2019年12月の記事


グローバルな視野をもった作品に 「坂の上の雲」 101205-1226nhkG放送
グローバルな視野をもった作品に 「坂の上の雲」 101205-1226nhkG放送

 「制作者からのメッセージ」 第2部演出&脚本 佐藤幹夫筆で記載されている。
「イギリス、ロシア、中国という、それぞれの異なる立場でドラマが展開」「当時の日本がいかに近代化を急いだか」「(そのために)たくさんの多くの人が命をかけて国を新しく、強く、豊かにしようと力を尽くした」



第二部を担当されたエグゼグティブ・ディレクターは、その一端を紹介する。
我が国の近代化を、もとより国内に軸足をすえながらも、海外目線で問いなおしてみる。
「戦争というものはどちらか一方が『悪』というものではない」。両国の国民にとって「お互いに戦いたくはないのに戦争が起きてしまうのが悲劇」望んでいない戦争が起きる」。

「(正岡)子規の死がいちばん大切な部分」と位置づけ、三人の立ち位置を示す。
「命の限り懸命に生きようとする子規」「それを見守り励ましていく真之」「自分の青春をすべて悟性にして兄を看病する律」と示して、「演出でいちばんこだわったのは子規と真之と律のシーン」と、演出の骨格を明かしてもくれている。

 本邦のたどった、近代化の道筋。
本書はご存じ、司馬遼太郎作品の同名原作のドラマ啓発書。放送時に寄稿者のお一人たる演出担当のお方が送って下さった。

あらためて朔北の地で読み返し、浮かんでくることが多い。その一つは、薩摩・島津家漢方医の子息だった前田正翁こと。

「北海道の風土はロシアのそれに、よく似てる」。学部時代にロシア文学を専攻とも聴いていた。
振り出しの地方局勤務地は、「本人たっての希望」で選ばれた由。そう経歴で読んだ。
このことは本稿を記載する過程で承知し、往時の記憶を呼び戻すことに。司馬作品の愛好者は多い。

なかに作品化をして、「ドラマ化はイメージをこわす」の論があるかも。
しかしドラマ化は、そうした論を承知で「原作者の構想をさらに豊富にひろめた」.
つまり「あらたな読書領域の広がりを提示」の側面こそ<むしろ重要>と、うけとめたのであるが。
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種を受け鍵を、24時間の見張り 「神の衣」をつくる
 種を受け鍵を、24時間の見張り 「神の衣」をつくる8ヵ月nhk四国放送局

 県外から麻栽培の指導者を招き、播種。
6月14日かにに間引きの作業、
県の薬務課職員が視察に来訪「盗まれぬように生体の影、見えぬところに」と指導。県から特別な許可をうけての、大麻栽培。

 7月15日、収穫。熱湯につけて殺菌、雨のあたらぬビニールハウスに移して乾燥の作業。しかし、雨がつづき多湿のもとで案じていた不具合。

 カビの発生を感知して、再度熱湯浸出。カビ菌を廃して再発酵させる。かくして「あらたえ」の「白さ」を確保。

 いよいよ幹の繊維をスキ、糸化の作業。女性の手作業にかわり糸をつむぐ作業。ケバが発生しないようにしながら糸の強靱かをはかる。

 糸の長さは実に48キロメートル、と。三木家当主が神事を挙行、はれて「あらたえ」が誕生。皇居に発送される、と。



 徳島県麻植郡(とくしまけん・おうえぐん)。高齢化がすすむも、「地域の誇りを守っていきたい」。18人が名乗りをあげて、伝統の神事に取り組む。

 11月15日。大嘗祭をおえたムラで、参加者の一人は語る。「重みがあって、感動した」。

 (以下、番組案内) 
 天皇の即位に伴って行われる大嘗祭。その重要な供え物が「あらたえ」という麻の織物だ。
 千年以上昔からこの織物を作る役割を担ってきたのが、徳島県の旧麻植郡。令和を迎えた今回、美馬市木屋平の18人が名乗りをあげた。
 高齢化や過疎化が進み、集落の存続が危ぶまれる中「地域を誇りを守っていきたい」という思いがあったからだ。
 栽培から糸づくりまでの8か月。その歩みをみつめる。
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「ハレの設営と振舞」 『有職故実』に定義191225。
「ハレの設営と振舞」 『有職故実』に定義191225。

