などをつくるも、その仕上げは「通潤橋=導水路」の建設。
 「白糸台地(通潤橋史料館から見て右側の高台)は、川が削り取った深い谷に囲まれている」「通潤橋がつくられるまでは湧き水などを利用した農業に限られていた」。
 (https://tsujunbridge.jp/about/)  そこに以下なる成果。
 「約100ヘクタールの新しい水田がつくられ」「用水路は、現在も白糸台地の農業を支える」。

 「地元の人々はその見回りと先人への感謝を忘れない」。
 240817放送「よみがえる新日本紀行 水のわたる橋 〜熊本県矢部町〜」。初回放送は23年9月23日。
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若衆・中老・長老 厳然たる和製技術の育成基盤 三河煙火師240817
若衆・中老・長老 厳然たる和製技術の育成基盤 三河煙火師240817

 8月16日、新釧路川河畔では「東郎流し」に続き「釧路新聞花火大会」が開催される。
 出かけるを厭う連れ合いは5F居室の北側の窓から観賞していた、が。
 遠隔では雲にさえぎられて、大輪の上半分が隠れてしまう景観も目につき、惜しまれる。

 今朝、5時25分からは2023年8月19日初回放送「煙火師群像〜愛知県三河地方〜 よみがえる新日本紀行」(1974年放送)。
 「身の安全を護るなら、竹は地震で選び、細工をしなければ」。初参加の「若衆」と呼ばれる生年は、懸命に竹の節 フシを削り取る。
 地域で永い伝統をもおつ手筒花火。若者たちが男を見せようと挑戦する、のだ。

 年齢階梯制に加えて、参加経験の期間が有無を。若衆・中老・長老の段階ごとに、作業に関わることの技術水準がモノを言う。
 仕上げには長老階層が、催行前夜の<夜露の湿り>を活用して、火薬を詰める。
「最後に登場するのは、炎が綱をつたわり走る華麗な「綱火(つなび)」。厳しい修行の末に緊張の一瞬に立ち向かう煙火師」。

 高度成長期。日本の技術水準を支えた、潜在的技術力。 三河煙火師の育成集団に、その<粋>を見つめる思い。
 職業花火師を支える無名のアマチュア花火師。今、本邦の技術水準劣化が伝えられr、リコールが繰り返し発生している。
 技術養成をエリート&其の他未熟労働力で賄おうとするとき、意外にも<国際競争力>で後れを取ることになるのでは、とりわけチェック機構の<脆弱>が目につくも。
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「生きていること」「卓球が当たり前にできて」=『当たり前じゃない』考える 早田ひなさん帰国後会見で240814
 「生きていること」「卓球が当たり前にできて」=『当たり前じゃない』考える 早田ひなさん帰国後会見で240814

 「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできておることというのが『当たり前じゃない』というのを感じたいなと思って。行ってみたいなと思っています」と語った。

 背景に「紛争地域出身の選手は道具がそろわずハンデ背負うことも」のタイトル
 早田選手は、「世界中を遠征し試合に出場」。「戦争や紛争地域出身の選手について道具がそろわずハンデを背負っていることが多い」と感じ、「戦争がなくならない現状に疑問」を覚えたという

  ジャーナリストの池上彰さんに「なぜ戦争は終わらないのでしょうか?」と質問したことがあった。そう紹介されている。
 時の池上氏はまさかの質問。承けて「本当に究極の問題で、簡単に答えることができない」と驚いた様子、と。
 かつて放送されていた教養バラエティ番組「教えてもらう前と後」(MBS、TBS系)の17年12月12日放送回に出演した早田選手。

 2024年8月14日、パリオリンピックでメダル獲得者が一堂に会する記者会見で。
 盂蘭盆の時節に「生きていること」と問い、無条件降伏の日を前に「自分が卓球がこうやって当たり前にできておること」を「当たり前じゃない』というのを感じたい」。
 戦中・戦時が記憶にもない国民の少ない時。

 著名人となった人の「特攻資料館を見学したい」。その意義を持続的に伝えよう。
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50年、口外許されぬ「兵士たちの“心の傷”」 戦場 心のキズ 兵士 NHK240813
 50年、口外許されぬ「兵士たちの“心の傷”」 戦場 心のキズ 兵士 NHK240813