 石村貞吉著『有職故実』の校訂と解説を、嵐義人というひとが担当している。



 「有職故実」は、「国際儀礼までに通ずる一期一会の極致というべき晴れの設営と振舞を総称」 382p。「確たるしきたりのうえに作り出された」とも。

 「直衣の名義」「鎧の縅毛」「端午の今昔」の3編の「論考」を掲載。

 それぞれの端緒には、語源が明確、当然であった。明確であったから誰も記録をつくらず、語義も語らなかった。

 ところが時間が経過するうち、「形」は残るも「意義」を知るヒト居なくなった。
 そこで文献記載の記載内容から、意義を類推する段階にはいった。そうしたことを、思わせてくれる。上巻はまだ手にしていないと思う。(石村貞夫著『有職故実 下巻』(講談社学術文庫  1994年)。
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佐々田池 北海道を模したガーデンパーティのサービス
 佐々田池 北海道を模したガーデンパーティのサービス。どうも、そういうことらしい。

 国土地理院地図の記載には「笹田池」の表示。渡島半島が池田駅側、知床半島が浦幌駅。



 宗谷岬がまさしく北をさして、襟裳岬は南の太平洋をにらむ。

 豊頃駅の開業は明治37年。その駅北に、沼があった。
 それは早くから承知していた。十勝川が治水工事で流れをかえてと、想像してもみたが。

 でもねー、駅の方が十勝川氾濫原の北に位置するはずと考えると、あまりに北に配置、しかもその整え方は自然というよい、人工的ファクターが高く。



 池のほとりに「碑」の図示。
 ネットで「沼 豊頃」と検索すると、「上空から見ると北海道の形!? 豊頃駅裏「佐々田沼」に行ってみた」のページに。

 「佐々田沼の名前の由来は、佐々田良之助氏にちなみ、公園入口には碑石が建立されている。沼の向こう側には豊頃農協の施設」
 「1955年頃から天然スケートリンクが作られ、各種スケート大会も開催されることもあったため、スケート選手も利用したという。1985年に帯広にスケートリンク場が新設されたことで使われなくなった経緯があり、十勝のスケートの歴史に欠かせない沼で」

 ちなみに近くにある沼には「すずらん沼」(周囲約480m)」と。
 普段はヒト気のみあたらない静かなたたずまいの公園ながら、「周辺はトイレやバーベキューハウスがある『佐々田沼公園』として整備」の語が、まぶしい。
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10年間の住宅保証制度 この地に始まる 田中良一氏顕彰像 in 釧路市
 10年間の住宅保証制度 この地に始まる 田中良一氏顕彰像 in 釧路市。

 胸像を撮影。銘板を読んでみると、写真の記載。平成2年に建立、20年前と申すと1970年。



 「田中良一 釧路市」で検索。
  http://www.jiti.co.jp/graph/page0709/0934i/index.htm のページ。

 「1958年に職業訓練法が制定され、従来の徒弟制度に代わって近代的な技能士養成システムに移行しました。釧路は鳥取に地域職業訓練センターがあり、協会としても若い技能士の育成に取り組んでいるところです。」
  「実は10年間の住宅性能保障制度が釧路から始まったのはご存知ないでしょう。」
  「釧路聖徳太子講の大功労者でもある故・田中良一さんが北海道の理事長で、田中さんの音頭で釧路が住宅性能保障制度の受け皿になったという経緯があります。釧路から全国に広がり、現在、登録住宅戸数は全国で120万戸を超え、登録業者は約4万社に達します」(「創立100周年を迎え後継者の育成に全力 釧路地方建築協会会長 本間 弘恭氏」『建設グラフ2007年9月号』)
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<移動 兼 書斎>公共交通191205.
<移動 兼 書斎>公共交通191205.

公共交通。
その持続のカギは、市民の「公共交通に乗る文化」。その定着と広がりにある。そうでは、あるまいか。

JR北海道がすすめる「かよエール 特急定期券」の吊り下げ広告。
「一人暮らしより断然おトク」と朱字記載。約10万円に×印をくわえ、「自宅で家族と暮らせて毎日うれしい!」



 「特急列車でラクラク通える」とは緑字で一筆。「毎日の通勤・通学時間がグンと短縮!」

「帰宅に困らない」は紫字で。「夜間も充実したダイヤで残業や飲み会があっても大丈夫」。

 <むすび>に「かよエールでゆとりの通勤・通学」とある。

ただし、ここまでに未記載の一項目が。それは「乗車中は読書や仕事」と緑の書体で示す。つづけて「時間の有効活用、渋滞のイライラからも解放!」、と。

道央圏。L特急のシステムが装備されている地域を念頭に、「二世帯にして一人暮らしするよりも」のキャンペーン。

公共交通は「移動 兼 書斎」。その暮らしを29年、続けたことがある。しかし、やめざるをえなかった。
その理由は。最低でも30分に一便のダイヤ。早朝、7時に目的地到着、夜22時台に便がなくては。
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蝦夷太鼓 聴力障害者協会・蝦夷太鼓ジュニア
男性5人、女性2人。どのようにリズムをあわせるのか、難度の高い整合性を巧みに構築する。

自身は申す。「感動できる演奏をめざす」。演奏の歴史は39年。

一方で蝦夷太鼓ジュニアは中学、高校生が5名。北海道くしろ蝦夷太鼓保存会の支部ということになっている。

2019年11月3日、釧路市芸術祭に出演。プログラムをみながら一筆。
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扁形の要因はなぜ 釧路駅前のイチイ樹木
 扁形の要因はなぜ 釧路駅前のイチイ樹木。立派なイチイ。
 市内には釧路駅前、幣舞ロータリー=循環式交差点に据えられているのであるが。

 その樹木に異様が発生してはいまいか。幣舞ロータリーのイチイは先端部が枯れて、葉がない。ある意味、丸坊主。



 釧路駅のイチイは車線側の枝、葉ともに減少し、非車線側の駅舎方向の枝葉が辛うじて樹木の生体を維持する力を保っているかに見える。そうでは、あるまいか。

 それというのもツツジの植え込みで、車線に近い植え込みはかつての花の蕾が姿を消して、「葉の多いツツジ」に転じている。

 釧路駅前のイチイは、1972年かに移植された。
 移植当時の話題では羅臼、つまり知床半島の山中にあった樹齢1000年ほどの樹種を移植したということが言われていたように、記憶。

 まもなく2022年。移植後、半世紀を迎える頃にはまだ<けなげに>生きてくれてはいても、往時のバランスのとれた銘木も、いまやその扁形ぶりは否定しがたいのでは、ないだろうか。

 考えてみよう。多くの広葉樹にかこまれ、風を遮ってもらって、育った。落ち葉が腐葉土となって、供給される窒素、リン、カリ成分のバランスがよかったからこそ、ヒトあこがれる銘木となった。

 無情にも移植され、都心のシンボル樹木に。さて、移植をくわだてたのち、どのような管理が構想されていたのでありうか。

 それを超える交通量。誰に責任?。それはともかく、排気ガス社会が人類にも影響を、必ずや及ぼす。そのシンボルではと思うとき、市民は等閑視を許されないのかも。いかがであろうか。
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念仏寺 化野に愛宕 さわやかウィンドー「嵯峨野」
念仏寺 化野に愛宕 さわやかウィンドー「嵯峨野」 計10景ということか。