 先の大戦。戦場でのストレスらを原因に、精神疾患を発症した兵士たち。
 戦争はなかなか、負われない。市民の目に見えない領域にも戦中・戦時の傷跡
 その存在は「皇軍の恥」で、「ひた隠しにされてきた」、と。

 “戦争神経症”= 不眠やうつ、激しいけいれん。
 800ページにわたる資料には、壮絶な戦場での体験から戦後も病に苦しみ、誰にも理解されず孤独を抱えて生きた兵士たちの姿が記録されていた、と。

 8月12日夜から放送。NHKラジオ深夜便。
 朝、4時代の放送は「戦場 心のキズ 兵士」。
 「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表 黒井秋夫氏が登場。

 患者家族が語る、みえざる不都合の〔戦争平和インタビューシリーズ〕。 調べてみると2008年放送のNHKスペシャルで取り上げられていた。
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祖師の「同行二人」 「往きぱなしに非ず、ただちに立ち返り百重千重囲繞してよろこびまもる」240813
 祖師の「同行二人」 「往きぱなしに非ず、ただちに立ち返り百重千重囲繞してよろこびまもる」240813

 西国八十八ヶ所霊場。巡拝する人が被る菅笠(すげがさ)には「同行二人」の一語が書かれる。
 「四国巡礼」者は<弘法大師と一緒という意味>とされる。

 親鸞は『臨末の書』に、次の一節を記載したとされる。
 「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」。
 弘法大師=空海のと同様、浄土に往生を説く師にも「同行二人 どうぎょうににん」の思想。

 「和尚 仏のはなし―仏教を知りたいと思うひとに書きました」の第117話。
 「同行二人(どうぎょうににん)」の話。 2017-04-16 20:50:39では、以下のように示す。
 「(同行二人とは)弘法大師(こうぼうだいし)や日蓮聖人(にちれんしょうにん)や親鸞聖人(しんらんしょうにん)や伝教大師(でんぎょうたいし)だけではなく」
 「自分の親が亡くなったので、親の供養の為にお遍路(聖地巡礼)をした人も多くいました」。

 延暦寺の根本中堂にならぶ師たちは、それぞれに「同行二人」の思想をもつや。
 祖師の多くが言葉にした「同行二人」 「往きぱなしに非ず、ただちに立ち返り百重千重囲繞してよろこびまもりたもうなり」=故に「二人 ににん」と。

 身内を喪ったとき生ずる喪失感。はからずも遺族に転じた家族に臣入れる一言。「同行二人 どうぎょうににん」。
 比較文化論06「宗教と世界観」 看護専門学校授業で示させてもらっている。
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ヒトの暑さ&漁業資源・特別天然記念物生育に影響 北海道東部=海水温分布240801
 ヒトの暑さ&漁業資源・特別天然記念物生育に影響 北海道東部=海水温分布240801

 暑さはいつ収まるのか。
 「予想を超える速さで深刻化する温暖化の影響と対策」をまとめた、と。
 以下に、ポイントがありそそうで。

 24年8月1日、気象庁の発表をもとに、ウェザーマップ所属の気象予報士=片山由紀子氏がまとめている。

▼8月も猛暑収まらず 全国的に暖かい空気に覆われ、秋の訪れが遅れる予想
▼温暖化が世界、日本の気候を劇的に変えている。緩和と適応の2つの気候変動対策
▼21世紀末、追加の緩和策がなければ、猛暑日など大幅に増えるおそれ
▼一年で最も暑い頃の「大暑」でも、今は桁違いの暑さになっている

 「北九州一円に40度」。そう報じられたのは8月4日のことであったか。
 5日。北九州の主要都市で軒並み39.3度。長崎、佐賀、大分などの気温が報道された。
 首都圏内陸部&岐阜などの中部地方に記録された<暑さ>。範囲を拡大か。

 海水温の高温分布が気にかかる、サンマ、サケ、昆布などの漁業資源。特別天然記念物マリモの生息環境にも影響を与えている。
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