1)広沢池、2)化野・念仏寺、3)竹林、4)民家
5)保津川下り、6)嵯峨野のトロッコ電車が右岸を通過
7)渡月橋、8)野宮神社、9)道ばたの銘品店(野菜&竹製品) 10)愛宕念仏寺。

化野念仏寺と愛宕念仏寺の間は1.2キロ、徒歩17分と。

野宮神社、愛宕念仏寺、道ばたの銘品店は初の知見。広沢池はいまだ足跡を残したこと、なく。

広沢池の映像をみながら、「池、沼、湖」の違いがあるなー?の問い。

ネットと開いてみると、「大きくは違うは『泉』と池、沼、潟、湖」、ポイントはヒトの手による視点と、深さがポイント。

泉は湧水、つまり垂直の流量。池、沼、湖は横から流入、水平の水流量。池には自然と人工のファクターも加わる。

潟は砂州で河口がせき止められ、湖は水深5メートル以上。底土の土質も問題ながら、繁茂する植生の特質も判断のポイント

191219 nhkBS3「さわやかウィンドー 嵯峨野」の視聴記。
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「町報 あっけし」17面 181001 古文書教室16th.
「町報 あっけし」17面 181001 古文書教室16th.

松浦武四郎関係文書を読んでいますですね。2018年は武四郎生誕200年を記念する事業でしてねー。



2018年10月13日 午前10時の開会。120分の事業になりました。『納紗布日誌』を読んでいましたです。

木版刷の本ですが、盤羅山=バラサンの記載や鎮守社にあったとする社名板の裏書が丁寧に記載されていましたですね。

「東蝦夷地中枢の・・・・」と題して講演をすることにもなりましたけれども。
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朝儀再興 「尊号事件」 生前譲位 光格天皇&松平定信191218
 朝儀再興 「尊号事件」 生前譲位 光格天皇&松平定信191218

 光格天皇 第119代 安永9年即位 1)朝儀再興、大嘗祭など古制復活、2)「尊号事件」、3)生前譲位.



 とりわけ大嘗祭の祭祀をとりもどす、秘事再興には御所、築地塀の復興は<是非>であった。将軍家は当惑したらしい。

 総経費は81万両。時価に換算、810億円か。その出費を呑ませるに識者は、「劣位の朝廷、渾身の意地」と。

 将軍家の窓口は松平定信。出費を今回は負担。
 しかし、負担するには「将軍家=朝廷を尊ぶ恭順をしめすことで、下が上を尊皇する姿勢」。つまり松平は、「朝幕秩序」の定式化をはかる。

 大名家は将軍家を、家臣は大名を、農民は士族を。この<上向>思想で結ばれる家臣団組織。朝廷あっての幕府=東国政権の構図を明確に。

 他方で松平は、「尊号事件」に断固たる措置。
 黒幕の公家を江戸に召喚。吟味の上、蟄居・閉門などの措置を幕府がおこなう<荒ワザ>。

 光格天皇。
 朝廷の近代化をすすめ、「尊王思想」の底流を示すことになる、と。191218 nhkBS3「英雄たちの選択 そのとき歴史は動いた」。
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西国・広島へ130313
 西国・広島へ 110313。JAL便であった。震災の翌日の出発予定が一日、遅延となった。

 予定していた便の座席が確保できず、6人の旅は5対1の旅に。



 自宅~羽田便は各席確保も、羽田~広島が一席不足。かくて一人旅になった。

 窓側の席。よく晴れた日で、窓の外には富士が健在。勇姿をほこり、復興の応援に存在感。そうした思いでみつめていた記憶。
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標茶 集治監のネットワーク191216。
 標茶 集治監のネットワーク191216。

 話の舞台を標茶町に移し、北海道遺産「北海道集治監釧路分監本館」開館記念フォーラムでの基調講演からです。



 高島幸次著『標茶町史考 前篇』から「第二章 北海道集治監釧路分監」の著作の構造を紹介。

 11節、4層の構造になっていました。
 <集治監の制度説明><集治監の機能><集治監の典獄、教誨師><集治監終章と標茶に設置された意味>です。

 高島幸次さんが「北海道集治監釧路分監」として紹介してくださった事は、大きな意義がありました。
 1)のちに三栖達夫さんが多くの著作を生み出します。
 2)それとは別に、集治監が「北海道産業近代化遺産群」を生み出した中核にあった点です。

 最後に標茶に開庁の集治監が、「北海道産業近代化遺産群」を生み出した点を紹介します。
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富士夕景171002 機内にて
 富士夕景171002 機内にて。いかなる用務で上京したか。帰路便で撮影の富士夕景。

 秋口の搭乗はしばしば、羽田から西にむかって離陸する。それより旋回、北にすすむのであるが。



 羽田からは急上昇。安定軌道にうつってほどなく右手にみえて機首がかわる。

 麗峯にあこがれるけれども、それにまして夕映えが見事。そうではあるまいか。

 午後の富士はその美景が他を圧するも、墨にいろどられた時刻の富士は、夕焼けに背景を染めてシルエットで存在感を示す。

 海からの富士を論じては、甲斐の国民、ご機嫌がななめ、か。「富士をみるなら中央本線の特急列車のビュフェから」。

 そうした託宣を耳に、機種は北に旋回、キブスをかえす。ゴメンナサイ。山梨のみなさん。せめて機内サービスのワインで乾杯。
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「日ノモト」の早暁 道東191210
『諏訪大明神絵詞』の第□葉は、「當社ノ威神力ハ末代也トモ云ヘトモ」と、始まる。

このクダリ=件で「蝦夷カ千嶋トヘルハ我国ノ東北ニ當テ」と、始まる。
千の島は三領域にわかれと言及して、「日ノモト 唐子 渡党此三類」と続く。



その「日ノモト」の早暁。
午前6時40分25秒。自身ではかったわけではないが、美景とカメラをむけて撮影記録で記載をしておく。

怪なるや。
それでも新年は午前7時が日出となる。あと、二旬。日の出は冬至を期して遅れはじめるや。
(『諏訪大明神絵詞』 西尾市立図書館 愛知県 岩瀬文庫 国文学研究資料館)。
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小さくなりました「-25%」 板かまぼこの板
 「わーッ、小さくなったわ」。その声にはかってみました板かまぼこの「板」。

 「大」は戦後つづいた、伝統的「板かまぼこの『板』」。W=5.5センチ×L11.5センチ。

 「現」は小ぶりの板で、今日的「板かまぼこの『板』」。W=4.5センチ×L10.5センチ。



 「ひとまわり小さい」の形容ながら、その面積の差は「-24.7%」。四分の一は小さいことに。

 昔なら「値上げで」ことたりた、今日の食糧事情。価格は据え置きながら、容積が小ぶりとなって。

 小さくなりました「-25%」 板かまぼこの板。この前まで、バターがダブダブの箱にこぢんまりのバターの量。

 そういえば「ザル蕎麦」の量に、寿司の二握り。これまた往時の一人前が、現今の半分。時代はかわらぬ手法で、か。
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春採湖畔の集客度 2017年夏&2017年冬190718
190718に調べてみた春採湖畔の通過人員数。そうした統計が、測定値があるのだそうで。

 計測地点は「1)コーチャンフォー」「2)123坂」「3)襟裳岬」「4)沼尻」の4ポイント。



 夏冬、多いはコーチャンフォー。どちらも少ない襟裳岬、冬に多くて夏少なきは123坂。こう記載して「ひぶなさか」と読む。

 夏冬、そこそこは沼尻で、夏冬ともに1000人規模、と。

 データの出典は「地域経済分析システム(RESAS(リーサス)」。
 その意味する点は、「まち・ひと・しごと創生本部が、地方自治体の取り組みを情報&データ面から支援するため、平成27年4月21日提供始」と。
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魅せられて塘路 シラルトロ沼・塘路湖・達古武沼のほとりにて
 シラルトロ沼・塘路湖・達古武沼 釧路湿原三湖沼。

 釧路川中流域、北からシラルトロ沼、中央の塘路湖、南に位置の達古武沼。

 環境を地球の今を体現する自然。文化を自然に対する人類の働きかけの結果。

 「起 : 塘路の環境・文化、域内循環」を「魅せられて塘路」として一話に。「魅せられて」を「不思議な力によって、心がひきつけられて」と、受け止めておきたい。

 1)阿歴内川・塘路湖&釧路川合流点
 2)原住 有力コタン=屈斜路・虹別・塘路
 3)開庁 熊牛戸長役場、支監(標茶=集治監分館)駅逓、
 4)移住 特に1927~29年、背後地に許可移民
 5)保護 標茶町立自然公園 塘路地区
    外役所移転=郷土館、駅逓跡整備
 6)加工 内水面漁→保養→道整備→名産化
 7)選択 塘路の<意味>に感動、選択的転入

 2020年は、「集治監・戸長役場 開庁一三五年」に相当。「地域創造、拠点としての集治館跡」と題する話題のなかで=191011実施。
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創造するエネルギーで「つむぐ」地域
 創造するエネルギーで「つむぐ」地域 令和を迎え

 1)地球負荷
 2)分断に抗する
 3)付加価値を創る
 4)健康で文化的生活

 直下に樹海、先の湖面、国指定史跡、旧制庁立中学継承校、雄阿寒岳。
 吸引力あれば商いは成り立つ。パワースポットの一つ。
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よみがえったか アマリリス開花191122
よみがえったか アマリリス開花191122。根元があやしくなっていたアマリリス。

 屋外から室内に取り込んで室温にささえられる。芽がすくすく伸びて、開花にいたる。



 背中あわせに二輪。時には東西南北の方角、4輪開花の歳もあったけれども。

 根があやしくなって、生体の維持が危惧された時もあったけれども。

 その影響はすくなからず、あると言えそう。4輪開花が2輪でおさまった。

 写真に一枚。撮影して、このほどアップ。「早くしてネ」。花の嘆きが聞こえそう(笑)。
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予算の2倍が連続して 桜を見る会の奇怪ー1-。
 予算の2倍が連続して 桜を見る会の奇怪ー1-。「季節ハズレの話題」とされながら、さまざまな奇怪な議論が。



 国会で決めた予算は2014年から毎年1700万円余。
 決算は2014年=3000万、15年=4000万円弱、16、17年年=4500万円程度で、2018年は5000万円超。
 とうとう、予算額の3倍に対する支出。識者は申す。「会計検査院の調査事項」。

 実態はどうやら後援会活動の様相に。官僚はいつも、「予算がない」。しかし、出すところには、出せる。その不可思議。
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191911 北海道集治監釧路分監本館の開館記念フォーラム
191911 北海道集治監釧路分監本館の開館記念フォーラム. おつきあいさせていただきました。

網走監獄、月形監獄、三笠市教育委員会、
そして標茶町博物館の専門職員の方がパネリストを務められましてね。

たくさんの有意義な発言をいただきました。
私、「地域創造は『自分のこと』として」。そう発言させてもらいました。

<主催者の催事案内>
令和元年10月11日の午後1時30分より、北海道遺産と当町文化財ともなっている北海道集治監釧路分監本館の開館記念フォーラムを開催! ... なおフォーラムでは、釧路短期大学の佐藤宥紹先生による基調講演、そして関係市町の有識者が集い、パネルディスカッションにて、集治監が北海道発展に尽くした功績と、北海道遺産となった集治監関連施設の活用について語り合います。
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